2011年3月11日に発生した東日本大震災から今年で15年が経った。「東北」を冠に掲げる東北楽天ゴールデンイーグルスでは、選手や球団スタッフにより、同年から復興に向けた支援や震災を風化させない取り組みを実施。義援金寄付、支援物資の供給、被災地訪問、そして、プレーで東北の人々に元気を与えてきた。
楽天イーグルス一筋で東北のために戦い続けたのが、現役引退後、球団アンバサダーを務める銀次さんと岡島豪郎さんだ。そんなお二人に、これまでの15年を振り返ってもらった。
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大地震が東北を襲ったあの日、楽天イーグルスの一軍は兵庫県明石市で千葉ロッテとのオープン戦を行っていた。当時、プロ6年目を迎えていた銀次さんはその試合に出場。7回裏終了後、球団スタッフから東北で大きな地震があったため、家族に連絡をするよう伝えられた。地震発生直後は多くの人が一斉に電話をかけたことにより、回線がパンクしてつながりにくい状況だったが、銀次さんは「親には運よく1回で電話がつながって『こっちは大丈夫だよ』と言われました」とすぐに安否確認ができたそうだ。
しかし、そのときはまだ事の深刻さを認識していなかったという。球場から宿舎に戻る途中、バスの車内に流れた映像を見て言葉を失った。
「仙台空港の上空から撮った映像で、黒い波がバーっと押し寄せてくるところを見ました。本当にこれが今、現実で起きていることなのかと。言葉が出なくて、バスのなかではチームの誰も何も喋りませんでしたね」
その後、関東を中心に全国を転々としながら、練習試合や練習を行った楽天イーグルス。仙台に戻ったのは約1カ月後のことだった。開幕前、チームメイトや球団関係者と宮城県牡鹿郡女川町の避難所を訪れた銀次さんは、瓦礫の山と化した街や被災者の悲痛な表情を目の当たりにし、「野球をやっている場合じゃない。この年の開幕は無理だろう」と思ったそうだ。
闘将の言葉がチームを一つにした
葛藤の日々を送るなか、チームを奮い立たせたのが当時の監督・星野仙一氏の言葉だった。「『俺らには野球しかないから、野球でみんなを笑顔にさせよう』ということを伝えられて、もうやるしかないなと。そこからみんなが一つになって戦いました。星野監督の言葉が一番響きましたね」と銀次さんは言う。

星野氏の「野球でみんなを笑顔に」というメッセージには、被災者たちの願いが込められていた。避難所を訪ねた際に「東北のために優勝して」という言葉をかけられた闘将は、「この人たちのために勝たなければならない」と強く決意したのだった。
同年10月に開催されたドラフト会議にて、楽天イーグルスから4位指名を受けた岡島さんも「よし、やってやるぞ」と気合を入れたと語る。
「入団後、新人選手で被災地に足を運びましたが、約1年経ってもまだまだ(復興が進んでいない)。そんな状況だとは全く想像していませんでした。星野監督の言葉のように、僕には野球しかなかったので、なんとか東北のためにという思いで挑んだ1年目でしたね。その思いは日を追うごとに強くなりました」
優勝パレードで耳にしたのは「おめでとう」ではなく「ありがとう」
東北に歓喜の瞬間がやってきたのは、2年後の2013年。5月中旬の交流戦以降好調だった楽天イーグルスは7月4日に首位タイへ浮上すると、終盤までその座を守り続け、ついに9月26日・埼玉西武戦で球団史上初のリーグ優勝を達成。さらに巨人との日本シリーズでは、3勝3敗と第7戦までもつれる激闘を演じ、見事日本一の栄光をつかんだ。
銀次さんは同年、リーグ4位の打率.317、54打点をマーク。日本シリーズではチーム最多タイの5打点を挙げ、優秀選手賞に輝いた。シーズン後半から「1番・右翼手」に定着した岡島さんは、打率.323、出塁率.405とリードオフマンとして活躍。日本シリーズ第7戦では、貴重な追加点となる適時二塁打を放っていた。
悲願達成に大きく貢献した二人は「(その瞬間を)思い出しただけでまだ鳥肌が立ちます」と腕をさすった。「うれしかったし、やっと被災地に笑顔を届けられたと思いました。少しでも笑顔になってくれたらうれしいじゃないですか。それができたのはよかったですね」と銀次さん。
そして岡島さんは、東北のファンからの後押しのおかげで優勝できたのだと強調する。

「上位で後半戦に入ったら、毎試合ずっと満員になるんですよ。当時2年目の僕にとっては初めての経験でした。スタジアムをいつも埋め尽くして応援してくれるみなさんの後押しがあったからこその優勝だったと思います」
日本一からちょうど3週間後の11月24日には、仙台市内で優勝パレードが実施された。全長約1.5kmの沿道には21万4000人のファンが集結。その大勢のファンからかけられたのは、祝福よりも“感謝”の言葉だった。
「『ありがとう』ってめちゃくちゃ言われました。いろいろな思いを背負って生活していくなかで、東北の人たちにとって楽天イーグルスの優勝がそれだけ大きかったんだなとあらためて思った瞬間でしたね」(岡島さん)
「『ありがとう』って言われたのは本当にうれしかったなぁ……(野球を)やっていてよかったなと思いました」(銀次さん)
球団アンバサダー就任を決断したきっかけは……
その後、選手たちが被災地訪問を続けるなかでも、地元住民から感謝の声が相次いだ。「手を握って 『本当にありがとう』って言ってくれるんです。訪問するだけなのにそう言ってもらえて『こちらこそ、ありがとうございます』と思いますよ」と岡島さんは言う。
現在も頻繁に東北各地へ足を運ぶという銀次さんも「宿に泊まったり、お土産を買ったり、おいしいものを食べたり。引退してから特に多くなって、そのなかで『来てくれてありがとうね』って言ってもらえるのはうれしいですね」と目を細めた。そして、球団アンバサダーへの就任も、東北のファンの声が決め手となったことを明かした。
「引退するか野球を続けるか、考える期間が1カ月くらいありました。その期間も被災地を回りながら、いろいろな方々と会ってお話をしていました。そのなかで『銀ちゃん、やっぱり仙台に残ってよ。出て行かないでよ』と言われることが多かったんです。それもあって、仙台に残る決断をしました。東北にはこれから先も寄り添っていきたいと思っています」
昨シーズン限りで引退した岡島さんもまた、“二足のわらじ”で東北に貢献していく。
「もともとは、大学院に行きたいと思っていたんです。それでも、球団の方から学業と両立できるように仕事内容を調整していただいたので、ぜひ東北のためにということでアンバサダー就任を決めました。
大学院ではトレーニングやスポーツを学びます。将来的には、トップレベルで活躍する東北のアスリートを育てたいと思っています。全国大会の1位から3位を東北勢が独占することを目標にして、しっかりトレーニングの知識をつけたいですね。東北の学生に対して、いろいろな知識や技術を還元していきたいです」
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「がんばろう東北」。2011年から掲げられてきたスローガンを胸に、現役生活を全うしたお二人。引退後も球団アンバサダーに就任し、また異なる角度から東北を熱く盛り上げる。インタビュー後編では、そんなお二人がおすすめする東北のグルメや観光スポットを教えてもらった。
【後編】『東北に行くならここ! 銀次&岡島豪郎がおすすめする絶品グルメと観光スポット』
インタビュー・文 高橋優奈
