【高校野球企画】Youthful Days ~まだ見ぬ自分を追いかけて~ vol.11 今江年晶選手[東北楽天]

谷上史朗

2018.8.30(木) 09:00

東北楽天・今江年晶選手【イラスト:横山英史】©Rakuten Eagles
東北楽天・今江年晶選手【イラスト:横山英史】©Rakuten Eagles

第100回全国高等学校野球選手権記念大会が閉幕した。今年も甲子園で高校野球の頂点を巡る戦いから、多くの新たな物語が紡がれている。夢見た舞台へ辿り着くために、球児たちはどれだけの鍛錬、挑戦、葛藤を積み重ねているのだろうか。現役プロ野球選手の高校時代を振り返る連載第11回は、プロ17年目で打線の4番にも座る今江年晶選手(東北楽天)。PL学園高校在籍時には「最強」の2文字を欲しいままにしたが、高校野球との別れは予期せぬ形で訪れた。現在は活動を休止しているが、今江選手の溌剌としたプレーとリーダーシップには、球史に名を刻む名門で培ったものが根付いている。

名門校史上でも屈指の破壊力を誇る打線を形成

今江選手の母校であるPL学園高校について「最強チームはどの世代か」という話を、関係者としたことがある。高校球史に名を刻んできたPL学園高校。候補に挙がるチームには事欠かないが、やはり筆頭は清原和博氏、桑田真澄氏(ともに元巨人)の3年時、夏には全国制覇を果たした1985年のチームだ。

これに続いたのは立浪和義氏(元中日)、片岡篤史氏(元日本ハム)らで春夏連覇を達成した87年のチーム。そこへもうひとつ、「実はあのチームが…」と推す声があったのは4番に今江選手、エース・朝井秀樹氏(元東北楽天)、さらに桜井広大氏(元阪神)、小斉祐輔氏(元福岡ソフトバンク)ら、後にプロへ進む選手が4人そろっていた2001年のチームだ。全国の舞台で大きな結果は残せなかったが、特に打線がスケールを持ったチームだった。

「あのチームのバッティングはホントにえげつなかった。ある練習試合でホームランを13本打った時があったんですけど13本ですよ、13本。いくら練習試合でも13本はないですよね」

驚きの表情と共にその強さを伝えてきたのは現在、佐久長聖高校の監督で、今夏の甲子園にも出場している藤原弘介氏だった。当時はPL学園高校のコーチ。目の当たりにした凄まじい打力に「高校生と思えなかった」とも言った。この強力打線の中心にいたのが今江選手だった。

中学時代は関西屈指の強豪として知られていた京都田辺ボーイズでプレーし、3年時は背番号1で内野手兼投手。今江選手に昔話を聞いた時「僕の野球人生のピークは中学時代です」と笑って返してきたことがあったが、打ってはグリーンスタジアム神戸(現ほっともっとフィールド神戸)の左中間スタンド中段へ放り打込み、遠投では悠々100メートル超え。ダイナミックな守りも含め、超中学級の逸材として高校野球関係者の関心も大いに集めていた。

当初、京都育ちの今江選手は地元の伝統校で公立の鳥羽高校へ進む希望を持っていた。ところが、京都田辺ボーイズの先輩でPL学園高校へ進んでいた覚前昌也氏(元大阪近鉄)から「甲子園に行きたいなら他でいい。でも、プロになりたいならウチへ来た方がいい」と声をかけられてPL学園高校行きを決意。道が決まった。

当時のPL学園高校は“KK”の時代から春夏連覇の1987年をひとつのピークとし、絶対的な強さが薄れつつあった頃。今江選手の入学前年夏に横浜高校と延長17回の熱闘を演じていたが、それまでは常に勝者として脚光を浴びてきたPL学園高校が敗者として名を刻んだ名勝負でもあった。そんな状況の中、王者の復権を賭け、強力なスカウティング活動で中学界のスターがそろったのが今江選手達の代だった。

入学すると、厳しい寮生活と練習の中、今江選手の体重は夏までの数ヶ月で15、16キロダウン。打球の勢いや飛距離も落ちたが、そこから這い上がり、1年夏から朝井氏と共に2ケタ番号を着けてベンチ入り。秋からは試合出場が増え、2年夏には大阪府大会を制し全国高等学校野球選手権へ出場した。全国の舞台でも札幌南高校、明徳義塾高校に勝利し、強豪ぞろいのゾーンを勝ち上がったが、3回戦で智弁和歌山高校の豪打に屈して完敗。朝井氏は3回KO、2年生4番として期待された今江選手も5打数ノーヒット。全国レベルを実感し、甲子園での戦いを終えた。

