背番号「9」福浦和也選手が9月23日のセレモニーをもって引退する。習志野高校から地元の球団・千葉ロッテマリーンズに入団し、一筋26年。今季は球界最年長も経験した。多くの同志、はたまた後輩を見送ってきた男が、ついにその花道を用意される立場となる。“その時”を迎えたとき、監督は、選手は、そして福浦選手は…… 千葉ロッテマリーンズの名物広報・梶原紀章さんが、6回にわたって綴る。
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【背番号「9」の背中】愛弟子・大松尚逸。その傷だらけの選手人生からの幕引き
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07年3月28日ライオンズ戦。その日のウィニングボールは今も大事に保管されている。04年から09年まで千葉ロッテマリーンズに在籍をしていたベニー・アグバヤニ外野手のものだ。この年の3月24日、ベニーに長男が生まれた。そして3月28日のライオンズ戦(グッドウィル 現・メットライフドーム)でチームは初勝利を挙げた。ベニーは頼み込んでウィニングボールをもらったのだ。
「カズヤが生まれてチーム最初の白星。どうしてもウィニングボールが欲しかったんだ。だから頼み込んで貰った」
ブルーイン・カズヤ・アグバヤニ。ベニーの長男の名前だ。ミドルネームの「カズヤ」はチームメートの福浦和也内野手に由来する。04年に来日し千葉ロッテマリーンズの一員となったベニーはすぐに福浦と意気投合した。食事を共にしたり、日本野球における色々なアドバイスを受けた。なによりも野球に取り組むそのストイックな姿勢に感銘を受けた。
「彼は本当に研究熱心で驚いた。いつも練習をしていた。全体練習前や試合後にはウェイトをしたりとね。なによりも印象深いのは映像を見て研究をしていること。いつも自分の打撃を極めようとフォームのチェックをしていた。こんなに野球と向き合える人間は今までに会ったことがなかった」
大リーグ通算383試合に出場。299安打、156打点、39本塁打を放ちハワイアンパンチの愛称で親しまれた男は日本で出会った一人の侍に強い衝撃を受けた。打撃を極めるべく日々、努力を重ねる姿は今までメジャーで出会った多くの強打者よりも印象深いものだった。だからこそ息子が生まれた時にはその侍の名前をとり、「カズヤ」にしようと決めていた。
「突然ね。ベニーに言われたんだ。神妙な感じで息子が生まれたら『カズヤ』と付けたいってね。いやあ、それはビックリしたけど、本当に嬉しかった。光栄の一言。もっともっと頑張らないと申し訳ないなあと思ったね」
福浦も当時を懐かしそうに振り返る。ベニーは千葉ロッテマリーンズで09年までプレーをしてその年を最後に現役引退。現在は故郷のハワイ・オアフ島でハワイアン航空の職員として第2の人生を歩んでいる。福浦はその後もグラウンドで戦い続けた。満身創痍の中、野球への情熱を失うことなく、ひたすらチームの勝利のために打席に立ち18年9月22日のライオンズ戦(ZOZOマリンスタジアム)でプロ野球史上52人目、球団史上3人目の通算2000本安打を達成した。その一報を遠く、ハワイで聞いたベニーは我がことのように喜んだという。
あれから1年。希代のヒットメーカーもバットを置く日が来た。背番号「9」は多くの人を魅了し、影響を与え惜しまれながら現役を引退する。ベニーは「彼と一緒にプレーをできたのは光栄なことで幸せなことだった」とハワイからメッセージを送った。ブルーイン・カズヤ・アグバヤニは12歳になった。長い月日が流れたのだ。
文・千葉ロッテマリーンズ球団広報 梶原紀章
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