上沢直之とニック・マルティネスは再起なるか。長期離脱から復活した先人たちを紹介

パ・リーグ インサイト 望月遼太

2020.2.17(月) 17:00

北海道日本ハムファイターズ・上沢直之投手(C)パーソル パ・リーグTV
北海道日本ハムファイターズ・上沢直之投手(C)パーソル パ・リーグTV

北海道日本ハムの浮沈を握る存在となりうる、2人の実力派投手が復帰

 前年5位からの巻き返しを図る北海道日本ハムにとって、この2人の復帰は大きいはずだ。昨季はエースとして開幕から奮闘しながら、6月18日に左膝に打球が直撃してシーズンを終えてしまった上沢直之投手と、開幕前の故障で1シーズンをまるまる棒に振ったニック・マルティネス投手。ともに春季キャンプでは元気な姿を見せており、今シーズンこそはフル稼働の活躍が期待される。

 両投手は半年以上のブランクを経て復活を目指す立場だが、過去においても、長期の離脱から復帰して再び活躍を見せた先発投手たちはもちろん存在している。今回は、そんな鮮やかな復活劇を見せてくれた投手たちの中から、パ・リーグで活躍した経験を持つ選手をピックアップ。過去の先人たちの活躍を振り返るとともに、先述した2投手の復活に期待を寄せたい。

1年以上の離脱となる、「トミー・ジョン手術」から復活を果たした投手たち

 日本におけるトミー・ジョン手術の先駆者となったのが、ロッテオリオンズ(現・千葉ロッテ)のエースとして活躍した村田兆治氏だ。1975年から2年連続最優秀防御率、4度の最多奪三振、1度の最多勝とすばらしい実績を残していた村田氏だったが、1982年に肘を故障。翌1983年に、当時はまだNPBでは珍しかったトミー・ジョン手術を受けて再起を図った。リハビリを経て1984年の終盤に実戦に復帰すると、1985年には17勝を挙げて鮮やかに復活。1989年には通算200勝を達成するとともに、39歳にして最優秀防御率も獲得した。

 セ・パ4球団を渡り歩いて活躍した藤井秀悟氏も、トミー・ジョン手術を経て復活を果たした投手の一人。プロ2年目の2001年に最多勝を獲得するなどスワローズのエースとして活躍した藤井投手だったが、2003年に左肘の靱帯を断裂して手術を受ける。それでも2005年に10勝を挙げて復活し、北海道日本ハム、巨人、横浜DeNAの各球団でも先発陣の一角として活躍。現役引退後には心臓疾患を患っていたことを明かすなど多くの苦難を乗り越え、実働14年と息の長い現役生活を送った。2020年1月には、古巣・横浜DeNAで球団広報兼打撃投手として契約した。

 現役投手では、和田毅投手もトミー・ジョン手術を経験している。プロ入りから9年間で7度の2桁勝利を記録する活躍を見せて渡米したが、左肘靱帯の部分断裂と手術の影響で、2年間MLBでは登板できず。カブス移籍後の2014年にメジャーデビューを果たすと、登板機会は少ないながらも2年連続で防御率3点台と、その実力がトップレベルでも通用することを証明。ホークス復帰初年度の2016年には15勝を挙げて最多勝に輝くと、昨季も2018年シーズンを棒に振った故障から復活し、日本シリーズでも16年ぶりの白星を手にした。

菊池雄星投手、千賀滉大投手もかつては長期離脱を経験

 トミー・ジョン手術ではないが、金村曉氏も故障から復活して長く活躍を見せた投手だ。高卒4年目の1998年に最優秀防御率のタイトルを獲得するなど若くして頭角を現したが、翌1999年は故障で8試合の登板にとどまる。続く2000年もケガに苦しめられたが、2002年に自身初の10勝を記録して復活。そこから4年連続で2ケタ勝利を記録する活躍を見せてファイターズのエースとして認められる存在となり、2006年の北海道移転後初となる日本一にも貢献を果たしている。

