今夏107回目を迎えた「全国高校野球選手権大会」。甲子園球場を舞台に今年も熱いドラマが繰り広げられた。だが、海の向こうでもう一つの「甲子園」があったことは、意外と知られていないだろう。今回は東南アジア諸国での野球競技振興に奮闘する元プロ野球選手を追う。
「第1回アジア甲子園大会」その誕生に込められた、ある想い
2024年12月、インドネシア・ジャカルタで「第1回アジア甲子園大会」が開催された。インドネシア国内の8チームが出場し、総観客動員は2,000人を超えた。日本高校野球ならではのブラスバンドやチアリーダーによる応援も再現され、現地の野球ファンを魅了した。
この大会の発起人は、元巨人育成投手で起業家の柴田章吾氏と、漫画『ドラゴン桜』や『砂の栄冠』など数々のヒット作を手がける漫画家・三田紀房氏だ。柴田氏は現役引退後、起業家として活動する傍ら、個人的に海外での野球振興活動を続けてきた。しかし、野球が盛んでないアジアの地で、若者をどうすれば夢中にさせられるのか──。プロ野球という遠い夢ではなく、もっと身近で具体的な目標が必要だと感じながらも、答えを見いだせずにいた。
そんな柴田氏の転機となったのが、三田氏との出会いだった。高校野球への深い造詣を持つ三田氏は、柴田氏の情熱に触れ、こう語りかけた。
「“甲子園”という日本の伝統的な野球文化をアジアへ輸出してはどうか」
「東南アジアの子どもたちの将来の夢には、そもそもプロ野球という選択肢がない。ではなぜ野球をするのか。日本の野球少年はテレビで甲子園を見て、あの舞台に立ちたくて野球を始め、そこを目指して熱中してきたと思うので、それと同じくまずは全員が目指すゴールをつくりたい」
この言葉に柴田氏は深く共鳴した。『ドラゴン桜』でいう「東大」にあたるのが、野球では「甲子園」になるのでは──。その思いで阪神甲子園球場関係者との協議を重ね、第1回大会の開催へとこぎつけた。
今夏、インドネシア選手が日本で甲子園を体感
2025年8月8日から10日までの3日間、第1回大会で活躍した14〜18歳のインドネシア選手13名が来日した。

初日は夏の全国高校野球選手権大会を甲子園で観戦。同年代の高校生が繰り広げるスピード感あふれる試合や、スタンド全体が一体となった応援に感嘆の声を上げた。午後は甲子園歴史館を訪問し、100年以上にわたる大会の歴史や出場校のユニフォーム展示を見学。甲子園が持つ重みを肌で感じ取った。
2日目は阪神タイガースOBによる野球教室を受講した。守備、打撃ともにプロ経験者から直接指導を受け、積極的に吸収する姿勢が光った。

最終日は関西の強豪・兵庫夙川ボーイズと練習試合を実施。敗れはしたものの、最後まで全力を尽くすプレーに両チーム関係者から大きな拍手が送られた。試合後には元オリックス・バファローズコーチの水口栄二氏によるシートノックを両チーム合同で受け、言葉を超えた交流が生まれた。
12月に第2回大会開催決定。参加国も拡大し、注目度増す
第1回大会の成功を受け、「第2回アジア甲子園大会」は2025年12月13日にインドネシアのジャカルタで開幕予定だ。インドネシア、マレーシア、シンガポール、フィリピンの4カ国から計14チームが参加する。8月11日に開かれた記者会見には、元福岡ソフトバンクホークス監督の工藤公康氏がゲストとして登壇した。
「日本のプロ野球選手の中には、アメリカでプレーしたいと夢を叶えた選手が多くいる。アジア甲子園が、日本で野球をやりたいと考える選手を増やし、何よりアジアの子どもたちが夢を持つきっかけになってほしい」

柴田氏も意気込みを語る。
「継続していくこと、そして少しずつ進化していくことが大事。今年は参加国(マレーシア、シンガポール、フィリピン)を3カ国増やし、より多くの国の方に興味を持ってもらえるよう取り組んでいきます」

アジアの地に芽吹いた“もう一つの甲子園”。その挑戦は、今年12月、新たなステージを迎える。
文・髙木隆
