9月4日、北海道日本ハムの宮西尚生投手がルーキーイヤーから12年連続の50試合登板を達成した。12年で積み上げた記録は、12年連続50試合以上登板(パ・リーグ記録)332ホールド、365ホールドポイント(ともに世界記録)。多くの記録を打ち立てた変則左腕の歴史を振り返っていこう。
【1年目】50試合8ホールド 45.1回 25奪三振、防御率4.37
関西学院大学からドラフト3位で北海道日本ハムに入団。ルーキーイヤーの2008年は、開幕一軍をつかみ取ると、中継ぎ左腕が不足するチーム状況もあって、1年目ながらフル回転した。
【2年目】58試合13ホールド 46.2回 55奪三振、防御率2.89
2年目となった2009年、夏場にインフルエンザでの離脱があったが、終わってみれば58試合登板を果たし、リーグ優勝に貢献した。
【3年目】61試合23ホールド 47.2回 49奪三振、防御率1.70
前年同様に夏場に離脱するも、チーム最多の61試合に登板。入団3年目で初めての防御率1点台を記録した。
【4年目】61試合14ホールド 53回 56奪三振、防御率2.21
この年もチーム最多登板となる61試合登板を記録。防御率1点台とはならなかったものの2.21と安定感さすがの安定感を見せた。
【5年目】66試合39ホールド 60回 56奪三振、防御率2.25
入団後最多となる66試合に登板。勝利の方程式の一角を担い、ホールドも自己最多の39を挙げ、チームの2年ぶりのリーグ優勝に大きく貢献した。
【6年目】57試合30ホールド 46.2回 39奪三振、防御率1.74
監督が栗山監督に代わった6年目も勝利の方程式の一角を担い、リーグ2位となる30ホールドを挙げた。また、防御率は1.74と3年ぶりに1点台を記録した。2012年のチームで、防御率1点台を記録したのは宮西投手のみだった。
【7年目】62試合41ホールド 50回 46奪三振、防御率2.16
この年は主にセットアッパーとして62試合に登板。自己最多となる41ホールドを挙げる。チームの中継ぎ陣では2位の防御率をマークした。
【8年目】50試合25ホールド 40回 30奪三振、防御率2.70
投手としては異例のキャプテンに指名された。勝利の方程式の一角を担うも、左肘痛で本来の投球を見せられず、秋に出場選手登録を抹消され、オフに手術に踏み切った。
【9年目】58試合39ホールド 47.1回 36奪三振、防御率1.52
9年目は、手術の影響で開幕に軍スタート。しかし4月上旬に一軍へ合流すると、マーティン投手と勝利の方程式を組んでキャリアハイの成績を残し、チームの日本一の立役者となった。さらに39ホールドはリーグ最多で、最優秀中継ぎのタイトルを獲得。意外にも9年目で初のタイトルを獲得した。
【10年目】51試合25ホールド 40.2回 24奪三振、防御率3.32
節目の2017年は、1年目以来の防御率3点台と苦しみながらも、51試合に登板。おシーズン中に海外FA権を取得したが、権利を行使せずに残留した。
【11年目】55試合37ホールド 45回 39奪三振、防御率1.80
この年は記録ラッシュに。リーグ最多の37ホールドをマークし、2016年以来、2度目となる最優秀中継ぎのタイトルを受賞。さらに7月6日の千葉ロッテ戦では、通算274ホールドを達成、元巨人の山口鉄也氏を抜き、NPB歴代最高記録を樹立した。
【12年目】50試合38ホールド 43回 48奪三振、防御率1.88※9月4日試合終了時点
2019年シーズンもその鉄腕は衰えず。リリーフとしてブルペンを支える活躍を見せ、9月4日の千葉ロッテ戦でシーズン50試合登板を達成。自身の持つパ・リーグ記録を更新、プロ野球史上2人目の12年連続50試合登板の記録を打ち立てた。
以上のように、生きる伝説ともいえるようなキャリアを歩んでいる宮西投手。振り返って一番印象に残るのは怪我への強さだろう。過去の中継ぎ投手を見ると、故障により姿を消した投手が多く存在するだけに、彼の鉄腕ぶりがうかがえる。このまま順調にキャリアを歩み、中日の黄金期を支えた岩瀬仁紀氏の打ち立てた通算1002試合登板や、15年連続シーズン50試合登板の大記録を塗り替えられるか。今後の宮西投手の活躍も楽しみだ。
文・鈴木海斗
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