対照的なスタイルの2名の功労者。内竜也と大谷智久の足跡を、経歴と指標から振り返る【前編】

パ・リーグ インサイト 望月遼太

千葉ロッテマリーンズ・内竜也投手(左)と大谷智久投手(右)(C)パーソル パ・リーグTV
千葉ロッテマリーンズ・内竜也投手(左)と大谷智久投手(右)(C)パーソル パ・リーグTV

ともに10年以上にわたってマリーンズに在籍してきた、2名の功労者

 2021年1月21日、2020年まで千葉ロッテに在籍していた内竜也投手が、現役から退くことを表明した。既に昨季限りでの現役引退を発表していた大谷智久投手と合わせて、2名のベテランが揃ってユニフォームを脱ぐこととなる。マリーンズでの在籍年数は、内投手が17年間、大谷投手が11年間。ともにチームの重鎮として、長きにわたって活躍してきた功労者だった。

 今回は、惜しまれながら昨季限りで現役を退いた2投手の経歴を、あらためて紹介するとともに、セイバーメトリクスの見地に立った各年度の成績の分析も行った。両投手が長年にわたってプロで活躍できた理由と、投手としてとりわけ優れていた点について、今一度振り返っていきたい。

一躍その名を知らしめた、2010年ポストシーズンでの圧巻のピッチング

 内投手が記録した年度別の投球成績は、下記の表の通りだ。

内竜也投手 年度別成績(C)PLM
内竜也投手 年度別成績(C)PLM

 内投手は川崎工業高校を経て、2003年のドラフト1巡目で千葉ロッテに入団。高卒1年目の2004年には早くも一軍デビューを果たすが、その後の4年間で一軍登板を記録したのは2006年のみと、入団当初はやや苦しんでいた。それでも、2009年に一軍で自己最多の登板数を記録すると、2010年にはポストシーズンの舞台で大きなインパクトを残してみせる。

 クライマックスシリーズ・ファーストステージの第1戦では同点の場面で登板して勝ち越し適時打を許したものの、その後はファイナルステージも含めて4試合で無失点。CS突破にも貢献すると、迎えた日本シリーズではさらなる快投を披露。4試合で8イニングを投げて無失点、13奪三振という圧巻の数字を記録し、その才能を日本中に知らしめた。シリーズ優秀選手賞を受賞するとともに、5年ぶりとなるチームの日本一にも大きく寄与した。

 翌年以降はさらなる活躍が期待されたが、2011年から5年連続で手術を受けるほどに故障が相次ぐ。それでも、2012年からの5シーズンで4度防御率1点台を記録しており、登板した試合では支配的な投球を見せていた。状況に応じてクローザーも任されるなど歴代の首脳陣からの信頼も厚く、とにかく故障の多さだけがネック、という状態が続いていた。

相次ぐケガに悩まされたが、2017年からは2年続けて50登板をクリア

 そんな中で迎えた2017年、内投手はプロ14年目にして初めて大きな故障なくシーズンを戦い抜くことに成功する。6月終了時点で防御率0.68と中盤戦までは投球内容も素晴らしく、リリーフ陣の中心として抜群のピッチングを続けた。夏場以降はやや調子を落としたものの、登板数は自身初めて50試合の大台に到達。シーズン途中からはクローザーを託され、調子の上がらないチームの中で奮闘を見せた。

 続く2018年も引き続きクローザーとして起用され、中盤までは最多セーブの座を争う活躍を見せる。プロ15年目にして自身初のオールスターにも選出されたが、前年と同様に7月以降は不調に。最終盤は抑えから外れたものの、2年連続の50試合登板をクリアした。ついに故障を克服したかに思えた内投手だったが、同年オフには自身8度目となる手術を受けることに。それ以降の2年間は一軍登板を果たせず、2020年限りで現役を退くこととなった。

伝家の宝刀・スライダーと快速球を武器に、まさに圧倒的な投球を披露した

 内投手の最大の武器といえば、なんといっても縦に鋭く落ちる切れ味抜群のスライダーだ。そのスライダーに加えて伸びのある快速球も備えており、この2球種のコンビネーションは強力無比。そして、カットボール気味の変化の小さいスライダーと、2つ目の落ちる球であるフォークも備える。5年間で4度にわたって防御率1点台を記録したように、その投手としての能力は、並みいる強打者たちを力でねじ伏せられるだけの圧倒的なものだった。

