マーティン選手の弟が千葉ロッテに加入。兄と同じチームで活躍した「弟選手」を振り返る

パ・リーグ インサイト 望月遼太

アンディ・マーティン選手(C)パーソル パ・リーグTV
アンディ・マーティン選手(C)パーソル パ・リーグTV

ファンの人気を博した兄と同様、アンディ・マーティン選手も活躍できるか

 7月2日、茨城アストロプラネッツでプレーしていたアンディ・マーティン選手が、千葉ロッテに加入することが発表された。アンディ・マーティン選手は2019年から2022年まで千葉ロッテで活躍したレオネス・マーティン選手の弟でもあり、兄と同様に幕張のファンを沸かせる活躍を見せられるかに注目だ。

 過去の事例に目を向けると、兄弟揃って同じチームに在籍し、確かな存在感を放ったケースは少なからず存在している。今回は、過去にパ・リーグで兄が在籍したチームにおいて活躍を見せた4名の選手たちについて、詳しく紹介していきたい。

レオン・リー氏

レオン・リー氏 年度別成績(C)PLM
レオン・リー氏 年度別成績(C)PLM

 レロン・リー氏は1977年にロッテ(現・千葉ロッテ)に入団し、来日初年度から打率.317、34本塁打、109打点を記録。本塁打王と打点王の2冠に輝く大活躍を披露し、異国の地で実力を存分に証明した。そして、翌1978年には弟のレオン・リー氏も来日。兄に続く活躍を見せ、兄弟ともにロッテ打線の中軸を担うことが期待されていた。

 兄のリー氏は1978年も打率.317、30本塁打、88打点と、前年と同様にハイレベルな成績を記録。そして、弟のレオン氏も打率.316、19本塁打、73打点と高い打撃技術を発揮して期待に応える活躍を見せ、兄とともに主力打者として対戦相手の脅威となった。

 レオン氏は来日2年目の1979年には35本塁打と本塁打の数をほぼ倍増させ、打率.304、93打点と優秀な成績を記録。そして、1980年には打率.340、41本塁打、116打点と、打撃三部門全てでキャリアハイとなる数字を残した。同年には兄のリー氏が打率.358で首位打者を獲得しており、兄弟で打率ランキングの1位と2位を占めるという快挙を達成してみせた。

 レオン氏は1983年にロッテを離れたが、横浜大洋とヤクルトでもシーズン30本塁打以上を記録。NPBでの10年間で1436安打、268本塁打という見事な数字を残した。そして、兄のリー氏は11シーズンにわたってロッテでプレーし、NPB歴代最高となる生涯打率.320を記録。まさにNPB史に残る強打の兄弟選手として、比類なき活躍を見せたといえよう。

金田留広氏

金田留広氏 年度別投手成績(C)PLM
金田留広氏 年度別投手成績(C)PLM

 金田留広氏は1968年のドラフト4位で東映(現・北海道日本ハム)に入団し、プロ1年目の1969年に206イニングを投じて18勝を記録。翌1970年は自己最多の316.1イニングを消化し、24勝を挙げて防御率2.71というキャリアハイのシーズンを送った。プロ4年目の1972年には20勝を記録して自身初の最多勝に輝くなど、リーグ屈指の先発右腕として活躍した。

 1974年に兄の金田正一氏が監督を務めるロッテに移籍すると、2年ぶりとなる200イニング超えを果たして16勝を挙げ、自身2度目の最多勝を受賞。チームのリーグ優勝と24年ぶりの日本一にも大きく貢献し、リーグMVPの栄冠にも輝いた。獲得時の期待に大いに応える見事な投球を見せ、指揮官の兄・正一氏とともに勝利の美酒を味わった。

 続く1975年以降は勝ち星こそ伸び悩んだものの、ロッテでプレーした5シーズン全てで100イニング以上を消化。5シーズン中4度が防御率3点台以下、そのうち2度は防御率2点台と安定した投球を見せ、主力投手としてチームを支えた。兄の正一氏が監督の座を辞した1979年には広島へ移籍し、防御率2.93と好投してチームのリーグ優勝に貢献してみせた。

 留広氏は兄の正一氏と同じチームで現役としてプレーすることはなかったが、指導者に転身した兄が率いるチームで主戦投手を務めた。兄は優勝監督、弟はリーグMVPというシーズンを送った1974年は、金田兄弟にとってまさに最高のシーズンと形容できるものだった。

