【日刊スポーツ×パ・リーグインサイト Vol.8】殿堂入りのレジェンドが3人も。パ・リーグの初代タイトルホルダーたち

パ・リーグ インサイト 吉田貴

2020.12.22(火) 16:00

(C)PLM
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 パ・リーグ創設70周年を記念してお送りする特別企画。日刊スポーツよりご提供いただいた紙面を参考に、全10回で当時のパ・リーグを振り返る。1950年は、偶然にも今季と同じ120試合でシーズンが行われた。時代は違えど、当時の成績は参考にしたい数字の一つだ。

 70年前、初代パシフィック・リーグ王者となった毎日オリオンズは、その勢いのままに初開催となったの日本シリーズ優勝まで駆け抜けた。連載8回目となった今回は、当時の日刊スポーツの記事を参考に、パ・リーグ初年度のタイトルホルダーを取り上げる。

(C)日刊スポーツ
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毎日・別当薫選手が本塁打と打点の二冠。夢の「四冠王」にもあと一歩の成績

 以下が、今から70年前のパ・リーグの打撃タイトル獲得者たちだ。この選手たちがパ・リーグの「初代タイトルホルダー」である。なお、最多安打の表彰は1994年、最高出塁率の表彰は1962年から。最高出塁率の表記は1950年当時に犠飛の記録がないため、本記事では除外している。

首位打者 大下弘(東急)打率.339(106)
最多本塁打 別当薫(毎日) 43本塁打(120)
最多安打 別当薫(毎日) 160安打(120) 
最多打点 別当薫(毎日) 105打点(120)
最多盗塁 木塚忠助(南海) 78盗塁(116)
※カッコ内はチーム、出場試合数

 まず、目に留まるのは別当薫選手だろう。最多本塁打に加えて最多打点のタイトルも獲得。当時は最多安打のタイトルがなかったものの、160安打はパ・リーグ最多の成績だ。120試合で43本塁打となると、約3試合に1本のペースで本塁打を量産していたことになる。本塁打数2位の近鉄・森下重好選手は30本であることを考えれば、圧倒的な成績だ。まさに、毎日を日本一へ導く最大の原動力となったと言えるだろう。

 ちなみに、別当選手は打率でもリーグ2位となる.335を記録している。三冠王は1965年の野村克也選手(南海)が2リーグ制となって初だが、場合によってはその創設初年度にいきなり三冠王が誕生する可能性もあったと言える。1988年に殿堂入りを果たしている。

 首位打者を獲得したのは東急の大下弘選手だ。1947年以来自身2度目。1リーグ制と2リーグ制の両方での首位打者の獲得となった。大下選手は、1リーグ制時代から巨人・川上哲治選手と「赤バットの川上、青バットの大下」として当時の野球人気を二分した伝説的な存在だ。野球殿堂博物館には、両選手のバットも展示してあるので野球ファンであれば一度は対面しておくのもいいだろう。別当選手と同じく、1980年に殿堂入りを果たしている、

 最多盗塁を獲得した南海の木塚忠助選手も、当時は投手のクイックモーションが考案されていなかったとはいえ、116試合で174出塁、その中での78盗塁は素晴らしい成績だ。ちなみに、福岡ソフトバンク・周東佑京選手は今季109出塁で50盗塁。出塁回数をさらに上げることができれば、同じ福岡ソフトバンクの本多雄一選手が2011年に記録して以来となる60盗塁の大台突破も見えてくる。

「火の球投手」荒巻淳投手がルーキーながらも投手二冠。後に殿堂入りを果たすレジェンドは鮮烈なデビューだった

 続いては、投手タイトル獲得者だ。第6回、第7回の連載に目を通していただければ、何度か登場した名前であることに気がつくはずだ。なお、最多セーブは1974年、最優秀中継ぎ投手は1996年から創設されている。

最優秀防御率 荒巻淳(毎日)防御率2.06
最多勝利 荒巻淳(毎日) 26勝8敗
最高勝率 野村武史(毎日) 勝利.818(18勝4敗)
最多奪三振 米川泰夫(東急)207奪三振(23勝23敗)
※カッコ内はチーム、勝敗

