埼玉西武ライオンズには欠かせないムードメーカーの2人がいる。岡田雅利選手と熊代聖人選手だ。岡田選手は強気のリードで投手を引っ張るキャッチャーで、熊代選手は内外野から捕手までこなすマルチな守備職人だ。
彼らは持ち前の明るさでチームを盛り上げる。トークショーに出れば、最前線でファンを楽しませる。しかし試合になると表情は真剣そのものだ。ベンチスタートでも一球一球をじっと見つめ、手をたたき、声を出す。ベンチに戻る仲間を迎え、来たるべき出番に備える。試合に出れば、全力でプレーする。自分の役割を真摯に見つめている彼らのチームへの思いとは。
チームをまとめる「訓示」。ベンチにいる若い選手への思いも
2019年シーズン、埼玉西武はパ・リーグ2連覇を達成した。オフにキャプテン・浅村栄斗選手、炭谷銀仁朗選手、菊池雄星投手が移籍。「戦力ダウン」は誰から見ても明らかだった。それでも、「開幕当初からチームのまとまりはあった」と熊代選手は言う。
熊代選手「スタートダッシュって意味ではあまり良くなかったかもしれないですけど、みんなの勝ちたい、勝ちたいって気持ちが強かったので、その表れかなと。ライオンズはレギュラー陣一人ひとりがすごい。みんなが引っ張っていたような感じかなと思いますね」
チームは優勝したものの、岡田選手は8月初め、試合中のクロスプレーで左親指を痛め戦線離脱。チームの盛り上げ役、そして戦力としてその存在の大きさは当時、首脳陣の口からも語られた。「岡ちゃん(岡田選手)が離脱して、さみしかった」熊代選手はそうつけ加えた。
そんな熊代選手は2018年の途中からホームゲームの試合前、セカンドアップ時に「訓示」を行う様子がファンの間でもすっかり定番になった。「真面目なことも言いつつ、笑わしたい」と手を変え品を変え、仲間を盛り上げる熊代選手の苦労はしばしば話題になる。
岡田選手「やる方はしんどいと思いますけど、それでチームが一体になろうっていうのもありました。ファンのみなさんもそうですし、チームが一体になるっていうのはすごくいいことだと思います。あれで勝ったって言ってもおかしくないくらいで……」
岡田選手の賛辞に、「それは言い過ぎや」と照れ笑いをしながら熊代選手が続けた。
熊代選手「ホームゲームの時に毎日やっていると、みんなも聞きたくない時とか、もうええよって思ってるときもあると思うんですよ。でも、どう思われようがやらなきゃいけないというか、それでも鼓舞したいって気持ちはあります。我々としては試合に出る機会が少ないので、そこでちょっとでも気持ちは伝えたいなっていうのもあります」
試合前だけでなく、試合中もベンチで声を出す2人。2019年シーズンは若手が起用される機会も増え、ベンチに若い選手がいることも多くなった。そんな中、声出しや盛り上がりが偏ってしまうこともあるという。
岡田選手「正直、若い子は気を使う部分もありますし、そこでもう一個若い子から内容のある声を出せたら、もっと殻も割れていくと思います。年上の方もどんな声出しても気にする方はいないと思うので、もっとね。試合に出ていても出なくても、同じような感じでベンチにいるというのは必要なんじゃないかなって思います」
熊代選手「ベンチにいても試合に入っているっていう。試合に入っていたら自然とどういう声をかけたらいいとか、どういう風にしたら盛り上がるとかは、多分わかると思うので。若いので気を使ったり、試合展開が読めなかったりと難しいところはあると思うんですけど、それも勉強だと思うので、どんどん声を出して欲しいなという気持ちもあります」
節目となる30歳。野球を語り合う同級生と、仲間の引退
30歳という年齢は、プロ野球選手としては大きな節目だ。2019年シーズンに30歳になった埼玉西武の1989年度生まれは2人をはじめ、水口選手、武隈選手、中田祥多選手、斉藤彰吾選手。年齢と周囲の視線についてはこう語る。
熊代選手「我々は永遠の若手。キャラが濃いというか、そういう年代(1989年度生まれ)。先輩方からもいじられたりもしますし、むしろ後輩からも言われたりとかもある年代なので、あまり変わりはないです。自慢ではないですけど、水口、武隈と同級生がいて。多分、我々の代が一番……」
そう言いかけて、「いや、こんなこと言うのやめておこうか」と笑いながらも熊代選手は続ける。
