松坂投手がライオンズのユニフォームに袖を通すのは、実に14年ぶり
かつて一世を風靡した「平成の怪物」が、14年ぶりに所沢の地へ帰ってくる。松坂大輔投手は1999年に西武ライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)に入団。高卒1年目から3年連続で最多勝のタイトルを獲得する離れ業を演じ、8年間にわたってエースとして活躍してきた。
松坂投手が2006年オフにチームを離れてから今オフに古巣に復帰するまで、干支が一回り以上するほどの長い年月が流れた。当然ながら、当時とは多くの事象が変化している。だが、その一方で、当時から今までライオンズ一筋でプレーを続けている選手もまた存在するのだ。
今回は、前回松坂投手が在籍していた2006年に埼玉西武の一員だった選手たちの現在や、現役時代に松坂投手と共にライオンズでプレーした経験のある埼玉西武のコーチ陣を紹介。過ぎ去った年月に思いをはせるとともに、「平成の怪物」の復活に期待を寄せたい。
当時からライオンズ一筋を貫く2名は、ともに球団のレジェンドに
松坂投手が前回在籍した2006年に埼玉西武に在籍していた選手のうち、現在に至るまで移籍することなくプレーを続けている選手は、栗山巧選手と中村剛也選手の2名のみ。36歳となった昨季も主力としてチームのリーグ連覇に貢献した両ベテランの、2006年当時の成績を見ていこう。
栗山巧選手
2006年成績:63試合 142打数38安打 2本塁打22打点 3盗塁 打率.268 出塁率.350 OPS.730
22歳で迎えた2005年に84試合で10本塁打、打率.297、OPS.812と活躍した栗山選手だったが、2006年はやや成績を落とす苦しいシーズンに。それでも、それから2年後の2008年には138試合に出場して11本塁打、打率.317と好成績を残してレギュラーの座をつかみ、167安打で自身初タイトルとなる最多安打も受賞。その後は長年にわたって外野のレギュラーとして活躍を続け、今や球団安打記録を保持する獅子のレジェンドとなっている。
中村剛也選手
2006年成績:100試合 283打数78安打 9本塁打29打点 4盗塁 打率.276 出塁率.359 OPS.787
同い年の栗山選手と同じく、中村選手も前年の2005年に80試合で22本塁打、OPS.923と活躍したが、続く2006年は栗山選手と同じく伸び悩んだ。そして、2008年に一躍大ブレイクを果たしたのも同様だった。46本塁打、101打点、OPS.889の大活躍で本塁打王を獲得すると、その後は6度の本塁打王、4度の打点王、歴代最多20本の満塁本塁打、球団の通算本塁打記録の更新と数々の快挙を成し遂げ、球史にその名を刻む名選手となっている。
他球団に渡った、2006年の同僚たちの現在は?
また、2006年に西武に在籍し、2020年も現役としてNPBでプレーを続ける選手は、栗山選手と中村選手も含めて全部で7名。現在埼玉西武以外の球団に在籍している5名の選手についても、先述の2選手と同様に2006年の成績を振り返っていきたい。
涌井秀章投手(楽天)
2006年:26試合 12勝8敗 178回 136奪三振 防御率3.24
高卒ルーキーだった2005年は13試合で1勝6敗、防御率7.32とプロの壁に直面した涌井投手だったが、プロ2年目の2006年に早くも本領を発揮。20歳の若さで一級品の成績を残すと、翌2007年には17勝10敗、防御率2.79で最多勝を獲得。松坂投手の背番号「18」を受け継いだ2009年には最多勝と沢村賞を受賞し、名実ともに獅子のエースとして君臨した。共に新天地で迎える2020年は、新旧エースの投げ合いが実現する可能性にも期待したい。
田中靖洋投手(千葉ロッテ)
2006年:一軍登板なし
2006年がルーキーイヤーだった田中投手は、高卒1年目ということもあり一軍での登板機会はなし。二軍でも1試合に登板して1イニングを投げたのみと、今後に向けた鍛錬の日々を送っていた。しかし、その後はケガに悩まされたこともあり一軍に定着できず、2015年に戦力外通告を受けて千葉ロッテに移籍。新天地では一軍での登板機会を増加させ、2019年には44試合で防御率2.72と、プロ14年目にしてキャリアハイの成績を記録している。
細川亨選手(千葉ロッテ)
2006年:99試合 266打数53安打 7本塁打27打点 0盗塁 打率.199 出塁率.252 OPS.587
