斎藤佑樹さんと好敵手の“球縁” 神宮超満員札止め「50年ぶり早慶優勝決定戦」から15年…再び、同じ舞台で

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2025.1.28(火) 08:00

「侍ジャパンチャレンジカップ 第2回Baseball5日本選手権」でスーパーバイザーに就任した斎藤佑樹さんと、運営に奔走する全日本野球協会の石井新さん(カメラ・加藤弘士)

 ボールは人と人とをつなぐ。「球縁」と呼ばれるものだ。

 1月13日、東京・立川市内のアリーナ立川立飛で行われた「侍ジャパンチャレンジカップ 第2回Baseball5(B5)日本選手権」。B5とは、ゴムボールを打ち合う5人制の手打ち野球。このスーパーバイザーに早大の元エースで日本ハムでもプレーした斎藤佑樹さんが就任し、記者会見が行われていた。

 その会見を仕切っていたのが、全日本野球協会で「B5」の普及拡大に心血を注ぐ石井新さんだ。

 2人が「公の場」に並ぶのは、大学4年生だった2010年11月3日の神宮球場以来、15年ぶりになる。祝日だったあの日。伝説の「早慶6連戦」以来、50年ぶりとなる早慶両校による優勝決定戦が行われ、早大が10―5で勝利した。

 斎藤さんは先発し、8回1死までノーヒットノーランの快投を演じた。観衆は3万6000人の超満員札止め。報道陣には異例の「大入り袋」が渡された。対する慶大の主務(筆頭マネジャー)として、ベンチから攻略の糸口を見いだそうとしていたのが、石井さんだった。

 大学卒業後、斎藤さんはドラフト1位で日本ハムに入団。石井さんは大手旅行会社に就職した。一度は大きく分かれた人生。しかし野球の神様は、もう一度、2人を結びつけていく。

 * * *

 2018年12月のことだ。石井さんはキューバにいた。添乗業務として、東京都高野連のキューバ遠征を引率したのだ。帝京・前田三夫監督を指揮官に据え、日大三・小倉全由監督、早実・和泉実監督、二松学舎大付・市原勝人監督がコーチ陣に就く豪華布陣。選手には東亜学園・細野晴希投手(現日本ハム)や日大三・井上広輝(現西武)、岩倉・宮里優吾投手(現ソフトバンク育成)ら有望株がそろっていた。

 石井さんが「B5」を初めて見たのが、その時だ。「B5」はキューバが発祥。ゴムボール1つあればプレーできる。スピード感あふれる新しい競技に惹かれた。

 「いいスポーツだな、と思ったんです。日本でも昭和の時代にやっていた、手打ち野球ですよね。日本でも広まったら、面白いなと思ったんです」

 野球に携わる仕事がしたい-。石井さんは去年、全日本野球協会に転職した。野球競技人口拡大の業務に携わる中、「B5」にも関わることになった。新競技を多くの人々に知ってもらうには、どうしたらいいだろう。思いを巡らせる中、たまたま斎藤さんのSNSを見た。「B5」に強い興味を抱いている投稿に、目を見張った。すぐに「株式会社斎藤佑樹」の担当者に、連絡を取った。慶大野球部OBであることは、敢えて言わなかった。返ってきた言葉が、うれしかった。

 「斎藤も『Baseball5』の事務局を探していたんです。早速、打ち合わせをさせて下さい」

 当初はPR大使的な「アンバサダー」のポストを提示するつもりだったが、「B5」に対する斎藤さんの熱意は本物だった。「中に入って、一緒に広めていきたい」と「スーパーバイザー」の職に就くことになった。その就任会見。司会進行を務め、慌ただしくも真摯に報道対応を取り仕切る石井さんの姿があった。

 * * *

 斎藤さんは2021年シーズン限りで現役を引退した。石井さんや主将を務めた湯本達司さんら慶大野球部の同期はその時、「節目だから、僕らとしてもねぎらいの言葉を贈ろう」と斎藤さんに電報を送った。

 「引退となれば、すごくたくさんメッセージって届くじゃないですか。普通、僕らのってまぎれると思うんです」

 石井さんは驚いた。直後、斎藤さんから「慶応義塾大学野球部、同期のみなさん。今回、送っていただいてありがとうございました」で始まるお礼の動画が届いたのだ。メッセージはこのように結ばれていた。

 「またみなさんと、グラウンドで野球ができるのを、楽しみにしています」

 * * *

 話を2010年11月3日に戻す。試合後のスピーチ。主将だった斎藤さんは、「持っているのは、仲間です」と名言を残した上で、こう結んでいる。

 「慶応大学という素晴らしいライバルがいて、ここまで成長できたと思います」

 石井さんは笑う。

 「高校受験では慶応高校の初めての推薦入試を受けて落ちまして、一般でも落ちました。大学受験では、現役の時に慶大一本で6学部受けて、全部落ちたんです。1浪して、5学部受けて、文学部にだけ合格しました。浪人していなかったら、斎藤さんとは同期になれていない。親に感謝ですね」

 斎藤さんは就任会見で「B5」について、こう意気込んだ。

 「B5という競技を、これから日本の野球界の裾野を広げるという活動だけにとどまらず、新たなジャンルとして構築していきたい。革命をもたらすと確信しています。そのためにもスーパーバイザーとして主体的に中に入って、精一杯頑張りたい」

 「球縁」は、さらに拡がっていく。硬式も軟式もソフトボールも「B5」も、ボールに込める人々の熱情は変わらない。(編集委員・加藤弘士)

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