
いつも選手の素晴らしいプレーを発信する「パーソル パ・リーグTV(通称・パテレ)」。そんなパテレが外へ飛び出し、選手のもとへ!
初回の「パテレが行く」では、NPB初となるウガンダ共和国出身の埼玉西武 イサビレ・ムサ・アセット投手をパテレスタッフが訪問し、その1日に密着した。
兄弟は20人!? アフリカ出身選手の朝ごはんの様子とは?
2026年に埼玉西武と育成契約を交わしたムサ投手は、実戦経験を積むため、独立リーグ「信濃グランセローズ」に派遣選手として所属。長野県で3人のチームメイトと共同生活を送る21歳だ。
1日の始まりは、まだ眠っている朝の部屋から。球団スタッフに起こされ、パテレスタッフとの「はじめまして」から密着の1日が始まった。
朝食は、野菜を切るところから始まる本格パスタ。ウガンダにいる姉と通話しながら食事を楽しむ。時差の関係で日本の朝がウガンダの夜中にあたるため、この時間帯に二人の姉と話すことが多いそう。ウガンダでは一夫多妻制が認められており、ムサ投手にはなんと20人の兄弟がいることも明かされた。
逆立ちでもスイスイ歩ける...! 驚異の身体能力
グラウンドに移動すると、大きな声で元気いっぱいに挨拶。練習前のストレッチでは、逆立ちのまま歩いたり、驚くほど体を反らせたりと、さっそく身体能力の高さを披露した。
サッカーや陸上が盛んなウガンダ。ムサ投手も幼少期はサッカー選手として活動していたそう。その後野球を始め、最初に挑戦したのは捕手。憧れてショートのポジションに転向すると、球速が144km/hから一時150km/h後半までアップ。コーチの勧めもあってピッチャーに転身した。
しかし、そこからは苦しい日々となった。
約2年間、145km/hの球速を超えられない時期が続くなか、母親がガンを患い、看病のため野球を辞めることに。母親を看取った後は、オフィスワークを経験したものの、楽しさを感じられず離職。そんな時に日本からのスカウトを受けて野球を再開した。ムサ投手は「野球してる時は幸せになれる。負けてもグラウンドでは悲しくない」とあらためて野球ができることへの感謝を口にした。
さらなる成長と夢の実現に向けて… 日本の環境を自身の力に
ブルペンでは45球を投げ込み、午後はフォーム改善のトレーニングやジムで体を鍛える。トレーニング後に掃除をすると「こんなに掃除しているの見たことないよ」とチームメイトからツッコミを入れられる場面も。明るいムサ投手の人柄が垣間見える。帰宅後もユニフォームの洗濯、掃除、食料の買い出しなど身の回りのことを自らこなしていく姿も印象的だ。
まだチャンスを掴む途中にいるムサ投手。パテレスタッフに、今の環境での苦労を問われると「ウガンダと今の環境には大きな差がある。ウガンダだと、グラウンドも長い草が生えていたりして本当に違うんだ。ここは本当に恵まれた場所。だからこそ努力しなきゃいけない。さらに上を目指したいんだ」と、さらなる成長への意欲を語った。
1日を終えると、翌朝5時にアラームをセットし、ベッドに入ってボールを握りしめる。密着の感想を聞かれると「楽しめたけど疲れたよ。でも、こんな機会は夢に見ていたし、これは大きなチャンスだと思ったよ」と笑顔で振り返った。
ウガンダから日本へ渡り、埼玉西武の一軍でプレーすることを目標に日々練習に励むムサ投手。ぜひ本編で、ムサ投手の1日の様子をお楽しみいただきたい。
▼取材後記(取材を担当したパテレスタッフ)▼
ムサ選手はとにかく明るく、チームメイトやスタッフに積極的に声をかける姿が印象的でした。文化の違いに戸惑いながらも、日本へのリスペクトが随所に感じられ、この環境で努力を重ね、夢を掴もうとする強い意志を感じました。
また、ライオンズの球団スタッフや信濃のコーチ・スタッフの皆さんからも、異国の地で奮闘する若者の力になろうとする責任感と覚悟が伝わってきました。多くの外国人選手が活躍してきたNPBですが、それは選手一人の努力だけでなく、日本の文化や野球への理解・適応を支える周囲のサポートがあってこそ実現しているのだと感じます。
育成選手が歩む、飾らないリアルな姿をぜひご覧いただきたいです。