熊代選手「でも、一番周りが見えてると思いますし、野球について語り始めたら、めちゃくちゃ語るんです。全員。(岡田選手は)キャッチャーなので、キャッチャー目線ならどうなの、と聞いたりもします。僕は外野が基本なので、外野はこうとか、水口だったら内野はこうだとか。ちょうど内野、外野、キャッチャー、ピッチャー、ってそろっているので。そういう深い話もしますね」
同級生については「飲みに行ったりしても結局野球の話になる」と岡田選手も言う。
岡田選手「裏に徹するときは徹する、ということができる年代だと思います。僕らも試合に出ればなんとか活躍して、というところもある。そういう部分ではいい感じで野球やってるなって思いますね」
シーズンが終わり、中田選手、斉藤選手が引退を決意。同年代のチームメイトの引退は2人にとっても他人事ではなかっただろう。
熊代選手「まずは本当にお疲れさま、というのと、同級生が、という思いはあります。引退した2人の分もという言い方があっているのかはわからないですけど、我々でやってやろうぜって気持ちはあります」
「徹するところは徹する」。プロで生き残るための、自分の役割と武器
今後野球を続けていくために、プロでやっていくために自分が何をしていくのか。チームでの立場と役割について2人はこう語った。
岡田選手「僕は、森(友哉選手)が正捕手って言われていて、その後に、『岡田がいるから安心だ』という風にチームから思ってもらえるのが一番の仕事だと思います。森に何かあったら自分がその次にいて、チームを変わらず、さらに強くするくらいの気持ちはずっと忘れずにやりたいですね」
熊代選手「僕も同じように『熊代がいるから若い子を起用できる』とか、そういう風に思ってもらえるっていうのが自分の役割だと思っています。それに徹するところは徹してやらないと、何のために経験をさせてきてもらっているのか、というのもあるので。若い子にもいいお手本にもなるようにやらなければいけないなと思いますし、『いや、熊代はいないとだめだろ』って思ってもらえるように、そこは野球にしても、ベンチワークにしても頑張りたいです」
2人の口にした「役割」はいわば縁の下の力持ちだ。自分が前面に出るわけではなく、あくまで周囲のサポート。もちろん、それも立派な仕事で、欠けてはならない存在であることに違いはない。そしてその一方で、「試合に出たい」という気持ちは決して薄れてはいないという。
熊代選手「もちろん、その気持ちがなくなったら野球選手として終わりだなと思っています。でも、徹するところは徹しないと。やっぱりチームでやっていることなので。最前線で出てやる選手がいれば、後ろを守る選手もいないとチームは成り立たない。そういうのも分かった上で僕らもやっているつもりなので。出たい気持ちは常に持っていますし、『うかうかしていたら、やっちゃうよ?』くらいの気持ちは持っています」
最後はおどけながらも、その目は真剣だった。「出られるところはしっかり自分で作ることが大事だと思う」と岡田選手も続けた。プロでやっていく、ということは並大抵の能力でできることではない。それぞれが自分の一番の強みを持ち、それを武器にチーム内の競争に挑む。2人は自分の武器をこう表現した。
岡田選手「僕がサインを出すことで『あ、今日、岡田こんな配球するんだ』っていうのが周りに見えると思うんです。(森選手とは)違うことを考えられる配球で、チームをガラッと変えられるというのは強みですね」
熊代選手「僕は守備が自分の中で自信があるので、例えば、誰かに何かがありました、途中からいきました、という守備固めでもそうですし、『熊代のところに飛べば大丈夫』と。そう思ってもらいたいですし、思ってもらわないとダメだと思います」
何歳まで野球を続けたいか。そう問うと、「理想と現実はね、かけ離れているんですけど」と熊代選手が前置きしてから口を開いた。
熊代選手「やっぱり身体が元気なうちはできるところまでやりたいです。だから、40歳近くまでやりたいです」
岡田選手「節目で30歳なので、最低でも40歳まではやりたいですね。キャッチャーで」
岡田選手は熊代選手に「無理やろ」とぽつり。その言葉に熊代選手「ボロボロになるかな」と言いつつ、「40はやりたいよね」。2人は大きくうなずいた。
彼らは自身の立場を客観的に見つめ、プロで生き残るために「個」よりも「チーム」として戦う。そこには確かにプロとしての覚悟が、自覚があった。「岡田が、熊代がいるから大丈夫」――それが彼らの選んだ道だ。
取材・文 丹羽海凪
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