【レッズ・秋山翔吾のシンシナティ・ノート Vol.3】ライオンズ時代のチームメイトや同級生を、僕はこう見ていた

氏原英明

2020.5.25(月) 19:00

 シンシナティノート第3回は「ライオンズ時代」について振り返ってもらった。

 2015年にシーズン最多安打記録を樹立した秋山翔吾選手だが、その道のりは決して平坦ではなかった。秋山の同学年には高卒組では、田中将大(ヤンキース)坂本勇人(巨人)前田健太(ツインズ)らがいて、大卒組では、常に、同世代の話題をさらってきた斎藤佑樹(北海道日本ハム)や大石達也(元埼玉西武)、プロ入り後にブレークをした柳田悠岐(福岡ソフトバンク)などいわゆる豊作世代のライバルを相手にしなければいけなかった。

 そうした状況下の中にあって秋山は自身の将来をどう創造して今の地位を築き上げてきたのだろうか。才能だけでやるタイプではない秋山はどう周囲との距離を埋めてきたのかを語り尽くした。
(インタビュー&文・氏原英明 編集・パ・リーグインサイト)

過去の連載はこちら
【Vol.1】経験しないとわからない想定外の話
【Vol.2】右も左もわからない……どうなるキャンプイン

目標は「トリプルスリー」と言ったものの……

 入団当初、目標は何ですかって聞かれた時に、答えるのがすごく難しかった。その中で「トリプルスリー」というフレーズを何回か出したと思うんですけど、でも、現実的にトリプルスリーが見えていたかと言われればそうではないです。そういう選手になりたいなと思ってはいましたけど、それこそ「ライオンズの秋山(幸二)」という名前にだいぶ引っ張られていたところがありました。

もちろん、その恩恵を受けていました。秋山さんと対談をさせてもらうこともありましたし、そのことで、まずは「ライオンズの秋山」として覚えてもらうのは早かったですから。もちろん、覚えてもらって良かったことの方が多いです。ただ、当時の自分自身がどういうプレーヤーなのか、見えていないわけではなかったんですが、「ライオンズの秋山」として(トリプルスリーは)言わされていたところも20%くらいあったとは思います。

 僕らの世代は高校から入団した人たちがすでに活躍していました。田中、前田、坂本ですけど、大学経由で入団した僕が、彼らに追いつきたいとは全く思えなかったですね。全く別次元というか。それは侍ジャパンに行くようになっても、変わらなかったです。

坂本と柳田には引退するまで勝てない

 2015年にシーズン最多安打記録を樹立したことで「イチローさんを超えた」ということも言われましたけど、試合数は僕の方が多いわけですから、このフレーズだけが一人歩きしているなとは感じていました。ただ、この記録がなかったら僕を表現するものって何なんだろうな、と考えると大事なものであるのは間違いないです。

 例えば、三井ゴールデン・グラブ賞やベストナイン、最多安打などのタイトルは、年間一人は必ず出るものじゃないですか。しかし、あの記録があるおかげで僕のことをより覚えてもらうものになったと思います。ただそれでも、やっぱり坂本に勝てないと思っています。田中と前田は既にメジャーに行っていましたから当然として、ここ数年は坂本と柳田には引退するまで勝てないと感じていました。

 その違いは何かというと、陽の当たり方でしょうね。球団の人気も関係してのことですけど、彼らはずっと陽の当たるところにいるので、すごくプレッシャーがあると思うんですよ。それでもずっと結果を残し、応援されている。それがあるから、僕はずっと裏だという意識でいたし、だからこそ、負けたくないという思いを持ちながらやってこれた要素であると思います。

優勝できたのは4人の力が大きかった

 2015年の記録の後、最後の2年はリーグ優勝することができました。もちろん、自分一人で勝つことはできないですが、1番やキャプテンという引っ張る立場になって優勝できたことには喜びはありました。ただ、やはり、今のライオンズは僕より下の世代の若手、山川穂高、森友哉、源田壮亮、外崎修汰。この力がある4選手がレギュラーに入って経験を積んだことがチームとして大きかったと思います。

 それはかつてのライオンズが栗山(巧)さんや片岡(治大)さん、中島(宏之)さんと、中村(剛也)さんが主力になった時と同じで、チームを最終的に回していたのはあの4人の力があったからと思うんですよ。経験者である僕とか2018年では浅村や銀さん(炭谷銀仁朗)、中村さん、栗山さんが後ろにいたのは事実ですけど、それまでのライオンズはちょこちょこ選手は出てきそうだったけど、日替わりレギュラーみたいなポジションが結構あった。その中からあの4人が出てきたおかげで優勝できたと思います。

 だから、僕は、浅村や銀さん、栗山さん、中村さんと同じように“チームが勝てなかった時から変わらずに出ていた選手の一人だった”という捉え方をしています。最終的に連覇を実現させたのは、監督の力と思いますけど、何かを変えるきっかけとしてあの4人の存在が必要だった。源田の守備が安定していて、中村さんに強力なライバル・山川が現れて、捕手として森が育って、パンチ力があって、みんなが困っている時に仕事ができちゃう外崎がいた。

 おそらく、2008年の優勝時も、4人の背中を押す人たちがいたと思うんですよ。平尾博嗣さんなのか、佐藤友亮さんだったかはわからないですけど、僕自身がそういう立場になって、優勝できたのはうれしかったですね。

ライオンズは「走塁」のチームだと思う

 ライオンズの試合はオープン戦ですけど、アメリカにいても見ていました。やっぱり、よう打ちますよね。オープン戦のまだ寒い時期でも打っていましたら、すごい打線だし、強いチームだなって思います。

 でも、やはりライオンズは足ですよね。盗塁じゃなくて走塁がいいです。守備とか打つのは個人の調子とか能力とか結構反映されるんですけど、走塁に関して言うと、チームの意識が高ければ個人の走塁力って結構上ると思っているんですよ。ライオンズはヒット1本でホームまで還ってくるケースが多く、手を抜く選手がいないのは大きい。山川にもそういう意識があるし、中村さんにもそういう意識があるから、相手ピッチャーからしたら手を抜けるやつがいないんですよ。

 今後のライオンズついて僕が言えること……本当になにもないです。「頑張ってほしい」っていうのも、なんか上から言っているみたい。だからノーコメントでお願いします(笑)

今回のプライベートショット

ツインズ前田健太投手からいただいたTシャツです。

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