各球団の歴史の中で、チームを構成する選手は替わっていく。しかし、00〜99の背番号は、選手から選手へと受け継がれてきた。全ての球団、全ての背番号には、それぞれの物語がある。
今回は、2022年のドラフトで入団した選手たちの背番号の歴史を一気に紹介。今季のルーキー選手たちは、これまでにその番号を背負った選手に追い付き、追い越すようなプレーを見せることができるだろうか。
オリックス
曽谷龍平投手の背番号「17」は、山崎福也投手が入団から3年間使用していた番号で、昨季までは増井浩俊氏が背負っていた。さらに時代をさかのぼると、プロ野球史上7位、アンダースローで284勝を挙げた山田久志氏や、メジャーリーグでも活躍した長谷川滋利氏も身に着けた番号だ。
内藤鵬選手は、西村凌選手が5年間使用した「25」を着ける。2011年〜2021年の11年間オリックスでコーチを務めた佐竹学氏(現東北楽天・一軍野手総合兼外野守備走塁コーチ)の現役時の背番号であるほか、山田久志氏も2年目まで使用した。
齋藤響介投手の「26」は、東明大貴氏、能見篤史氏らが使ったもので、杉澤龍選手の「33」は通算254勝の梶本隆夫氏に代表される。海田智行氏が11シーズンにわたって背負った「47」は、日高暖己投手が引き継ぐこととなった。
福岡ソフトバンク
イヒネ・イツア選手の背番号は「36」。2004年以降、明石健志二軍打撃コーチから牧原大成選手へと名ユーティリティプレーヤーがつないできた。大津亮介投手の「26」は、1973年のドラフト1位であり、先発投手として活躍した藤田学氏や、平成唯一の三冠王・松中信彦氏が入団当初に身に着けていた。
生海選手の「37」は、直近はムーア投手、マルティネス投手と外国人投手が連続しているが、それ以前は主に外野手としてチームに貢献した福田秀平選手が使用していた。大野稼頭央投手の「60」は、本塁打数・打点数で共に歴代3位を誇る門田博光氏がかつて背負った番号で、中村晃選手も入団から6年間着けていた。
松本晴投手の「49」を使用した選手としては、2度の最多ホールド投手に輝いた吉田修司氏がいる。吉田賢吾選手は「64」を背負う。こちらは、2001年に13勝を挙げ、現在は二軍投手コーチとしてチームを支える田之上慶三郎氏が使った番号だ。
埼玉西武
蛭間拓哉選手は、ルーキーながら一桁の背番号「9」を託された。3年連続2桁盗塁など俊足を生かして活躍した赤田将吾一軍外野守備走塁コーチのほか、近年では、2012年に投手から外野手へと転向、2019年には130試合に出場した木村文紀選手が使用した。
古川雄大選手が着ける「33」は、パ・リーグ屈指のスラッガーが身に着けていたもの。今ではすっかり「3」が定着した山川穂高選手だが、2019年以前はこの番号でプレーしていた。野田海人選手の「38」は、前任の牧野翔矢選手から捕手が続いた。
青山美夏人投手の「29」は、2度の2桁勝利を記録した三井浩二氏、主に中継ぎとして登板した小石博孝氏など、近年は投手が多い。「36」は同一選手では7シーズンが最長で、比較的入れ替わりの激しい数字と言える。山田陽翔投手には、この番号を自分のものとする活躍に期待だ。児玉亮涼選手の「0」は、初めて使用されたのが1996年と比較的歴史の浅い番号で、同選手で8人目となる。
東北楽天
荘司康誠投手の「19」は、数々の記録を打ち立て、プロ野球界に多大な功績を残した野村克也氏の監督時代の背番号。退任以降しばらく空番となっていたが、2016年のドラフト1位・藤平尚真投手が使用していた。
小孫竜二投手の「22」は、現在チームスタッフとして活動する戸村健次氏が10シーズン身に着けたもの。渡辺翔太投手の「31」は現千葉ロッテの美馬学投手や福井優也投手が、伊藤茉央投手の「41」は青山浩二氏が代表的だ。
永井怜二軍投手コーチの現役時代の番号である「30」は、平良竜哉選手が着けることに。昨シーズン限りで現役を引退した福山博之氏の「64」は、林優樹投手へと引き継がれた。
千葉ロッテ
菊地吏玖投手が背負うのは「28」。育成投手コーチ兼二軍投手コーチの松永昂大氏が2021年まで使用した番号となる。友杉篤輝選手の「10」は、1シーズンに3本の満塁弾を放つなど勝負強い打撃で知られた大松尚逸氏、歴代最多安打の張本勲氏と活躍者がそろう。
田中晴也投手は、今季から背番号を「47」に変更した鈴木昭汰投手が着けていた「35」を背にする。高野脩汰投手の「34」は、投手として数々のプロ野球記録を持つ金田正一氏が監督時に使用した。金田優太選手の「68」を最も長期間使っていたのは早坂圭介氏。現役時代は2009年に103試合に出場し、現在は独立リーグで監督を務める。
北海道日本ハム
矢澤宏太投手は、昨季首位打者のタイトルを獲得した松本剛選手の「12」を継承する。金村尚真投手の「24」は、昨季まで野村佑希選手が着用していた。投手では、4球団を渡り歩き、先発・中継ぎの両方で結果を残した下柳剛氏がいる。
加藤豪将選手の「3」は、田中賢介氏が思い出される。NPB通算1499安打、2007年には当時のリーグ記録となるシーズン58犠打を決めるなど、長期にわたって多方面からチームを支えた。
安西叶翔投手の「54」は、直近5年で4度3割越えの打率を記録しているヒットメーカー・近藤健介選手が使っていたこともある背番号。奈良間大己選手の「58」は、1シーズンのみだが稲葉篤紀氏が背負っていた。宮内春輝投手の「62」は、捕手・一塁手として活躍を見せた高橋信二氏がデビュー当初に使用した。
近年になって使われるようになった番号から、長く使用され続けてきものまで、2022年のドラフトで入団した選手の背番号について見てきた。歴史を受け継ぐこととなる新人選手たちには、自らがその背番号の代表的な選手となれるような活躍を期待したい。
文・吉村穂乃香
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