開幕ローテの期待大もプロ意識は日体大3年から、少年時代は「野球より蝉取りと雪合戦」
1日、12球団が一斉にキャンプインし、球春到来となった。2018年シーズン、10年ぶりのパ・リーグ制覇を果たした埼玉西武も連覇へ向けスタートを切った。オフには国内フリーエージェント(FA)権を行使し浅村栄斗内野手が東北楽天へ、ポスティングシステム(入札制度)を利用して菊池雄星投手がマリナーズに移籍。大きな戦力を失ったが、その穴を埋める活躍が期待されるのは日体大からドラフト1位で入団した松本航投手だ。
最速155キロの直球を武器に首都大学リーグで通算30勝を挙げ、侍ジャパン大学代表の経験もあるが、甲子園出場の経験はなく「プロ野球選手になりたい」と具体的に考えるようになったのは、ここ数年だという。
「よく遊んでいた近所に住む1歳上のお兄さんが『一緒にやろう』と声をかけてくれて、小学校2年生の時に野球を始めましたが、ボール投げくらいにしか考えていませんでした。出身の兵庫県朝来市は、自然が多く冬は雪も降ります。野球より夏は蝉取り、冬は雪合戦をして遊ぶのが好きでした」
中学時代は軟式野球部に所属し、3年時には全国制覇を果たして注目を集める存在になった。県内の強豪校からも声がかかったが、進学したのは当時は甲子園出場経験のない公立の明石商高だった。
「野球に全精力を注いでいるタイプではありませんでしたし、中学も軟式だったので、高校で野球を続けるか迷っていました。でも『来てほしい』と言われる経験がなかったので、『必要とされるなら続けてみようかな』と思いました。それでも、野球中心の生活を送るのではなく、勉強も頑張りたかったので公立を選びました」
3年夏は県大会ベスト8に終わったが、最速147キロの速球で奪三振ショーを演じ、県内ナンバー1右腕として注目を集めた。しかし「大学でいろいろな経験をして、さらに上を目指したい」という思いから、プロ志望届を提出せず日体大に進学。東京六大学リーグや東都大学リーグに比べると知名度は劣るが、監督の熱意が進学の決め手になった。
「まだプロでやる自信もなかったので、大学進学を決めました。いろいろな大学の練習に参加したのですが、日体大の監督が『松本が欲しい』と言ってくれました。必要とされているところで頑張りたかった。勉強も野球に役立つことばかりで、3年で伸び悩んだ時もボディバランスを見直しました。大学では本当にいい経験をさせてもらいました」
毎日欠かさない柔軟体操「今まで大きな怪我がない」が、意外な悩みも…
2年春には6勝を挙げ、最高殊勲選手と最優秀投手に輝いた。そして、3年時には侍ジャパン大学代表に選出され、プロを意識するようになった。
「日本代表に選んでもらえる実力があるんだなと自覚しました。それから、代表でチームメートだった齊藤さん(大将・現埼玉西武)、東さん(現横浜DeNA)のピッチングを間近で見て、自分には何が足りないかを具体化して考えるようになりました。東さんは緊張した場面でも、コントロールが乱れない。自分には経験も足りないし、レベルアップが必要だと感じました」
威力のある直球に加え、カットボールやカーブなど多彩な変化球を操る。手先が器用なほうだというが、その分、調子が悪い時に小細工をして投げてしまう悪い癖があると自己分析をしている。
「野球を始めた時から、毎日欠かさず柔軟体操を行っています。母親には『怪我をしないようにストレッチだけはやりなさい』とよく言われました。最初は嫌だったのですが、今はやらないと気が済まないです。今まで大きな怪我がないのは、そのおかげだと思います。ただ、関節が柔らかいことで、普通の人より指が反ってしまうので、スライダーを投げると、投げた瞬間に大きく曲がってしまいます。なので、ストレートに少しだけ変化を加えて、カットボールを投げています」
変化球に磨きをかける一方で、プロでは自身のアピールポイントでもある直球で勝負していきたいと意気込む。そして、今シーズンの目標には新人王を掲げる。
「戦力としてチームに貢献できる投手になりたいです。一戦一戦大事に戦った結果で、新人王もついてくると思います。プロで通用するピッチャーになるためには、コントロールが大事だと思っています。球の精度を上げ、自分の武器でもあるストレートで勝負できるピッチャーになりたいです」
2018年のドラフトでは根尾昂内野手(現・中日)に4球団、藤原恭大外野手(現・千葉ロッテ)に3球団、小園海斗内野手(現・広島)に4球団と、11球団が1位に高校生を指名。埼玉西武だけが大学生の松本を1位指名した。自分を必要としてくれるところで結果を残してきた22歳右腕は、悲願の日本一へ向け、チームの力になることを誓う。
(篠崎有理枝 / Yurie Shinozaki)
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