グラウンドの上で輝く選手やチームを支えているのはどんな人たちなのか。
本連載「パーソル パ・リーグTVお仕事名鑑」でパ・リーグに関わるお仕事をされている方、そしてその仕事の魅力を紹介していきます。
忖度ナシ!思ったことを直球で伝える
鳴門工業高校、帝京大学を経て、ドラフト2位で千葉ロッテマリーンズに入団したのが1998年。その年、チームはプロ野球史上最長となる18連敗を喫したが、そうした時期だったからこそ得られたチャンスをモノにし、7年後の日本一の際にはレギュラー捕手として貢献した。
その翌年にはワールド・ベースボール・クラシックに出場し、世界一も経験。史上初めてシーズン3位から日本一を達成した2010年の“下剋上”でも、チームの中心人物だった。2014年に引退してからは、プロ野球解説者・評論家としてメディアに引っ張りだこの毎日を送っている。
「解説者になって大変だと思ったことは一度もありません。というのも、僕はキャッチャーだったので、『ランナーが走るかもしれないな』『このバッターは今日調子が悪いな』『この回は気をつけないといけないな』など、今まで試合中に思っていたことをそのまま口に出しているだけなんです。
決めなきゃいけないのは、どちら目線で話すかだけ。守備側なら『このカウントだったらランナーが走ってきそうだから注意しないといけないですね』、攻撃側なら『この状況なら仕掛けていいカウントですね』と使い分けるだけです」
ナイターの解説を担当する日は、前に別の仕事が入っていなければ15時過ぎに球場入りする。まずはグラウンドに降りて選手たちの練習を見守るが、何かテーマを持って観察することはなく、漠然と全体を見て気になったことだけを頭に入れておく程度だという。
「詳しい情報は実況のアナウンサーの方が入念なリサーチをしてくれているので、それについて聞かれたら答えるというスタンスですね。試合を観れば選手の状態はある程度わかりますし、僕の仕事はあくまで“試合展開”の解説ですから」
数多く解説者がいる中で、それぞれの捉え方や野球観を楽しみながら中継を観るファンも多いだろうが、里崎氏のオリジナリティーは、やはり歯に衣着せぬストレートな物言いだろう。
「僕はその時に思ったことを言うだけ。こんなこと言っていいのかな?なんて気にすることはないですね。ユニフォームを着ている人たちに忖度する必要はありません。もし彼らが褒めてほしいのであれば、いいプレーをすればいいだけ。
僕が考えなくてはいけないのは、僕を解説者として使ってくれているテレビやラジオ、インターネットの放送局の方々と、その先にいる視聴者やリスナーの方たちのニーズに応えられているかだけです」
解説が終わった後は、エゴサーチするのが日課。ただ、それは“通信簿”としてリアクションを確認するだけで、それによって自分のスタンスを変えることはない。
「こんなことを言うとこういうリアクションがあるんだな、これが響くんだな、と。確認作業みたいなものですね。返信は一切しません。たとえ批判的なコメントがあっても全然気にしないです。批判は賞賛の裏返しだと思っていますから。『この人、オレのこと気になってしょうがないんだな』って思うだけです(笑)」
誰も登ったことのない山 夢は球団社長!
引退してしばらくすると、コーチや監督就任を望む声が出てくることもあるが、里崎氏は再びユニフォームを着ることに一切興味がないという。なりたいのは「球団社長」だ。イメージしている球団はもちろん、古巣であるマリーンズ。
「元選手が球団社長になるって、誰もやったことがなくて面白そうじゃないですか。ビジネスパーソンとして考えた場合、今の僕には経験がないのでアドバンテージはゼロかマイナスですけど、プロ野球の現場のアドバンテージはある。反対に、本社から来る人はビジネスパーソンとしてのアドバンテージはあるけど、野球のアドバンテージはゼロで、それが今後プラスになることはない。
もし僕がしっかり勉強すれば、ビジネスパーソンとしてアドバンテージを持てる可能性はある。つまり、ビジネスと野球の両方でアドバンテージを持つポテンシャルがあるということ。それが、僕の強みになるはずです」
もし球団社長になったら、どんな改革を起こすのか。思ったことをストレートに発する里崎節は、球団社長になっても変わらないようだ。
「人に媚を売って意見しない人や能力のない人には辞めてもらいたいですね。面接する時には、『自分がこの球団で働くようになったらチームはどう変わるのかプレゼンしてください』と言います。一社員であってもビジョンを持つことは大事。
ただ、そのビジョンが漠然としていたら意味がない。きちんと具体化していないと。具体化したビジョンさえしっかりあれば、僕とまったく意見が違っても構いません。ただし、結果は出してもらいますけどね。プレゼンしたということは、それが自分のノルマになるということです」
結果がすべてのグラウンドで16年間勝負してきたからこそ、「それが普通」と里崎氏は言う。「プロセスは評価しない」という考えは徹底している。
「『100万通りのプロセスをやってみましたけど一度も成功しませんでした』っていう人の意見、誰が聞きたいですか。そんなの、知る必要ないですよね。結果を出したからこそ、そのプロセスに価値が生まれるわけです。
だから、僕は結果からしかプロセスは評価しません。頑張っているんですと言われても、みんな頑張っていますからね。逆に結果を出せるなら、ルールに則った上であれば自由に何をしてもいいと思います」
ここまで聞くと、これまでのプロ野球界には存在しなかったような組織が生まれそうな予感もしてくる。本人の構想では、“里崎球団社長”はいつ誕生するプランなのだろうか。
「誰も登ったことのない山に登ると僕は言っているわけですから、できる確率のほうが圧倒的に低い。だから、これは死ぬまでの夢です。死ぬまでにできたら僕の勝ち。そのためには、『やりたい』と言い続けることです」
やりたいという気持ちを発信し続ける。そうすれば、何かの拍子に「やらせてみるか」となるかもしれない。最終的に選ぶかどうかは相手次第という考えだ。
「今やっている仕事も同じですよ。この取材だって、企画自体はなくならないわけだから、僕が断ったらほかの誰かがやっていたでしょう。だから、僕じゃなくてもいいわけです。
僕が断ったことでその企画が根本的になくなるのなら、それはたいしたもの。でも、そんなことはなかなかありません。ドラフトと一緒で1位から声を掛けていって、1位が無理なら2位、3位と声を掛けていく。
そんな中で僕がやらなくてはいけないのが、『ここに里崎いますよ!』とみんなに知らせて、10位でもいいからテーブルの上に乗る努力をすることなんです。選ばれるかどうかは相手次第。運やタイミングまでマッチして、初めて選ばれる。それは神のみぞ知ることです」
今できることは、いつか球団社長になった時に、「里崎がやるなら協力してやろう」と言ってくれる応援者を一人でも増やすこと。自分の考えを世に浸透させることができる解説の仕事は、その方法の一つと考えることもできるだろう。
「誰も果たしたことのない夢だからできなくて当たり前だけど、できたら面白い。『いつかできたらいいな』という気持ちが、今の毎日の活力にもなっています。きっと5年後、10年後にはさらにいい勉強ができているだろうし、その時のベストコンディションで挑める自分にだけはなっておきたいですね」
◇お仕事名鑑はパーソルの特設サイトからご覧いただけます。 strong>
https://www.persol-group.co.jp/special/pacificleague/index.html
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