【レッズ・秋山翔吾のシンシナティ・ノート Vol.4】栗山さんの背中

氏原英明

 今季からレッズに移籍した秋山は埼玉西武ライオンズ在籍時代、4度の最多安打者のタイトルをはじめ、首位打者(1回)、三井ゴールデン・グラブ賞(6回)、ベストナイン(4回)など輝かしい成績を収め、NPBでは2位となる739試合連続フルイニング出場を果たした。試合後すぐに、室内練習場での打ち込みを行うなど努力家としても知られるが、ただ盲目的に努力を続けたわけではない。先輩の背中を追うなかで、自分のすべきことが明確にして正しい努力をするようになった。

 シンシナティノート第4回は、秋山がどのようにして、自分を奮い立たせてきたのか。彼がずっと追いかけてきた先輩の存在、そして、レギュラーを掴んだ時から始めた「ひとり親支援」についての想いを語った。
(文・氏原英明、編集・パ・リーグインサイト編集部)

過去の連載はこちら
【Vol.1】経験しないとわからない想定外の話
【Vol.2】右も左もわからない……どうなるキャンプイン
【Vol.3】ライオンズ時代のチームメイトや同級生を、僕はこう見ていた

栗山さんの年齢まで野球をやりたい

 日本ではキャリアを積み重ねることができましたが、僕にとって、一番大きかったのはチームメイトの存在でした。なかでも、栗山(巧)さんがいなかったら、ここまで頑張れなかったというのはあります。栗山さんがずっとバットを振っていた姿というのは、目に焼き付いています。自分の中で何か折ってはいけないものを持ち続けているように感じました。文章で言えば「真摯」という言葉が一般的になるかもしれませんけど、僕の場合は「抗う」とか「肩ひじ張って」というか、何か譲れないものを守っているような印象でした。

 栗山さんが練習している姿を見て「やっぱり俺はあの年齢まで野球をやりたいな」といつも考えさせてくれました。僕から見て栗山さんは5歳上なんですよ。つまり、5年後の自分を想像したときにあの姿になっているかどうかっていうのを常に持つことができた。つまり、一緒に現役を続ければ続けるほど、もう5年やらなきゃいけないと思い続けられた。

 栗山さんが伝えたいものと、僕が今感じているものって違うかもしれないですけど、でもやっぱり栗山さんに言われた言葉はすごく刺さりましたし、重みを感じました。特に覚えているのが、ある試合でバントを失敗してその日、トレーニングをしていたら、ウエイトルームにいた栗山さんから「お前こんなところでトレーニングやっている場合じゃない、早くバントやってこい」と言ってくれたんです。今ってわざわざそういうことを言う人っていないんですよね。

「この失敗はチームにとって大きい」から今何をすべきか。それを認識させてくれたのが栗山さん

 コーチでさえ選手の顔色をうかがわなきゃいけない時代になっているじゃないですか。でも栗山さんはご自身がバント失敗をしたときに(バント練習に)行くわけですよ。自分が身をもってやる。「この失敗はチームにとって大きい」と、今自分が何をしなければいけないというところを認識させてくれた。バント練習なんてもちろん楽しいわけじゃないし、みんな打ちたい。そのなかで、こういうことも苦しい時にやらなきゃいけないということを僕は伝えられた気がしました。

 僕も同じことを若い選手に言ったことがあったんですけど、ダメでしたね。それはは、僕の説得力とか、人間的に「この人の言葉を聞いてどうなる」という想像がついて伝わらなかったんだろうなと思います。受け取る側の問題じゃなくて、受け取らせるような言葉の人間かどうかという意味において、この差は大きいですよね。だから栗山さんの深みっていうのは余計に感じます。