 毎日・荒巻淳投手はルーキーながらも投手二冠を獲得する圧巻の活躍ぶり。連載第7回でも触れたように、日本シリーズでは振るわなかったものの、シーズンではチーム勝率.704を記録した快進撃に大きく貢献したと言えるだろう。パ・リーグの初代新人王にも輝いている。今季は「火の玉ストレート」で活躍した阪神・藤川球児投手が現役引退を表明したが、荒巻投手も左腕からの快速球が持ち味で、「火の球投手」と呼ばれていた。プロ13年間で173勝を挙げ、1985年に殿堂入りを果たしている。

 最高勝率を獲得した野村武史投手はシーズン中の活躍はもちろんのことながら、日本シリーズでの活躍も光った。詳しい内容は第7回の記事で取り上げているが、毎日の4勝のうち3勝を野村投手が記録するなど、大車輪の活躍でチームを頂点に導いた。最多奪三振の米川泰夫投手は第6回の記事に登場している。毎日がリーグ優勝を決める試合で敗戦投手となってしまったものの、58試合に登板して27完投、363.2回を投げ抜くなど草創期の東急を支えた大投手だ。

「別当か、荒巻か」紙面上では最優秀選手についての議論も

 最後に、紙面上の情報に注目したい。その年の「顔」でもある最優秀選手、さらにはパ・リーグ初のリーグMVPだっただけに、当初は別当投手と荒巻投手で記者の間でも意見が分かれると予想されていたようだ。ただ、いざ結果を見てみると荒巻投手の7票に対し、別当選手が27票を獲得して最優秀選手に輝いている。

 この投票は別当選手が大活躍を見せた日本シリーズ後に実施されたこともあり、シーズンの活躍以上に票の差が開いたのではないかという意見も掲載されている。ただ、「最高殊勲選手の栄を担った別当はやはりパのNO.1で技、心ともに全選手の範とすべきであり、この点において異議はない」とあるように、別当選手は当時のプロ野球界の顔とも言える存在だったのだろう。

新人王だけじゃない。興味深い「ベスト新鋭」の存在

 最優秀選手は逃してしまった荒巻投手だが、新人王では31票中29票と圧倒的な支持で獲得している。さらに、注目したいのは記事下部にある「新鋭ベストナイン」だ。通常のベストナインとは異なり、「プロ3年未満、満25歳以下」の条件のもと、各ポジションで優秀だった選手についての投票が行われている。まさに、各ポジションの新人王のような形だ。

 紙面上によれば、この企画はパ・リーグが「新人の向上心を刺激し将来のプロ野球を健全発達させる」という目的から実施されたようだ。現在では25歳以上でプロの世界に足を踏み入れる選手もおり、当時の基準をそのまま適用することはできないが、新たな基準で各ポジションの新人王について考えてみても面白いかもしれない。

70年前から存在するタイトルを獲得する意味

 後から新たに追加されたものや、基準が変更になったものはあるものの、基本的にタイトルの本質は変わっていない。最も多くの本塁打を放った選手が「本塁打王」を獲得するのは、70年前から同じである。まさに、今季のタイトルホルダーとなった選手は70年のパ・リーグの歴史に新たに名を刻んだ存在であると言えるだろう。次回は、70年前のパ・リーグのベストナインについて取り上げる。こちらもタイトルと同じく、70年の歴史に刻まれる一つの形であると言えるだろう。

関連リンク

第1回「パシフィック・リーグの創設」
第2回「パシフィック・リーグ初めての公式戦」
第3回「パ・リーグ、今も破られない70年前の記録とは?」
第4回「パ・リーグ創設初年度に起きた『放棄試合』の全容」
第5回「70年前と現在の記事を見比べてみよう」
第6回「70年前の『パ・リーグ初代王者』がついに決定」
第7回「2リーグ制初の日本シリーズはパ・リーグが制す!」
第9回「パ・リーグ初代ベストナインたち」

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記事提供:

パ・リーグ インサイト 吉田貴

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