不完全燃焼で高校野球を終え、“最強”は結実せず

それでも新チームとなれば、「いよいよ俺達の時代!」と自信満々に秋の戦いへ挑んだ。ところが、大阪府大会準決勝で岩田稔投手(現阪神)、中村剛也選手(現埼玉西武)、下級生に西岡剛選手(現阪神)とそろっていた大阪桐蔭高校に敗れ、近畿大会出場を賭けた浪速高校との3位決定戦もサヨナラ負け。

個々の能力は抜けていたが、個性派集団ゆえの脆さがつきまとった。新チームでキャプテンとなった今江選手もナインを同じ方向へ向けさせることに苦心。千葉ロッテ時代、高校当時を振り返る話をしていると、苦笑いを浮かべて語ってきた。

「1年、2年の時は自分のことで精一杯。3年になってやっと野球に集中できると思ったら今度はキャプテン。個性の強いメンバーをどうまとめるか…。3年の時は時で、ほとんど自分の野球をした記憶がないんです」

それでも冬を超えると、あとのない状況でようやくチームがまとまり始めた。

「選抜もなくなって、いよいよあとは夏だけ。ほんまにチームとして1つになってやらないと終わってしまう。そんな空気になって、この感じで行けば夏に結果を出せる、普通に力を出せばやれる、と思ったんですが…」

春の大阪府大会は再び大阪桐蔭高校に敗れて準優勝。ただ、夏を見越して朝井氏が投げない中での結果で、冬を越え、さらに迫力を増した打線は春の6試合でも実に16本塁打。プロ並の破壊力を発揮し、先に挙げた練習試合での1試合13本塁打も夏へ向かう中で飛び出した。

しかし――。全国の頂点を目指した夏は戦わず、突然の幕引き。今江選手の高校生活はあっけなく終わった。予選の組み合わせ抽選会の前日。選手たちは練習後に寮の大広間に集められると、当時の部長からこう告げられた。「明日が抽選日ですが、我がPL学園高校は99.9%、出場は不可能です」。冬場に起きていた部内暴力が発覚。報告を怠った部の体質や過去の経緯も含め、高校野球連盟から重い処分が下されたのだ。

一部からは“PL史上最強”の声も聞こえたチームは、こうしてその強さを全国の舞台で発揮することなく姿を消した。あの夏から17年。PL学園高校の野球部は2013年4月に起きた寮内の暴力問題に端を発し、休部状態が続く。その中、あの夏の不出場を悔しさ一杯に語るOBの声を聞いたことがある。

「もし、今江たちのチームが甲子園に出て、力通りの戦いを見せていたら、その後のPL野球部の流れも変わっていたかもしれない。あの夏は日大三高校が優勝しましたが、テレビで見ながら十分やれると思いましたから。あそこでもう一度、大きな結果が出ていたら…。あのチームが野球部にとって大きなターニングポイントだったと思います」

最後の夏に力を見せられなかった今江選手だが、2001年秋のドラフトでは3巡目指名を受けて千葉ロッテへ入団(朝井氏は大阪近鉄から1巡目指名、桜井氏は阪神から4巡目指名)。一昨年からは仙台に働き場を移し、今年でプロ17年目。8月に35歳となった男は4番としてチームを背負い、バットを振り続けている。

【高校野球企画】Youthful Days ~まだ見ぬ自分を追いかけて~
vol.1 浅村栄斗選手[埼玉西武]
vol.2 上林誠知選手[福岡ソフトバンク]
vol.3 金子千尋投手[オリックス]
vol.4 平沢大河選手[千葉ロッテ]
vol.5 中田翔選手[北海道日本ハム]
vol.6 松井裕樹投手[東北楽天]
vol.7 西川遥輝選手[北海道日本ハム]
vol.8 T-岡田選手選手[オリックス]
vol.9 田村龍弘選手[千葉ロッテ]
vol.10 今宮健太選手[福岡ソフトバンク]
vol.12 菊池雄星投手[埼玉西武]

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谷上史朗

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