リアル『MAJOR』。千葉ロッテドラ2・佐藤都志也を担当学生記者が紹介

東洋大学スポーツ新聞編集部

2019.11.20(水) 11:00

千葉ロッテにドラフト2位で指名を受けた東洋大の佐藤都志也選手
千葉ロッテにドラフト2位で指名を受けた東洋大の佐藤都志也選手

「プロ野球ドラフト会議 supported by リポビタンD」で千葉ロッテからドラフト2位で指名を受けた、佐藤都志也選手(東洋大)。これからプロ野球選手としてのキャリアをスタートするルーキーを、東洋大学スポーツ新聞編集部で佐藤選手の取材を担当していた学生記者が紹介する。

大学3年で急成長!!プロ入り果たした先輩たちとの出会い

1年春:打率.000  0安打 0打点
1年秋:打率.500  2安打 1打点

2年春:打率.483 14安打 6打点
2年秋:打率.345 19安打 7打点

3年春:打率.358 19安打 11打点
3年秋:打率.220 11安打 2打点

4年春:打率.306 15安打 3打点
4年秋:打率.302 16安打 13打点

通算 :打率.325 96安打 43打点

 福島県で生まれ育った佐藤選手。いわき市立平第六小3年時に、地域の子ども会でソフトボールを始めた。小学校5年生からはみまやスポーツ少年団で本格的にソフトボールチームに所属。いわき市立平第二中では軟式野球部に入部した。先輩が引退した2年秋から捕手、そして主将になった。高校は福島県の強豪・聖光学院へ。1年秋からベンチ入りを果たし、2年夏、3年夏に甲子園出場。3年夏の甲子園では初戦でその年の優勝校・東海大相模とぶつかり惜敗。佐藤はその年にプロ志望届を提出するも名前は呼ばれず、東洋大へ進学する。

 大学1年春からベンチ入りを果たすと、代打や指名打者として4試合に出場。2年からは一塁手にコンバートし、スタメンに定着するといきなり打率.483で首位打者に。3年からは本職の捕手でスタメンになり、甲斐野央投手(福岡ソフトバンク)、上茶谷大河投手(横浜DeNA)、梅津晃大投手(中日ドラゴンズ)らの女房役となった。さらに同年には、大学日本代表にも選出され「人生で初めての縦じまのユニフォーム」と代表のユニフォームに満面の笑みを見せた。大学最終学年になり前任の中川圭太選手の後を受け主将に就任すると連盟の主将番号である"1"を背負い、主将で捕手で4番というチームの大黒柱に。重責と戦う日々だったが背番号1をつける背中は日を増すごとにたくましくなっていった。

走攻守揃った捕手。パ・リーグ選手に例えるなら

 本職は捕手だが、50mを6秒で走る俊足もアピールポイントの佐藤選手をパ・リーグの選手に例えるなら埼玉西武の秋山翔吾選手にプレースタイルは近いだろう。2年時春季リーグ戦で首位打者を獲得するなど、類まれなるバットコントロールがプロの世界で首位打者を獲得した秋山選手に重なる部分も多い。ここ一番での一発もあり、将来的には捕手としてのトリプルスリーに期待がかかる。

文武両道を貫いた4年間

 東洋大学には2部というイブニングコースを備える学部がある。佐藤もその一人で、朝から練習をこなした後に、夕方から学校で授業を受ける生活。2部の学生の授業が終わるのは夜9時25分。そこから1時間半ほど離れた寮に帰る毎日だった。ハードな日々だが、学業にも手を抜かず、卒業単位は4年春でとりきった。東洋大入学時は知り合いもいない状況だったが、部内で同学部同学科の田中将貴、町田瑛志朗、小並龍馬らと自然に仲良くなった。オフには野球部の仲間とBBQをしたり遊びに出かけることが良い息抜きだった。

最初は嫌だった「捕手・さとうとしや」

 偶然の連続が、リアル『MAJOR』「捕手・さとうとしや」を誕生させた。大ヒット漫画である満田拓也氏の『MAJOR』のキャラクター・佐藤寿也(としや)。ポジションも佐藤と同じく捕手である。名前の由来を母・まり子さんに伺うと「都志也の父の友達が『子どもができたら俺が名前つけてやる』って言って持ってきてくれたのが『とし』だったんです。初めは『さとうとし』だったの。でも私は『さとうとし』ってなんかおかしいなって思ってそれで『や』をつけたのよ(笑)。漢字は当て字。でも「志」って漢字をつけたくて。妹2人も「志」ていう漢字のつく名前にしたんです」と言う。漫画『MAJOR』の連載が開始したのは1994年。佐藤が生まれたのその後の1998年1月27日であったが、「そのときは全然『MAJOR』のことは知らなかった」とまり子さん。

 捕手になったのも偶然だった。中学時代、「最初ショートやっていたんですけど、東日本大震災の影響もあって5人くらい転校してくる人がいて。ライトにも回ったんですけど、結局メンバーから外れました」。そして、3年生が引退した2年の秋から捕手に。「名前が名前なので絶対にキャッチャーはやりたくなかった」と笑って話す佐藤。聖光学院高では「ショートか外野をやろうと思っていた」。しかし「1日でクビになった。『キャッチャーやってたならキャッチャーやれ』って言われてそれからもうずっとキャッチャーです」。こうして「捕手・さとうとしや」が誕生した。プロでは「こういう名前であるからには、名前に負けないくらいに自分の名前を出していきたい」とこの名前を強みにして飛躍を誓っている。

佐藤都志也選手のプレースタイルと将来像

 なによりも「準備」を大切にする佐藤選手。大学1年時、埼玉西武の栗山巧選手の「チームのために準備をしてきた」という言葉に感銘を受け、その言葉や活動や活躍を見て大学生活を過ごし、「自分に芯ができた」という。そんな栗山選手のことが大好きな佐藤が大学からつけはじめた野球ノートにはこれまでの研究がたくさん書かれている。強肩を武器に守備面での貢献だけでなく、50mは5.9秒の俊足も兼ね備えている。

 さらに打撃では、2年春に首位打者も獲得。東都通算100安打には届かなかったものの、6季で通算96安打と驚異的なペースで安打を積み重ねた。「どうせなら100本打っとけって感じですよね(笑)。でもチームのためにと思ってヒットを重ねてきた結果が96本っていう数字に表れていると思う。そういった意味では自分の中ではよく頑張った」と振り返る。

 来年からはピンストライプのユニフォームに袖を通す。「開幕一軍」を目指す佐藤。心の中にある夢は自身が幼いころそうだったように「こうなりたいと思われれるような選手になること」。プロの世界で、その夢を叶えてみせる。

東洋大学スポーツ新聞編集部・川口朋珠

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東洋大学スポーツ新聞編集部

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