松沼雅之氏

松沼雅之氏 年度別投手成績(C)PLM
松沼雅之氏 年度別投手成績(C)PLM

 松沼雅之氏は兄の博久氏とともに、1978年のドラフト外で西武(現・埼玉西武)に入団。博久氏は1979年に新人ながら212.2イニングを投げて16勝を挙げる活躍を見せ、同年の新人王を受賞した。一方、雅之氏は39試合で4勝5敗、防御率4.55とプロの壁に苦しんだ。

 しかし、続く1980年に雅之氏は33試合で175.1イニングを消化し、12勝1セーブを記録して実力を証明。同年に兄の博久氏も2年連続で200イニングを突破して9勝をマークし、兄弟揃って先発ローテーションへの定着を果たした。雅之氏は同年から5年連続で2桁勝利を達成し、1981年以降は4年連続で防御率3点台以下と、先発の柱の一人へと成長を遂げた。

 1982年には博久氏が10勝、雅之氏が11勝と、プロ入り後初めて兄弟揃って2桁勝利を記録。続く1983年に雅之氏はキャリア最多の15勝を挙げ、12勝を挙げた兄の博久氏とともに、2年連続のリーグ優勝と日本一に大きく貢献してみせた。

 雅之氏は1984年にも11勝を記録するものの、1985年以降は故障の影響で投球イニングが大きく減少。1987年には21試合で5セーブ、防御率2.00と復活の兆しを見せたものの、一軍登板なしに終わった1989年限りで現役引退。通算112勝を挙げた兄の博久氏とともに西武黄金時代の礎を築き、兄弟投手としてファンに親しまれた名投手だった。

田中靖洋氏

田中靖洋氏 年度別投手成績(C)PLM
田中靖洋氏 年度別投手成績(C)PLM

 田中靖洋氏は2005年の高校生ドラフト4巡目で西武に入団し、プロ5年目の2010年に一軍デビュー。2015年には18試合で防御率1.35と過去最高の成績を残したが、同年オフに自由契約となり、トライアウトを経て千葉ロッテに活躍の場を移した。

 兄の田中良平氏も2000年のドラフト1位で千葉ロッテに指名されてプロ入りしたが、通算5試合の登板で防御率8.10と結果を残せず。かつて兄がプレーした球団に加入した靖洋氏は、移籍初年度の2016年に17試合で防御率2.76と好投を見せる。翌2017年も13試合で防御率1.98と優秀な成績を残し、2018年には32試合と大きく登板数を増加させた。

 2019年には44試合で4勝を挙げ、防御率2.72とキャリア最高のシーズンを送ってみせた。2020年は防御率2.45と好投を見せながらも故障の影響で8試合の登板にとどまったが、2021年は38試合で自己最多の10ホールドを記録。終盤に調子を落として防御率は4点台となったが、幅広い起用に応えて熾烈を極めた同年の優勝争いにおける貴重な戦力となった。

 兄の良平氏がかつて在籍した千葉ロッテにおいて、リリーフ陣の一角として7年間にわたって活躍を見せた靖洋氏。苦戦を強いられた兄のぶんまで幕張の地で躍動してみせた靖洋氏の姿は、兄弟選手の系譜を紐解くうえでも興味深いケースの一つとなっている。

パ・リーグにおける兄弟選手の活躍には、多種多様なケースが存在していた

 レロン・リー氏とレオン・リー氏、松沼博久氏と松沼雅之氏は、いずれも兄弟揃って同じチームで主軸として活躍してみせた。それだけでなく、兄が監督を務めるチームで日本一に大きく貢献した金田留広氏、かつて兄が在籍したチームで確かな足跡を残した田中靖洋氏のような例も存在しており、兄弟選手の活躍には多種多様なケースがあることを示している。

 アンディ・マーティン選手も同じくロッテで活躍したレロン・リー氏とレオン・リー氏のように、兄弟で活躍した優良助っ人として球団史にその名を刻めるか。パ・リーグに挑戦する新たな兄弟選手として、そのプレーに注目してみる価値は大いにあるはずだ。

文・望月遼太

関連リンク

NPB新記録を達成したリードオフマン・岡大海の進化に迫る
千葉ロッテの新生二遊間・友杉篤輝と小川龍成の特徴にデータで迫る
BSW期間にストリートパフォーマンスを実施
「ヒロミナイト」などパワプロコラボオリジナルの特殊能力キーホルダー登場
スラックラインの選手がZOZOマリンスタジアム外周でパフォーマンス

記事提供:

パ・リーグ インサイト 望月遼太

この記事をシェア

  • X
  • Facebook
  • LINE