細川選手はプロ2年目の2003年から西武の主戦捕手に定着。2006年は故障もあって3年ぶりに出場試合が100試合未満となったが、松坂投手が先発した試合の大半で先発マスクを被り、好リードでエースを盛り立てた。その後も2010年に移籍するまで故障離脱した期間を除いて正捕手の座を譲らず、2008年の日本一にも貢献。その後は福岡ソフトバンク、楽天、千葉ロッテとパ・リーグの球団を渡り歩きながら、息の長い現役生活を送っている。
炭谷銀仁朗選手(巨人)
2006年:54試合 138打数25安打 3本塁打14打点 0盗塁 打率.181 出塁率.193 OPS.483
炭谷選手は2006年に高卒1年目ながら開幕戦のスタメンに抜擢されたが、開幕前に行われたWBCの影響もあり、この年の開幕投手は松坂投手ではなく西口文也コーチ。開幕戦でエースとバッテリーを組むことはかなわなかった。それでも、松坂投手のシーズン初登板となった試合で先発マスクを被り、細川選手が負傷離脱した終盤戦にもコンビを組んだ。細川選手が移籍してからは正捕手に定着し、2019年に移籍するまで主力としてチームを支え続けた。
中島宏之(当時は裕之)選手(巨人)
2006年:105試合 412打数126安打 16本塁打63打点 14盗塁 打率.306 出塁率.368 OPS.849
中島選手は2004年に松井稼頭央氏の後釜として遊撃手のレギュラーに抜擢されると、27本塁打、90打点、打率.287、OPS.853と大ブレイク。翌2005年にはやや成績を落としたが、2006年には故障もありながら自身初の打率.300超えを果たし、確実性を大きく向上させた。そこから5年連続で打率.300以上を記録し、リーグ屈指の大型遊撃手としての地位を確立。2012年に移籍するまで打線をけん引し続け、中心選手として躍動した。
現コーチ陣の大半が、現役時代に松坂投手と共闘した経験を持つ
2006年から今に至るまで現役を続けている選手たちが少なくなっていく一方で、当時を知るコーチの数は徐々に増加している。現在の埼玉西武のコーチ陣はチームOBがその大半を占めており、中には松坂投手と同時期に、ライオンズをさまざまな役割で支えてきた選手たちも多く存在している。
松坂投手がライオンズに在籍した1999年から2006年において、選手として同球団でプレーした経験を持つコーチは以下の通りだ。(役職名は2020年シーズンのもの)
豊田清氏:一軍投手コーチ
西口文也氏:一軍投手コーチ
赤田将吾氏:一軍打撃コーチ
黒田哲史氏:一軍内野守備・走塁コーチ
小関竜也氏:一軍外野守備・走塁コーチ
松井稼頭央氏:二軍監督
許銘傑氏:二軍投手コーチ
杉山賢人氏:二軍投手コーチ
平尾博司氏:二軍打撃コーチ
野田浩輔氏:二軍バッテリーコーチ
高木浩之氏:二軍内野守備・走塁コーチ
佐藤友亮氏:二軍外野守備・走塁コーチ
上本達之氏:二軍育成コーチ
田邊徳雄氏:三軍統括コーチ
青木勇人氏:三軍投手コーチ
球団公式サイトに記載された21名のスタッフのうち、実に15名が松坂投手と同僚だった経験を持つ。松坂投手が入団するまでライオンズのエースを務め、入団後は共に先発陣の主力としてリーグ屈指の2枚看板を形成した西口コーチや、球界最高クラスのクローザーとして2年連続で最優秀救援投手を獲得し、松坂投手にも幾度となく白星をもたらしてきた豊田コーチと松坂投手が再会する構図は、古くからのファンにとっては印象深いものかもしれない。
ほか、2004年には開幕戦で松坂投手と先発バッテリーを組んだ経験を持つ野田コーチや、1990年代終盤から2000年代前半にかけてライオンズの主力として活躍した松井二軍監督、小関コーチ、高木コーチ、佐藤コーチといった面々も在籍。とりわけ、松坂投手とは同期入団の同い年であり、2004年から松坂投手が退団する2006年まで3年間外野のレギュラーとして活躍した赤田コーチは、松坂投手との縁もひときわ深い存在と言えそうだ。
世代のトップランナーとして、令和の時代に復活を果たせるか
かつて球界を席巻した「松坂世代」も、来季でその大半が40歳の大台を迎えることになる。この世代の中で現在もNPBで現役を続けているのは、松坂投手、和田毅投手(福岡ソフトバンク)、久保裕也投手と渡辺直人選手(ともに楽天)、藤川球児投手(阪神)の5名のみだ。世代の中心として長きにわたってトップランナーを務めてきた松坂投手は、不惑のシーズンに不死鳥のごとく復活を果たせるだろうか。
そのためにも、大ベテランとして古巣に帰還して迎える新たなシーズンは、文字通り不退転の1年となることだろう。若かりし頃にともに切磋琢磨し、リーグ優勝・日本一の歓喜も共有した盟友たちのもとで、「平成の怪物」が令和の時代に再び輝きを放つ姿を、今一度見せてほしいところだ。
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