【日刊スポーツ×パ・リーグインサイト Vol.10】最終回はパ・リーグの観客動員数に注目! 紙面上には独特な表現も……?

2021.4.7(水) 06:40 パ・リーグ インサイト 吉田貴
(C)PLM
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 パ・リーグ創設70周年を記念してお送りする特別企画。日刊スポーツよりご提供いただいた紙面を参考に、全10回で当時のパ・リーグを振り返る。また、野球殿堂博物館の井上裕太学芸員より当時についての詳細な解説もいただいた。

 シーズン当初から続いてきた連載も今回でいよいよ最終回。これまでの連載では、パ・リーグ最初の「開幕戦」から、初代リーグ王者の決定、そしてタイトルホルダーの発表など、試合や選手を中心に取り上げてきた。ただ、今回はこれまでの連載とはやや趣向を変え、70年前のパ・リーグの取り組みと、当時の観客動員数について注目する。

(C)日刊スポーツ
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独特な表現「一升の水が入った二升の酒」が意味する当時の背景とは?

 今回取り上げた紙面は1950年4月8日の紙面だ。約1カ月前に始まった2リーグ制の動向を振り返っている。まず、紙面上では独特な表現が使われている冒頭文について触れたい。

「『一升の水』が入った『二升の酒』とは知りつつも(中略)やはり『水プラス酒』の二升は昨年のような魅力に乏しいようである」

 この2文だけでは何を意味しているのか全くわからないが、井上さんは「『酒』というのが技術の伴った実績のある選手で、『水』はチーム数が増えたことで新たに入団した新人選手ではないか」と指摘する。つまり、この2文は新設された2リーグの選手事情についての比喩であるということだ。

 これまでの連載でも触れたが、2リーグ制が誕生するにあたり、既存球団と新規球団の間で選手の確保に向けた動きが活発化した。リーグMVPを獲得した別当薫選手を筆頭に、阪神から多くの選手が移籍した毎日のような球団があった一方で、チームの編成に苦しんだ球団もあったようだ。

「黄金カード」の存在

 こうした背景を加味しつつ、当時のパ・リーグとセ・リーグの観客動員数について見ていきたい。当時の4月5日時点でセ・リーグの1試合平均の観客数が9160人だった一方で、パ・リーグは1試合平均で12200人と上回っている。この背景には当時のセ・リーグの人気カードだった「巨人対阪神」「巨人対中日」の後楽園球場での2試合がいずれも悪天候で中止になったことなどが挙げられている。井上さんはこうした「黄金カード」について次のように説明する。

「当時はフランチャイズ制度がないので、球団別でどれだけ人気かというのを推し量るのは難しいのですが、巨人が強かったという点のはありますね。あとはパ・リーグだと南海が昔からあるチームですし、1リーグ時代でも優勝しているところでもあるので、人気があったというのは推測できます。

 パ・リーグの黄金カードは毎日対南海と言われていましたね。この試合となると観衆が集まってきたといいます。やはりパ・リーグの中でも戦力の充実していたチームでしたので、この2チームの首位争いを目当てに来る人もたくさんいたのではないかと考えられます。(人気カードとその他のカードで差があった?)そうですね。特に新しくできた球団でそれほど戦力の整わなかったところは厳しい状態だったと思います」

 現在では、各球団がそれぞれ魅力的な選手や応援でファンを獲得しており、テレビ中継はもちろん、「パーソル パ・リーグTV」のようなネット上の配信で簡単に自分の好きなチームや選手を応援することができる。しかし、70年前はまだテレビがない時代(本放送は1953年から)。そのため、新聞などで活躍が大々的に取り上げられるスター選手が多く在籍するチームに人気が集中していたのかもしれない。

新旧チームの対戦? 開幕前には「前夜祭」も開催された

 また、当時のパ・リーグでは新しいプロ野球の形を祝う「前夜祭」のようなイベントも行われていたようだ。現在ではシーズン終了後に「ファン感謝デー」が開催されるのが恒例となっているが、パ・リーグ初年度だからこその「前夜祭」だったと言えるだろう。

「パ・リーグの新球団と既存球団の選抜チームによる対抗試合などをやっていました。特に新規参入の近鉄に入団した関根潤三さんが、ものすごく活躍したという記録があります。3月9日の西宮球場での試合ですね。(OB戦のようなもの?)スタルヒン(大映)も投げていますし、現役の選手の試合ですね。おそらくお披露目式のようなイベントもあったのだと思います。顔見せ興行で花火が打ち上げられたり、楽隊の演奏などもあったようです。試合結果は8対3で新球団チームのほうが勝利していますね」(井上さん)

 関根潤三さんといえば、近鉄入団後8年間は投手として3度の2桁勝利を記録。さらに9年目からは野手として活躍し、投手と野手の両方で合計5度のオールスター出場を果たした。加えて、現役を退いた後には指導者として大洋(現・横浜DeNA)やヤクルト(現・東京ヤクルト)で数々の名選手を育成するなど、多方面において野球界の発展に貢献し、2003年に殿堂入りを果たしている。昨年4月に逝去された際には多くの野球関係者から惜しむ声が聞かれた。

パ・リーグの中小学生無料招待は戦前から

 やや小さいが、紙面中央の位置にある小見出しに注目して欲しい。「パ・リーグ、中小学生を招待」とある。4月17日の後楽園球場での試合で、5年生以上の小学生と、中学生をなんと無料で外野席に招待している。申し込み先着1万5000名とこちらも驚きの数だ。

「戦前から、『同伴の子どもは無料』という、子どもたちを招待する企画はありましたね。ちなみに戦時中ですと『軍人は無料』というのもありました」(井上さん)

 現在では、球団が子どもたちを球場へ招待することはもちろん、個人でも同様の活動をする選手もいる。さらには、試合への招待だけでなく、球場の内外で様々な交流が図られている。子ども時代のこうした思い出が、のちの新たなプロ野球選手の誕生に寄与していることも少なくはないはずだ。ファンと共に歩むプロ野球は、70年前のパ・リーグで芽吹いていたのかもしれない。

70周年は異例のシーズン。それでも変わらないプロ野球の魅力

 メモリアルイヤーの2020年は、新型コロナウイルスの影響で開幕が遅れ、120試合の短縮シーズンとなるなど、プロ野球の歴史でも未曾有の危機に直面する年であったことは確かだ。だからこそ、6月19日の開幕戦、そして観客の入場が認められた7月10日の試合で「野球がある日常」を噛み締めたファンも多かったはずだ。数えきれない方々の協力によって全チームがシーズンを戦い抜き、今季も多くのファンを熱くする好プレーが生まれた。こうしたプロ野球の真の魅力は、70年前にパ・リーグが誕生した時と変わっていないはずだ。もちろん、71年目の今季も80年目を迎えるその時もである。

 最後に、この場をお借りして歴史を紐解く手がかりを提供していただいた日刊スポーツ、そして貴重な解説をいただいた野球殿堂博物館の井上学芸員には最後に心からの感謝を述べさせていただきます。

文・吉田貴

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