埼玉西武・栗山巧選手が継続する「子ども支援」 きっかけは24年前のこの日に

パ・リーグ インサイト 望月遼太

2019.1.17(木) 11:00

埼玉西武ライオンズ・栗山巧選手(C)SEIBU Lions
埼玉西武ライオンズ・栗山巧選手(C)SEIBU Lions

 1995年1月17日。栗山巧選手の社会貢献活動は、この日をきっかけに動き出した。

神戸っ子にとっては印象深い「がんばろうKOBE」の記憶

 今から24年前の1995年1月17日、午前5時46分。淡路島北部を震源地とするマグニチュード7.3の大地震が発生した。後に「阪神・淡路大震災」と名付けられるこの大災害は、多くの人の生きざまに大きな影響を与えた。

 埼玉西武の栗山選手は、兵庫県神戸市出身。震災当時、小学5年生だった。「僕が住んでいた地域や小学校は比較的被害は少なかったのですが、全国から鉛筆やノートなどの筆記用具を支援していただきました」。「オリックス・ブルーウェーブが『がんばろうKOBE』のワードで盛り上がって、野球を通じて兵庫県・神戸が盛り上がったという印象が、子ども心に強く残っています」と振り返る。

 それから月日が経って、震災を経験した神戸っ子はプロ野球選手となり、少年野球大会「栗山巧杯」を主催する。昨年12月2日には、兵庫県立三木総合防災公園野球場で「第8回栗山巧杯」決勝戦が行われ、栗山選手本人はもちろん、後輩である永江恭平選手と松本直晃投手も訪問した。

 栗山選手は「(阪神・淡路大震災後に)支援していただいた鉛筆ひとつ、ノートひとつから、周りの方々が心配してくださっていることが伝わってきて、うれしかった。そういう気持ちが(さまざまな活動を始めた)きっかけとして根本にあります」と語る。

野球教室には永江選手も参加した(C)SEIBU Lions
野球教室には永江選手も参加した(C)SEIBU Lions

子どもたちと接する上で特別なことは「特にない」

 「栗山巧杯」の大会後には、性別・野球経験・障がいの有無関係なく、子どもたちが一緒に思い出作りができるイベントとして栗山選手自身が考案した「リアル野球盤」を永江選手・松本投手と共に子どもたちと楽しんだ栗山選手。神戸市内の特別支援学校に通う児童を含む、26名の子どもたちと交流した。

 昨年に比べて、特別支援学校に通う児童の参加人数が増えたが、子どもたちとの交流でとりわけ心に留めていることはあるかと問うと、「特にありません」という回答が返ってきた。

「リアル野球盤は『みんなと一緒にやる』というのがひとつのキーワードなので、極力特別扱いはしないです。みんなで楽しめるルール作りをしていますし、極力ルールに則って通常通りやるということを心がけています」。

ホームランを打つ栗山選手(C)SEIBU Lions
ホームランを打つ栗山選手(C)SEIBU Lions

 また、昨今叫ばれている子どもたちの野球離れやスポーツ離れについては、「サッカーでも野球でも何でもいいから、体を動かしながら先輩・後輩、仲間やお友達の輪を広げていくという意味で、何かひとつに参加してもらえればスポーツ選手としてうれしいです」と話す。

 「リアル野球盤」に関しては、「(野球の)普及活動だとは思っていません」。「野球選手と触れ合える、スポーツをやったことがある子もない子も、みんなと一緒にやれるイベントがあれば楽しいんじゃないかな」という考えで企画したそうだ。

 栗山選手は、先述の「栗山巧杯」の他にも、東日本大震災の復興支援、小児がんの子どもとその家族の支援といった活動も精力的に行ってきた。特に小児がんの子どもたちを支援するようになった理由について、栗山選手は次のように述べている。

「いろんなところで困っている人がいる中で、小児がんと聞くと『治らないんじゃないか』とすごくネガティブな印象を持たれてしまう。実際に苦しんでいる子どもたちもいますが、現在は医学の進歩もあって、100%治らない病気ではなくなってきているんです。小児がんの子どもたちに前向きになってほしいし、僕たちが野球を通じて前向きになれるきっかけを与えられればという想いでサポートさせていただいています。同時に、小児がんについて理解を深めてもらえる機会を作れたら良いなと思っています」。

子どもたちとハイタッチを交わす栗山選手(C)SEIBU Lions
子どもたちとハイタッチを交わす栗山選手(C)SEIBU Lions

「今自分がしてあげられることを、長くやっていきたい」

 2014年には、プロ野球関係者の社会貢献活動を表彰する「ゴールデンスピリット賞」を受賞した栗山選手。「栗山巧杯」や小児がんの子どもたちを支援する活動を始めた当初は、「今となっては変な話ですが、僕の方が身構えてしまって、どういう風に対応してあげたら良いか考えてしまう部分がありました」と明かす。

 しかし、「『至って普通に接していけばいいんだ』と、活動する中で自然と変わっていった」そうだ。それでも活動を始めた頃から変わらないものもある。それは「自分の今やれること、してあげられることを、たとえ薄くても長くやっていきたいという想い」だった。

 厳しいプロ野球の世界で成功を収めながら、多くの子どもたちに寄り添う栗山選手。その活動の根本にあるのは、24年前、故郷が傷ついているときに届けられた筆記用具。名前も顔も知らない人たちからのあたたかい支援だ。今後の活動について、栗山選手は「支援活動も『栗山巧杯』も、継続していくことが非常に大事だと思います」と言う。

「もし『栗山巧杯』を継続できなくなったとしても、子どもたちにとって思い出深い大会になって、これから野球を続ける人もそうでない人も、『栗山巧杯』で戦ったこと、僕が行く決勝戦まで残ったということが、もっと思い出深いことになってくれたらうれしいですし、これから成長していく中でのイベントになってくれたらと。なってくれなくてもいいですけど、なってくれたらうれしいなあくらいの感じです(笑)」。

 1月17日。今年も、忘れられないこの日が来た。また気持ちを新たにして、栗山選手の活動は続いていくだろう。

子どもたちとの集合写真(C)SEIBU Lions
子どもたちとの集合写真(C)SEIBU Lions

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パ・リーグ インサイト 望月遼太

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