 菊池雄星投手は大ブレイク中のシーズンで無念の途中離脱を強いられながら、その後にさらなる飛躍を遂げている。プロ4年目の2013年に前半戦だけで9勝を挙げ、ノーヒットノーランまであと2人という快投も披露。まさに破竹の快進撃を見せていたが、左肩の炎症で8月上旬に離脱し、残りのシーズンを棒に振った。そこから2年間は2桁勝利に手が届かなかったが、2016年に12勝を挙げて先発の軸となると、2017年には16勝、防御率1.97と、2013年を思い起こすような快投で投手2冠に輝き、現在はMLBに活躍の場を移している。

 また、先発としての本格的な活躍が始まる前のケガとはいえ、千賀滉大投手も長期の離脱を乗り越え、球界を代表する右腕となった投手だ。2013年に51試合で17ホールド、防御率2.40とリリーフとして活躍したが、2014年の6月中盤に右肩を痛め、残りのシーズンを棒に振ってしまう。しかし、翌2015年のポストシーズンで中継ぎとして貴重な働きを見せて日本一に貢献し、2016年からは先発に再転向して4年連続で2桁勝利を記録。2019年には自身初の最多奪三振とノーヒット・ノーランも達成し、抜群の存在感を示している。

30代後半を迎えてから故障を克服した2人の助っ人

 マルティネス投手と同じ外国籍選手でいえば、セス・グライシンガー氏も長期離脱からカムバックを果たしたうちの一人。来日初年度の2007年から2年連続でセ・リーグの最多勝を受賞し、3年連続で13勝以上を記録する大活躍を見せていたが、2010年からは2年間続けて故障に悩まされ、登板機会を大きく減らしてしまう。2012年から千葉ロッテに新天地を求めると、当時37歳という年齢を感じさせない投球を披露。12勝8敗、防御率2.24という数字を残してチームを支え、優良助っ人復活を強く印象付けている。

 また、ブライアン・ウルフ氏もベテランとなってから故障を乗り越え、復活した経験の持ち主だ。2010年に北海道日本ハムに入団した当初はリリーフだったが、1年目の終盤に先発転向して活躍を見せると、2011年からの3年間で31勝を挙げて先発陣を支えた。しかし、2014年に福岡ソフトバンクに移籍してからの2年間は故障に泣き、トミー・ジョン手術も経験。それでも2016年7月末に埼玉西武と契約すると4戦4勝の活躍を見せ、2017年までシーズンを跨いで8連勝を記録。チームのAクラス復帰と、2018年のリーグ優勝にも貢献した。

 

 これまでの投手たちと症状こそ異なるものの、不死鳥のような復活といえば大隣憲司氏のことは語り落とせない。大隣氏は福岡ソフトバンク在籍の2008年に11勝、2012年に12勝を挙げ、2013年のWBCにも出場するなど左の先発として活躍していたが、同年のシーズン中に国指定の難病である黄色靭帯骨化症と診断され、手術を経験。それでも不屈の精神で2014年7月に一軍復帰を果たし、9試合で防御率1.64と抜群の数字を残す。同年のポストシーズンでも活躍してチームの日本一にも貢献し、その復活劇と諦めない心は多くの人々の胸を打った。

諦めない心を胸に、見事な復活を果たした投手は少なくない

 離脱の理由や手術の経緯はそれぞれ異なるものの、いずれも諦めない心を胸に復活を果たし、先発として躍動した投手たちだ。パ・リーグで活躍した投手に限定してもこれだけの例があるということは、完全復活を目指す上沢投手とマルティネス投手にとっても、心強いデータとなるのではないだろうか。

 よく、「投手の肩は消耗品」だと言われる。そして、実際に少なくない数の投手たちがシーズン中に、あるいはシーズン開幕前に、故障で戦線を離れているのも事実だ。しかし、必ずしも大きなケガをしたら、そこで投手としての活躍が終わってしまうわけでは決してない。それを示してくれた先人たちのように、ファイターズの2人には再びマウンドで躍動し、復活した投手たちの歴史に新たな1ページを書き加える存在となってほしいところだ。

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パ・リーグ インサイト 望月遼太

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