2019年に球団創設15周年を経た東北楽天ゴールデンイーグルス。スタートの分配ドラフト、東日本大震災などさまざまな苦難を乗り越え、2013年には日本一を成し遂げるなど、ファンに愛される球団へと着実に成長を続けている。
そこで、その苦楽を振り返りつつ、15年の歩みをたどっていく。第2回は「東日本大震災を乗り越えて。見せた、野球の底力」。東日本大震災が発生した2011年の出来事を振り返る。
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【Vol.1】東北にプロ野球がやってきた。
日本を襲った未曽有の災害。野球の真価が問われる時
闘将・星野仙一氏を監督に招へいし、最下位からの再起を目指した楽天に、予想だにしない災難が降りかかった。東日本大震災だ。2011年3月11日14時46分頃、三陸沖、宮城県牡鹿半島の東南東130km付近で深さ約24kmを震源とした地震が発生し、国内観測史上最大規模のマグニチュード9を観測した。楽天の本拠地・Kスタ宮城(当時)がある仙台市宮城野区は震度6強を観測。
当時、兵庫県明石市でオープン戦を行っていた楽天の選手たちには、7回終了後に地震発生が伝えられ、試合は途中で中止となった。発生直後は家族と連絡を取ることができなかった選手もいたが、オープン戦は18日から再開。被災地に足を運び、何か手助けをしたいと訴える選手も多かったが、開幕直前であったことや、被災地の交通状況が整っていなかったことなどから選手たちが実際に被災地に足を運ぶことは叶わず、選手たちは試合を行う各球場で募金活動を行った。
地震発生から6日後の3月17日に行われた臨時実行委員会において、セ・リーグは予定通りの開幕、そしてパ・リーグの開幕延期が発表された。しかし、ナイトゲームは膨大な電力量を要するため、翌日に文部科学省がNPBに対して計画停電を行っている東京電力と東北電力管内におけるナイトゲームの中止を要請。同日に日本プロ野球選手会の新井貴浩会長(当時)が会見でセ・リーグの開幕延期強く要望し、4月12日のセパ同時開幕が決定した。また、楽天の本拠地・Kスタ宮城も震災によって破損したため4月中の楽天のホームゲームは甲子園や神戸での開催に切り替えられ、本拠地開幕は4月29日にずれ込んだ。
4月2日、3日にはNPB主催で「プロ野球12球団チャリティーマッチ-東日本大震災復興支援試合-」が行われ、試合前に嶋基宏選手(現・東京ヤクルト)がチームを代表してスピーチを行った。嶋選手のスピーチは「見せましょう、野球の底力を。見せましょう、野球選手の底力を。見せましょう、野球ファンの底力を。ともに頑張ろう東北、ともに支え合おう日本」と締められた。この力強く熱い決意の言葉は、震災によって傷ついた方々はもちろん、日本全国のさまざまな人々を勇気付けたに違いない。
がんばろう東北、がんばろう日本
4月に入るとすぐに楽天の監督・コーチ・選手は4チームに分かれて山元町、名取市、東松島市、女川町を訪問。写真撮影会を開催したり、野球道具をプレゼントするなどして被災者の方々と交流し、支援活動を行った。そして最後は宮城県庁と仙台市役所を表敬訪問し、シーズンでの奮闘を誓った。
そして迎えた2011シーズン。待ちにまった4月29日の本拠地開幕戦には20,613人のファンがKスタ宮城に詰めかけた。本拠地開催は実に212日ぶりだった。エース・田中将大投手が先発を務めると、見事に1失点完投勝利。楽天の勝利の象徴でもある白いジェット風船が仙台の空に舞った。そして試合後は再び嶋選手がスピーチを行った。
ここで嶋選手はスピーチの結びに「この1カ月半でわかったことがあります。それは『誰かのために闘う人は強い』ということです。絶対に見せましょう、東北の底力を」と言葉を残した。チャリティーマッチでのスピーチと同様にとても印象深く、多くの人々の心を動かした。
メジャーリーグから松井稼頭央選手(現・埼玉西武二軍監督)、岩村明憲選手が加入したこともあってか、4月は勝ち越すなどまずまずのスタートを切った。しかし、5月になると黒星先行の苦しい展開に。交流戦は9位に低迷すると8月は7連敗を喫する。その後7連勝の躍進で一時は3位に躍り出るも、その勢いを保つことができずに5位でシーズンを終えた。
この年から統一球が導入されたこともあってか、チーム最高打率は聖澤諒選手の.288、最多本塁打は山崎武司選手の11本とシーズンを通して苦しんだ。しかし投手陣では、田中将大投手がフル回転を見せ19勝5敗、防御率1.27で『最優秀防御率』『最多勝』『最高勝率』さらには『沢村賞』も受賞する活躍を見せた。
数字だけにフォーカスして見ると、決して納得のいくシーズンではなかった。しかし東北のために必死に戦う選手たちの姿は、東北の人々に笑顔、勇気、そして熱い気持ちを届けたに違いない。そして野球選手の底力、東北の底力を見ることができたはずだ。
広がる支援の輪。現在も続く復興支援
東日本大震災から9年が経った今も、新入団選手が毎年被災地を訪問するなど、継続して復興支援を行っており、ユニフォームの左袖には「がんばろう東北」のワッペンが縫いつけられている。特に辰己涼介選手は「楽しんでやっている姿を見せることしか、傷が癒えていない人にできない」とし、本塁打を打った際にベンチ横のカメラにこのワッペンをアピールするパフォーマンスを見せるなど、選手たちも東北に元気を届けようと必死に戦っている。
2014年には、震災以降屋外でのびのびと体を動かす機会が減ってしまった子どもたちのため、株式会社楽天野球団を中心に「TOHOKU SMILE PROJECT」が設けられた。子どもたちのためのスポーツ施設設立のために寄付金を募っており、これまで福島県相馬市の「相馬こどもドーム」をはじめとして、東北各地に計3施設を設立。現在も継続して寄付金を募っており、今年6月には宮城県名取市「こどもアスレチック」を設立した。
また毎年開催されている「TOHOKU SMILE デー」では試合当日に選手による募金の呼びかけを実施。当日使用するベースや試合球、選手が練習で着用するTシャツも特別仕様となっており、後日これらにサインを入れたものがチャリティー販売され、収益が「TOHOKU SMILE PROJECT」寄付される流れとなっている。また、アカデミーコーチ指導のもと、子どもたちが思いきり体を動かして遊べるエリアを設けるなど、スポーツで子どもたちを笑顔にするためのイベントも開催されている。
9年もの月日は、人も環境もガラリと変えてしまうものだ。東日本大震災を知らない世代も増え、記憶から薄れてしまっている人も少なくはない。しかし、決して風化させてはならないこの出来事を楽天は伝え続ける。
第3回では、悲願のリーグ優勝&日本一を成し遂げた2013シーズンを振り返っていこう。
文・後藤万結子
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