内海哲也が引退会見。「誰よりも早く来て、誰よりも練習すること」貫いた野球人生

パ・リーグ インサイト

2022.9.19(月) 13:25

埼玉西武ライオンズ 内海哲也投手 (C)PLM
埼玉西武ライオンズ 内海哲也投手 (C)PLM

19年間の現役生活に幕。「昔のように絶対抑えられる自信が少しずつなくなった」

 今季限りでの現役引退を表明した埼玉西武の内海哲也投手が9月19日、引退会見を行った。

 通算7度の2桁勝利、2年連続の最多勝を獲得するなど、巨人のエースとして活躍した内海投手。埼玉西武に移籍後は、3シーズンで2勝と故障の影響もあり白星が遠のいた。しかし、野球に取り組む姿勢は若手選手の手本となり、チームに好影響をもたらした。今季は選手兼任コーチとして、投手陣の指導にもあたりながらプレー。5月7日の対北海道日本ハム戦では、2000投球回を達成した。

 会見の冒頭で「今シーズンを最後に現役を引退することを決めました。現役生活19年間いろんなことがありましたが、今はやり切った想いでいっぱいです。ついにこの時が来たなという感じ」と切り出した。

 引退を決断した理由を、「コーチ兼任としてやる中で、若い選手たちの一軍の舞台での活躍に、選手としての自身の存在が足かせになるので引き際としては一番いいと思った」と説明。加えて「ここ数年一軍での登板機会が少なくなっていき、昔のように絶対抑えられる自信が少しずつなくなっていった。そういう気持ちでマウンドに立つのは自分自身違うと今年特に思った」と話した。

“誰よりも早く来て、誰よりも練習する”ことが誇りだった

埼玉西武ライオンズ 内海哲也投手 (C)PLM
埼玉西武ライオンズ 内海哲也投手 (C)PLM

 埼玉西武で野球人生を終えることについて「感謝しかないです。自分が決めるまで現役をやらせていただいた」と涙をにじませた。

 内海投手が野球人生の中でこだわってきたことは「誰よりも早く来て、誰よりも練習すること」を挙げ、「どれだけ体がしんどくても絶対続けようと思ってやってきた。それを継続できたことが自身の誇りだった」と力強い口調で語った。


 会見の最後には、サプライズとして、自主トレをともに行うなど師弟関係にある渡邉勇太朗投手が登場。

「内海さんに出会えていろいろなことを教えてもらったこの4年間が、自分の人生の中で1番の財産です。いつか必ず追いつき、追い越していきたいと思います。4年間ありがとうございます」と涙ながらに感謝と決意の手紙を贈ると、高橋光成投手、平井克典投手ら投手陣16名が登場。花束を受け取り、笑顔で記念撮影を行った。

渡邉勇太朗投手と内海投手(C)PLM
渡邉勇太朗投手と内海投手(C)PLM

 会見では、埼玉西武で結果を残せなかった悔しさも語った内海投手だったが、その光景は内海投手がチームにもたらした影響と、投手陣のよき師としての存在の大きさを物語っていた。

内海投手、これまでの経歴

 内海投手は、敦賀気比高校、東京ガスを経て、2003年ドラフト自由獲得枠で巨人に入団。1年目でプロ初登板を果たすと、2年目からローテーションの一角を担い、3年目の2006年には13勝を挙げる。2007年には開幕投手を務めると、2009年のWBCでは世界一も経験した。2011年からは、2年連続で最多勝投手のタイトルを獲得。加えて、2012年には最優秀投手賞、ベストナインを獲得するなど通算6度のリーグ優勝、2度の日本一に大きく貢献した。

 2018年オフに、巨人にFA移籍した炭谷銀仁朗選手の人的補償により、埼玉西武に移籍。移籍1年目の2019年は、故障によりプロ入り後初めて一軍での登板がなく、10月には左前腕を手術。しかし、翌2020年8月22日には1500奪三振を達成すると、9月2日の対千葉ロッテ戦では743日ぶりとなる移籍後初勝利を挙げた。2022年からは、投手兼任コーチとしてチームに貢献。5月7日の対北海道日本ハム戦では2000投球回の記録を達成した。記録とともに精神的支柱としてもチームを支え続けた左腕が、19年の現役生活に幕を下ろす。


文・鈴木優菜

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