食べないのは悪?子の偏食に悩む親たちへ
連載も後半に入りました。4回目は「大人のサポート」をテーマに、お話します。子どもたちが野球をする上で、保護者や指導者といった大人の力は欠かせないと思います。自分自身も周りの大人の力がなければ、野球を続けるのも、プロになる目標をかなえるのも難しかったと強く感じています。
子どもにとって最も身近な大人は親であるケースが多いと思います。自分が父親になり、息子が少年野球をするようになって、両親の苦労をあらためて実感するようになりました。私は小学生の時に地元の少年野球チームに入っていました。練習は週に5~6日。平日は学校が終わってから練習、土日祝日は朝から夕方まで丸一日練習か試合でした。
まず、少年野球をする子どもを持つ親が直面するのが送迎です。私の両親は共働きで、どちらも平日はフルタイムで働いていました。土日の朝くらいはゆっくり眠りたいはずですが、早起きして試合会場まで主に父が車で送ってくれました。場所によっては片道1時間以上かかるところもあります。当時はナビがなくて地図頼みだったので、初めての球場に行く時は早めに家を出ることもありました。
3つ年上の兄も野球をしていたので、両親が手分けをして送迎するケースもあります。母は家族の中で一番早く起きて、息子2人分の弁当を作るわけです。
試合が終わって自宅に戻るのは夕方、夜になります。母は、そこから掃除、洗濯、夕食の準備を同時に進めます。ユニホームを洗っている間に、掃除をして、買い物に行って食事を作ります。
私は食欲があるタイプだったので、食事の用意は大変だったと思いますね。肉を中心に、丼2~3杯くらいのご飯を食べていました。子どもの頃は偏食で魚や野菜が苦手でしたが、私の好みを尊重して、上手くバランスを取って作ってくれました。好きな物を減らして食べる量自体が減ってしまうよりも、好きな物をたくさん食べて苦手な物も少しずつ食べられるようにする方法です。
苦手な食べ物が多すぎると箸が進みません。大人になって食べ物の好き嫌いはなくなったので、当時の食事が良かったのだと感じています。苦手なものは量が少なくても構わないので、子どもの頃から何でも食べるようにすると、苦手意識はなくなります。
現役を引退してアカデミーコーチをするようになってから、保護者の方に食事について聞かれる時は、自分の経験をベースにお答えしています。まずは好きな物を中心にしっかりと食べさせる。とにかく量を食べられるベースを作ることが大事と考えています。その中で、食物繊維やカルシウムといったものも少しずつ摂るようにすると良いと思います。
初めての寮生活で実感した母の偉大さ
母の苦労を初めて実感して感謝したのは、高校生の時です。全寮制だったので、自分で掃除や洗濯をするようになりました。朝は5時半に起きて寮の掃除から1日が始まり、授業と部活が終わって寮に戻るのは午後8時くらいです。疲れてはいますが、洗濯しないと、あす学校に着ていくシャツや部活の練習着がありません。洗濯をしている間に自主練習をして、夏服の場合はアイロンをかけていました。
高校に入るまで両親が当たり前のように続けてくれたことが、いかに大変だったかを知りました。母親が私たち兄弟の前で弱音を吐くのを聞いたり、つらい表情を見たりした記憶はありません。月並みですけど、やっぱり両親への感謝の気持ちは芽生えましたし、優しく接するようになりました。
私は中学3年生頃からプロ野球選手を目標にしていましたが、両親から「プロになれ」と言われたことはありません。ただ、父親には「自分で決めてやるのであれば、一番になるつもりでやりなさい」とよく言われていました。母は野球のプレーや取り組み方について、ほとんど何も言いませんでしたが、今でもはっきりと覚えている記憶があります。
小学校高学年の時、試合帰りの車中でした。チームメートの親子と乗り合いで車に乗っていたのですが、その日は試合に負けて自分自身も活躍できませんでした。チームメートの母親が気を使って「みんな頑張ったから仕方ないね。鉄平君も頑張ったね」と声をかけてくれました。
