新背番号「3」を背負う山川穂高。前任者の共通点と山川にしかない「武器」

パ・リーグ インサイト 吉田貴

2020.2.12(水) 17:00

埼玉西武ライオンズ・山川穂高選手【撮影:丹羽海凪】
埼玉西武ライオンズ・山川穂高選手【撮影:丹羽海凪】

 2度のイースタン・リーグ本塁打王を経て、一軍の舞台で2年連続本塁打王を獲得。もちろん、2016年、2017年はシーズン序盤の不振に苦しむなど、困難を乗り越えてきたことは確かだ。ただ、埼玉西武の山川穂高選手は順調に球界を代表するスラッガーに成長したといえるだろう。一方で、プロ野球の世界では「3年結果を出してようやく一人前」といった言葉が耳にされる。山川選手にとっても、今年が勝負の1年になるはずだ。

 さらに、2020年シーズンから山川選手が着用する背番号は「3」に変更。今年の埼玉西武は「ライオンズ」命名から70周年の大きな節目を迎える。その長い歴史の中で、背番号3は計14人の選手が受け継いできた伝統ある番号だ(文末表参照)。「15代目」として山川選手に求められるものとは何か。背番号3として過去500試合以上に出場した伝説のOB、そして近年の代表的な先輩たちの成績を挙げて考えたい。

 比較する選手は、黎明期のチームをけん引した大下弘氏、本塁打王1回、2000本安打も達成した土井正博氏らのレジェンド2人を筆頭に、黄金時代において背番号3を背負って日本一6回の中心となった清原和博氏、不動のショートとして9年間背番号3を着用した中島裕之選手(現巨人)、主将と背番号3を同時に引き受けた浅村栄斗選手(現楽天)の5名。なお、ここでは背番号3を着用した期間の成績を見ていきたい。

求められるのは広角打法?「逆方向の打球割合」に注目

 まず、共通する部分が多かったのは「広角に打ち分ける能力が高い」ということだ。全安打数に占める逆方向への打球の割合を見ると、大下氏は約27%、清原氏は約28%、浅村選手は約27%の成績を残している。これは安打の約3分の1を逆方向に放っていることを意味する。中島選手も通算では約23%だったものの、2009年には全173安打の内、53本(約31%)を右翼方向に放っている。

 一方で、山川選手の成績に目を通してみると、通算398安打のうち右翼方向に放った安打は34本のみ。全体のわずか9%であり、典型的なプルヒッターであることがわかる。前任者では、土井氏が通算約14%という成績を残しているため、タイプとしては近く、理想的な状態であるともいえる。

 ただ、春季キャンプでは打撃練習から右方向へ意図的に打球を打ち分ける姿も見られ、打撃フォームも従来のフルスイングを残しつつ、足を挙げる動作などを小さくしたコンパクトなものに微調整。新背番号を機に広角打法を身につけ、主砲としてもう一段階の進化を狙っている。

強打者そろいの打線をけん引する勝負強さは不可欠

 もう1つの共通部分として「勝負強さ」が挙げられる。背番号3としての得点圏打率では、大下氏が.280、土井氏が.285、清原氏が.278を残し、年単位で見れば3割を超える年もあった。さらに、2000年代に入ると、中島選手が通算.316、浅村選手が.328の好成績をマーク。特に2009年の中島選手は得点圏打率.382という圧倒的な勝負強さを見せていた。

 山川選手も、2017年に規定打席未到達ながら得点圏打率.353、2018年には同.310とOBにも決して劣ることのない勝負強さを発揮している。2019年はシーズン中盤の不調も響き、同.261とやや成績を落としてしまったが、終盤には本塁打にくくらずに走者を返すチームバッティングに徹する姿も見られた。

 また、昨年オフに秋山翔吾選手がメジャーへ移籍。チーム屈指のリードオフマンを欠くことは、強打者がそろう埼玉西武でも得点機の減少に結びつく可能性がある。今季は山川選手の得点創出により一層の期待を寄せたいところ。

「15代目背番号3」の山川穂高が先輩たちを凌駕するもの

 ここまでは、過去に背番号3を着用したOBの優れた成績を取り上げてきた。しかし、山川選手には先述した5選手を大きく上回る強みがある。それは「本塁打力」だ。昨季は、日本人史上最速となる321試合で100本塁打の大台に到達。割合で見ても、プロ6年間で398本の安打を放ったが、うち129本が本塁打という成績だ。本塁打率.324という数字は、過去の背番号3の歴史でも出色の数字と言って間違いないだろう。

 本塁打では、土井氏や清原氏の成績は素晴らしいものである。ただ、両氏ともに本塁打率が3割を上回った年はない。打球をスタンドに打ち込む能力の高さは、間違いなく山川選手が持ち合わせている最大の「武器」と言えるだろう。昨年は2018年から守り続けてきた4番を、中村剛也選手に「返還」する苦い経験もあった。3年連続の本塁打王獲得に向けて、まずは4番に返り咲くことができるか。

 山川選手は自ら進んで7年間慣れ親しんだ「33」からの変更を申し出た。先述した「勝負の3年目」に、あえて大きな重圧のかかる番号を継承する。もちろん、「広角打法」と「勝負強さ」は大切な要素だ。ただ、当然のことながら過去の14人の「先輩」たちがすべて同じではない。チームは70周年。山川選手がその歴史に新たな1ページを加えるには絶好のチャンスだ。

【ライオンズ背番号3の歴史】
楠協郎(1950)
新留国良(1951)
大下弘(1952~1959)
広野功(1968~1970)
榎本喜八(1972)
福富邦夫(1973~1974)
土井正博(1975~1981)
ジェリー(1984)
清原和博(1986~1996)
玉野宏昌(1997~1999)
フェルナンデス(2000)
マクレーン(2001~2002)
中島裕之(2004~2012)
浅村栄斗(2017~2018)

文・吉田貴

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