CPBL・中信兄弟を戦力外となった高野圭佑、帰国後は公園で練習する毎日
やはり容易な世界ではなかった。今季、台湾プロ野球(CPBL)の中信兄弟でプレーした高野圭佑は現在、日本で1人黙々と練習を続けている。
昨季終了後に阪神から戦力外となり、12球団合同トライアウト、ワールドトライアウトに挑戦。今年に入って中信と契約を結んだが、渡台するなり新型コロナウイルス感染拡大のためリーグ戦は中断された。うってつけの調整期間と前向きに捉え、2軍で研鑽を積んだ右腕がようやく1軍昇格を果たしたのは10月8日のこと。それでも「手放しで喜べる状況ではない。まだチャンスを与えられただけですから」と状況を見る目は冷静だった。
台湾デビューを飾ったのは昇格2日後、10日の富邦ガーディアンズ戦。5点リードの7回1死満塁で2番手としてマウンドに上がると、先頭に中犠飛で1点を許し、続く8回も2死から1点を失った。結果は1回2/3を投げ、2安打2奪三振1四球1失点。初ホールドもつくなど合格点にも思えたが翌11日、29歳右腕は戦力外となった。
CPBLで1軍登録できる外国人選手枠は4つだけ。高野が1軍にとどまるためには、初登板から完璧なピッチングを見せる必要があった。本人が予想した通り、次のチャンスを掴むためのチャンスを与えられただけ。そして、そのチャンスを掴みきれなかった。
シーズン途中で台湾を離れ、帰国の途に就いた高野だが、戦力外という結果とは裏腹に、その手に掴んだのは確かな手応えだった。
「自分の中では大チャンスが巡ってきたと思ってマウンドへ向かいました。ホールドがつく場面で初登板。1イニング目に犠牲フライ、2イニング目に1点は取られましたが、最悪のケースを防いで先発の勝ち星をキープした。それ以上に、強いストレートで攻めることができましたし、カット、フォークはどちらも球速140キロを超えていて、打者が打ちづらそうな反応をしていた。それがすごく良かったですね」
多くの物を取り戻した台湾の経験、台湾行きにつながった妻の一押し
昨季は故障の影響もあり、最速156キロのストレートは150キロを超えず、目指すピッチングには程遠い状態だった。だが、縁あって向かった台湾で再調整すると、最大の武器でもあるストレートに球速と球威が回復。足の痛みも癒え、体を基礎から作り直し、万全のコンディショニングに整ったことが大きいが、2軍投手コーチを務めるニック・アディトン氏の存在もある。
「投手コーチに『本当はNPBに戻りたいんじゃないのか?』と聞かれて、『もちろん戻りたいですよ』と本音でいろいろ話をしました。その中で『だったら、そのレベルまで持っていかないといけない。そこを目指してやっていこう』と一緒に練習に付き合ってくれました。最後には『素晴らしいものが出来上がったぞ』と言ってくれたのがうれしかったですね」
2軍でがむしゃらに1軍を目指す若手選手たちに囲まれていたことも、プラスに働いた。
「1軍を目指す選手と一緒に練習できたことはいい経験になりました。彼らはすごく向上心が強くて、何としても1軍に行きたい、野球が上手くなりたいという気持ちが伝わってくる。その中にいると、僕も高校や社会人でやっていた時のような、夢中になって上の舞台を目指す気持ちを思い出しました。改めて、少しでも上手くなって少しでも上のステージにいきたいと、より強く意識してプレーできた半年になりました」
1年前はまさか自分がプレーするとは夢にも思わなかった台湾で、これほど多くのものを取り戻すことになるとは、不思議な縁としか言いようがない。そもそも、台湾行きのきっかけとなったワールドトライアウトに参加したのも、妻に「受ければチャンスが広がるんじゃないの?」と背中を押されたから。あの時、妻の一押しがなければ、消えかかっていた野球に対する情熱すら取り戻すことはなかったかもしれない。
もう1度NPBで、という思いを持ちながら、帰国後は自宅近くの公園で練習を続ける。練習相手はいない。
「球技をしてもいい広場があるので、そこにネットを立てて投げています。たまに妻も一緒に付き合ってくれるんですけど。周りから見たら、そこまでするか、という環境かもしれませんが、やっぱり野球が好きだということを確認できたし、台湾で投げた最後の登板で自分の投げる球が通用するものになってきたという感覚を掴めたので」
新庄剛志氏から届いた言葉「誰に負けてもいい」
台湾を離れる時、応援してくれた人たちに一報を入れた。そのうちの一人が今、まさに時の人でもある新庄剛志氏だ。昨年の12球団合同トライアウトで対戦したことをきっかけに交流がスタートし、近況を報告するようになっていた。
「(北海道日本ハムの)監督に就任なさる少し前に、帰国するという連絡をしました。その時に『楽しんで努力して、自分に勝ちさえすれば、誰に負けてもいい。やっていれば誰かが見ていてくれるなって、つくづく思った。これからの人生も楽しむんだよ』という言葉をいただいたんです。めちゃくちゃ深いなと思いましたね。
新庄さんは去年トライアウトに挑戦して現役復帰は叶わなかったけど、結果として1年後にプロ野球のユニホームをもう1回着ることになった。周りは気にすることなく、自分からアクションを起こした結果として今がある。僕にもそういうことを投げかけてくださったんじゃないかと思っています」
自分の気持ちに対して正直に行動すれば、誰かが見ていてくれる――。新庄氏の結果を伴った言葉は、高野の心に刺さった。
「僕が台湾にいる間、日本で活躍する同級生や仲間を見ると、やっぱり羨ましい気持ちや悔しい想いがありました。でも、そこはいくら比べても仕方ない。誰かと比べるのではなく、自分に勝ちさえすればいい。努力していれば誰かが見てくれている。その言葉で、僕が半年間、台湾でやってきたことが肯定された気持ちになりました。勇気づけられましたね。今も練習を続けるのは、たとえ実を結ばなかったとしても、自分でやったという事実を残したいし、自分に勝ちたい。挑戦していきたいと思います」
NPB復帰への道は11月、12月が勝負となる。どんな結果になろうとも、自分に勝つという軸はぶらさず挑み続ける。
(佐藤直子 / Naoko Sato)
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