21世紀初の記録。増井投手が成し遂げた今の時代に難しい数字とは?

パ・リーグ インサイト

2016.11.23(水) 00:00

北海道日本ハムファイターズ・増井浩俊投手(右)(C)パーソル パ・リーグTV
北海道日本ハムファイターズ・増井浩俊投手(右)(C)パーソル パ・リーグTV

10月29日に北海道日本ハムが「SMBC日本シリーズ2016」で広島を破り、10年ぶりの日本一に輝いた。投打で圧倒的な存在感を示した大谷選手、自身初の打率3割をマークし、日本シリーズ第5戦で史上2人目となるサヨナラ満塁弾を放った西川選手をはじめとする若手選手の躍動が優勝の原動力となったことは間違いない。しかし、ここでは、シーズン途中に先発に配置転換となり、自身初の2桁勝利で日本一に大きく貢献した7年目の右腕・増井投手に焦点を当てて今季の貢献度を振り返ってみたい。

増井投手は2009年のドラフトで5位指名を受けて北海道日本ハムに入団。入団当初は先発として起用され、中継ぎも経験したが2014年からは抑えに定着し、昨季は抜群の安定感で39セーブを記録。「世界野球WBSCプレミア12」のメンバーにも選出され、日本球界を代表する守護神としての地位を確立した。

しかし、今季の前半は勝負所を任されながらも踏ん張りきれず、10セーブを挙げた後に守護神の座をマーティン投手に譲り、先発へと配置転換となる。すると、2010年以来となる久しぶりの起用の影響を全く感じさせず、8月18日のオリックス戦から自身初の完封を含む怒とうの7連勝。終わってみればチームの日本一に大きく貢献する10勝10セーブという記録を達成した。これは両リーグ合わせて16年ぶりの快挙である。

今シーズン、2桁セーブを記録した投手は、パ・リーグで8人、両リーグ合わせて15人。2桁勝利を達成した投手は、パ・リーグで12人、両リーグ合わせて19人だった。そして、そのどちらも達成したのはもちろん、増井投手ただ1人である。

日本のプロ野球で救援投手にセーブという記録が与えられるようになったのは今から42年前の1974年からだが、その間に増井投手のように2桁勝利2桁セーブを達成した投手は、両リーグ合わせて29人。いずれも、球史に名を残す名投手ばかりである。

2桁勝利2桁セーブを記録した最後の投手を見ると、16年前の2000年までさかのぼる。現役時代「幕張の防波堤」と呼ばれ、現在は千葉ロッテの一軍投手コーチを務める小林雅英氏が最後だ。そのときの記録は11勝14セーブ。惜しいところでは、2013年に埼玉西武のサファテ投手(現・福岡ソフトバンク)が9勝10セーブという記録を残した。セ・リーグでは1992年に達成した佐々木主浩氏(当時・大洋)を最後に、達成した選手は現れていない。

小林雅英氏は、この年がプロ2年目で、1年目は5勝5敗という成績だった。基本的に先発として起用されていたが、開幕後3戦連続で敗戦投手となり、中継ぎに配置転換される。その後4月25日の日本ハム戦に無死満塁から登板し、無失点で抑えるなどして結果を残すと、ウォーレン投手に代わって抑えを任され、2桁勝利2桁セーブを達成する。

この記録が両リーグ合わせて16年もの間達成されなかったことを考えれば、1シーズンの間に先発と抑えという異なる役割をこなし、両方で結果を残すことがどれほど困難か、ということがお分かりいただけるであろう。近年は、長いイニングを投げる先発の怪我のリスクを少しでも減らすために投手の分業化が進んでおり、達成への難易度はさらに上昇している。

1週間に1度、予告先発として指名され、誰も触れていないまっさらなマウンドに立つ花形ながら、勝敗の責任の大部分を負う先発投手。毎日のようにブルペンで肩を作り、一打逆転のピンチに颯爽と駆けつける救援投手。どちらも不可欠な戦力であり、野球の魅力の大きな要素である。若い先発陣、蓄積疲労が心配されるリリーフ陣の中にあって、そのどちらでも優れた成績を収めた増井投手の、チームの勝利への貢献度は計り知れない。

北海道日本ハムが日本一に駆け上がるまでの要所で、栗山監督の采配が光る場面が数多く見られたが、増井投手の先発への配置転換という決断も栗山監督ならではのことだろう。来季からは他球団からのマークが厳しくなることが予想されるが、激戦を戦い抜き、さらなる成長を遂げた増井投手の快投が来季もたくさん見られるはずだ。

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