【背番号「9」の背中】愛弟子・大松尚逸。その傷だらけの選手人生からの幕引き

パ・リーグ インサイト マリーンズ球団広報 梶原紀章

2019.9.18(水) 13:29

千葉ロッテマリーンズ・福浦和也選手、大松尚逸選手(C)PLM ※球団提供
千葉ロッテマリーンズ・福浦和也選手、大松尚逸選手(C)PLM ※球団提供

 背番号「9」福浦和也選手が9月23日のセレモニーをもって引退する。習志野高校から地元の球団・千葉ロッテマリーンズに入団し、一筋26年。今季は球界最年長も経験した。多くの同志、はたまた後輩を見送ってきた男が、ついにその花道を用意される立場となる。“その時”を迎えたとき、監督は、選手は、そして福浦選手は…… 千葉ロッテマリーンズの名物広報・梶原紀章さんが、6回にわたって綴る。

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 背番号「9」を師と仰ぎ続けた男は野球人生に自らピリオドを打った。大松尚逸外野手。千葉ロッテマリーンズで12年。東京ヤクルトスワローズ2年。そして今年、BCリーグの福井ミラクルエレファンツでプレーをした。最後の時は突然やってきた。8月17日の新潟アルビレックスBC戦。6回の第3打席で右飛を打って一塁に向かって全力疾走をした際、左膝が悲鳴を上げた。もう歩くことすら出来なかった。診断結果は左ひざ半月板の断裂。全治まで3カ月とされる大怪我に引退を決断した。すぐに背中を追い続けてきた福浦和也内野手に連絡を入れた。

「よく頑張ったな。お疲れさん」

 その一言にすべてから解き放たれた気がした。今まで背負ってきた重圧がすべて消え去った。もう現役への未練は残っていなかった。

「自分がプロに入ってずっと追い求めてきた人に『よくやった』と言ってもらえた。もうそれで十分だった。気持ちの整理がつきました。スッキリしました。ここまで精一杯やってこれたかなあと思います。悔いはありません」
 
 千葉ロッテマリーンズに入団をした時からチーム内の同じ左打者の福浦に憧れ、参考にしながら、プレーをしてきた。あれはプロ2年目が終わった06年のオフ。なかなか思い通りの結果が出ずに苦しむ大松は意を決した。11月に行われた球団納会で大先輩のいる席に足を運んだ。ビールを注ぎながら、お願いをした。

「一緒に練習をさせていただけませんか。自主トレ、連れて行ってもらえませんか!」

 その言葉には強い決意が感じられたのだろう。だから、福浦も二つ返事で承諾をした。「ありがとうございます!」断られることも覚悟の上だっただけに、あの日の事は一生、忘れることができない。それほど嬉しかった。

 練習では、すべての動きを注視した。アドバイスを聞き漏らさないようにしようと公私ともに、いつも近くにいた。そして、その後も師弟関係はずっと続いた。08年、大松はついに開花する。24本塁打、91打点。チャンスに強い打撃で「満塁男」と言われるまでになった。その年から3年連続の二桁本塁打をマーク。福浦もそんな後輩が活躍する姿を自分のことのように喜び、共にさらなる練習に明け暮れた。

 しかし、順風満帆な日々は続かなかった。度重なる怪我もあり出場機会が減り苦しんだ。そんな大松に「オレより先に辞めるなよ」と福浦は独特の言い回しで励まし続けてくれた。16年オフに戦力構想から外れた。真っ先に電話を入れた相手は大先輩だった。「こんな嫌な報告で申し訳ありません」そう言って謝ると涙がこぼれ落ちそうになった。今後の道に悩む大松に電話口の向こうにいる憧れの先輩は優しく励ましてくれた。
 
「オマエの今の気持ちに正直に生きろよ。まだ出来るという思いがあるなら、その気持ちを大事にしろ。やるのはオマエ。今の気持ちを大切にしてくれ」

 その言葉に励まされ、新たな世界への挑戦を決めた。5月に右アキレス腱を断裂し、9月になって、ようやくリハビリを終えたばかり。そんな逆境はどこ吹く風とばかりに、力強く走り出した。2017年、東京ヤクルトへの入団が決まると勝負強い打撃で見事に一軍の舞台に返り咲いた。この年は2本のサヨナラ本塁打でチームに貢献した。2019年からは現役続行を模索しBCリーグの福井ミラクルエレファンツに入団。NPBでプレーをすることを夢見る若い選手たちと一緒にプレーをした。ハングリーさが求められる環境で模範となるべき姿を見せ積極的にアドバイスを続けた。そこには自分が福浦に憧れ追い求めてきた経験が原点としてあった。

 8月に大先輩に引退する決意を伝え9月8日に発表された。引退の挨拶のため古巣の本拠地・ZOZOマリンスタジアムに姿を現した大松の表情は清々しく見えた。

「福浦さんにはつねづね『自分より先には辞めるなよ』と励ましてくれた。そして福浦さんが引退する今年、一緒のタイミングでユニホームを脱ぐことになった。十分やったと思います」

 大松は思い出の詰まるウェイトルームにも顔を出した。そこは試合後もシーズンオフも毎日のように背番号「9」と汗を流し続けた思い出の沢山詰まる場所。青春そのものだった。深く一礼をしてその場を離れた。師弟ともに新たな人生を歩みだす。

文・千葉ロッテマリーンズ広報 梶原紀章

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