「史上最大の下克上」の立役者の一人となった2010年の活躍に代表されるように、大舞台でも臆せず本来の力を発揮できるメンタルの強さも、内投手の大きな長所。相手の研究が進むポストシーズンにおいても好投を続けたことからも、全盛期の投球は「わかっていても打てない」レベルにあったとも考えられる。それだけに、度重なる故障と相次ぐ手術によって、本来のポテンシャルをフルに発揮できなかったことが、つくづく惜しまれるところだ。

高校・大学・社会人・そしてプロ野球の全てで優勝を経験した稀有なキャリア

 大谷投手が記録した年度別の投球成績も、以下に紹介していきたい。

大谷智久投手 年度別成績(C)PLM
大谷智久投手 年度別成績(C)PLM

 大谷投手は報徳学園高校時代に春のセンバツで優勝投手となり、早稲田大学では東京六大学野球で4度の優勝を経験。トヨタ自動車でも日本選手権連覇を果たし、高校・大学・社会人の全てで優勝を経験するという稀有なキャリアを歩んだ。アマチュア球界の名門を渡り歩いた、いわば野球エリートと呼べる実績を備えた大谷投手は、プロの舞台においてもその実力を大いに発揮していく。

 2009年のドラフト2位で千葉ロッテに入団すると、ルーキーイヤーから一軍で11試合に登板。防御率7点台とプロの壁に苦しんだが、チームはポストシーズンを勝ち進み、日本シリーズを制覇。プロ1年目から歓喜を味わった大谷投手にとっては、高校、大学、社会人に続いて、プロ野球においても優勝を経験することにもなった。

 翌2011年には先発と中継ぎを兼任しながら登板を重ね、自己最多の120イニングを投げるフル回転の活躍を見せる。続く2012年も引き続いて先発とリリーフの双方で登板し、困った時に頼れる存在としてチームを支えた。

2014年にリリーフに転向し、安定感抜群のセットアッパーとして活躍

 プロ入りからの4年間はやや便利屋的な起用が目立った大谷投手だったが、2014年に中継ぎに専念したことが飛躍のきっかけに。2014年は49試合に登板して防御率1点台という安定感抜群の投球を見せ、一気にセットアッパーの座へと定着。続く2015年も安定した投球は続き、自己最多の32ホールドを記録した。その後の2年間も防御率3点台と一定の投球内容を維持し、30歳の大台を超えてからも、ブルペンの一角として登板を重ねていった。

 2018年も7月11日の時点で防御率3.60と、中盤戦までは過去2年間と同様の投球を見せていたが、最終的には防御率5点台とやや安定感を欠いた。その後は2019年に防御率1.57、2020年に防御率2.38と二軍では好投したが、新戦力の台頭もあり、一軍での登板機会は僅かに。2021年からは育成投手コーチに転身し、指導者としてのキャリアをスタートさせている。

プロ11年間で積み上げた120ホールドという数字は、歴代でも上位の好記録

 大谷投手は先述した内投手のように、150km/hを優に超える剛速球や、圧倒的な変化球を持っていたわけではない。それでも、スライダー、カーブ、フォーク、カットボール、シュートといった多彩な変化球を制球よく投げ分け、打たせて取る投球を持ち味としていた。絶対的な決め球はなくとも冷静に打者を仕留めていく投球スタイルからも、アマチュアで培ってきた数々の経験と、豊富な優勝経験からくる勝負勘を感じさせるところだ。

 先発からリリーフに転向する投手は、先発時に比べて用いる球種を絞るケースが往々にして多い。しかし、大谷投手はリリーフ転向後も多くの球種を使い分けるスタイルを維持したまま、結果を残したという点は特筆すべきだろう。プロ11年間で積み上げた120ホールドは、2020年終了時点で現役だった選手の中では9位、歴代でも17位に位置する記録だ。25歳と比較的遅いプロ入りながら、NPBにおいてもその足跡を確かに刻んだと言える。

 後編では、セイバーメトリクスで用いられる、5つの指標をもとに、両投手の足跡を振り返っていきたい。

文・望月遼太

後編はこちら

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