 プロ1年目の時に「栗山の練習する姿だけ見ておけ」と当時のコーチに言われたことからその姿勢を見て学ぶようになりましたけど、一緒に9年間やらせてもらったのは大きかったです。練習をすれば上手くなるというよりは、練習をやめた時に自分に説明がつかない。また、逆も同じで結果が出た時にも理由がつかないということです。その日その日で結果が出るとか、ラッキーが転んでくるっていう処理の仕方はしていないので、今のトレーニングであり、何かに抵抗している姿が、何かの時に返ってくる。自分をどこかで助けてくれるんじゃないかと思って継続することができた。その姿を一番想像しやすく見させてもらったのは栗山さんでした。

ひとり親支援を続けるために、自分がどういなければならないか

 一方、ライオンズ時代に続けてきたことの一つとして「ひとり親家庭」の支援活動があります。この取り組みを通して思ったのは続けてきたからこそ広がったものがあったなということですね。招待した時に自分が試合に出ないという状況にはなりたくないですよね。今日の試合に出るかどうかは僕が決められないので、試合に出たい、出なきゃいけないんだというのを想いながらできたのは大きかったです。

 初年度は深くは考えていなかったですけど、「来年続けますか」と聞かれたときに、続けるんだったら、しっかり試合に出られるように結果を残しておかないといけないと思いますからね。結局、人に何かをしているようで、自分に返ってきていたんだなと思います。そのなかで招待した方が喜んでくださったり、貴重な経験、時間になりましたと言ってもらえることもあったので、続けていくモチベーションになっていました

 たしか、2015年に始めたんですよ。でも、この時はレギュラーが確約していたわけじゃなかった。ただ結果が出始めたシーズンでもあって、フルイニングもこの年からなんですよね。振り返るとあの年に始めたことが多かった。オフのトレーニングもそうだし、身体に関して興味がわいてきたり、球場外のこと、いろいろ重なっていました。それが「力になった」というと軽い説明になっちゃいますけど、続けるために自分がどういなきゃいけないのかを持ち続けられる理由の一つになっていたと思います。

 それに、ひとり親家庭の支援活動のイベントがある日は、活躍したことが多かったんです。デーゲームの時に招待するんですけど、朝しんどくても練習が終わったあとバックネット裏で写真を撮ったり、コミュニケーションを取る。試合に入ると、彼らが見ているという意識になりますよね。野球が好き・嫌いとか、ライオンズが好き・嫌いであるとかは置いといても、彼らが誰をまず観に来ているかとなったら僕じゃないですか。そのなかで全く結果が出ませんでした、でもチームは勝ちましたと言ってもその人たちの思い出に残りにくい。そういう意識は常にありました。試合を終えてほっとした表情を見せたりしたのは、その想いがあったからだと思います。

 レッズでもこの取り組みは継続していこうと考えています。続けなきゃいけないというより、今回はこっちで「ひとり親家庭の支援」というのがどれくらいのものなのか。海外の方を呼ぶとなれば何が必要かもわからないですけど、野球選手である以上、つながりは大事にしたい。レッズはそういうのに力を入れているところもあるので、今までと違う緊張感もあるし、必要だなって思って続けます
 
 そのためにはまず試合に出られるかどうかっていうのもあります。まだ開幕がどうわからないですけど、どれだけ試合の開催時期が流れても結果を出すことを求められているし、そういう契約もしてもらってる。その期待には応えたい。結果を残さなきゃいけない立ち位置にいると思っています。

今回のプライベートショット

自然豊かなシンシナティ。レッズ本拠地のグレート・アメリカン・ボール・パークから北上した地域ではこのように普通に動物たちを目にします。

バックナンバー

【レッズ・秋山翔吾のシンシナティ・ノート Vol.1】経験しないとわからない想定外の話
【レッズ・秋山翔吾のシンシナティ・ノート Vol.2】右も左もわからない……どうなるキャンプイン
【レッズ・秋山翔吾のシンシナティ・ノート Vol.3】ライオンズ時代のチームメイトや同級生を、僕はこう見ていた

記事提供:

氏原英明

この記事をシェア

  • X
  • Facebook
  • LINE