すると、私よりも早く、母が「頑張るのは当たり前で、結果を出さないと意味がないでしょ。あんたは、もっと頑張りなさい」と反応したんです。プロ相手に言うような内容だったので、今でも覚えています。きっと、その試合で不甲斐なさや頑張りが足りない部分を感じていたのだと思います。
子どものタイプや各家庭の考え方があるので、土谷家の教育方針がモデルになるとは限りません。個人的には結果を求められるプレッシャーを嫌だと感じたことはありません。野球が好きで、野球中心の生活を送っていたので、結果を出すのは当然だと思って取り組んでいました。父や母との衝突もなかったですね。
両親に加えて、大きな影響を受けた大人は、小学校時代の監督が思い浮かびます。「ミスや失敗は構わないが、なにくそという気持ちを持て。次は成功させる、もっと上手くなるという気持ちでやりなさい」と繰り返し言われました。言い方を変えると、「負けず嫌い」という表現です。できるようになるまで、何度も練習しました。時代の変化なのか、最近は耳にする機会が減った「なにくそ」が、小学生からプロまで野球をする上で自分の根底にあったと思います。
私自身は今、少年野球をする息子の父親であり、野球を教える指導者でもあります。子どもたちを支える大人の役割は、「最大限、環境を整えること」にあると考えています。大人は子どものプレーを直接助けられません。練習だけではなく、体を成長させる食事や睡眠のサポートも含め、子どもが頑張れる環境づくりが重要です。
「最大限」と言葉をつけたのは、それぞれの家庭ができる限りの後押しをすれば良いと考えているからです。私も土日に仕事が入れば、息子の練習や試合に参加できない時もあります。体調がすぐれない日もあると思います。無理のない範囲で、子どもたちをサポートしてください。
そして、もう1つ。最近思うようになったのは、子どもに言い過ぎないことの大切さです。口を出し過ぎると、発想力や自主性などが育たず、成長を妨げてしまうと感じます。それぞれの子どもに、やってみたい打ち方や投げ方があります。大人は、まず様子を見るのが大事。子どもは自ら動き出すと、工夫や改善する方法を考え始めます。考える力が少しずつ育まれるわけです。
ただ、即効性があるわけではなく徐々に変わっていくので、保護者も指導者も我慢して待つ気持ちが必要です。口を出したくなるのはよく分かりますが、見守りましょう。子どもたちの成長には、大人の力が不可欠です。
読者からの質問コーナー 教えて! 鉄平先生!
Q.現役時代に対戦して、一番嫌だった投手を教えてください。
A.北海道日本ハムの武田勝さんです。投球フォームと球筋、どちらからも直球か変化球かを見分けるのが難しい投手でした。極端に引っ張りにいったり、手元のギリギリまで投球を見たり、スライダーだけを狙ったり、ノーステップでスイングしたり、いろいろと試しましたが何をやってもタイミングが合いませんでした。2009年に連続試合安打が24で止まった時も、武田勝さんが先発でした。
Q.中日から東北楽天に移籍した時は、どんな気持ちでしたか?
A.寂しさ半分、ワクワク半分くらいでした。生え抜きとして最初に入った球団で花開いて、そのまま現役を終えたいという思いが叶わなくなった寂しさはありました。ただ、楽天イーグルスという新しい球団でチャンスをもらえるワクワク感もありました。当時はファームでの打率が3割4~5分くらいだったので、球団は22、23歳の若手をトレードに出さないと思っていました。移籍は想像していませんでした。
Q.他の競技のアスリートになるなら、どのスポーツがいいですか?
A.バスケットかサッカーです。ジャンプとボールを投げることが得意だったので、バスケットに生かせた気がします。3ポイントシュートやリバウンドも好きでした。サッカーは利き足が左だったので、ストライカーとして向いていたのかなと思っています。一番苦手な競技は水泳。全く泳げません。水の中では無力です。
過去の連載
【Vol.1】子どもが「プロ野球選手になりたい!」と言ったら親はどうするべき?
【Vol.2】軟式か硬式か。高校は強豪校に入るべきか。悩める進路の話
【Vol.3】鉄平流・プロになるための練習
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