千葉ロッテの「ゴールデンイヤー」再び? 千葉移転後はAクラス率80%の“5年周期”を振り返る

パ・リーグ インサイト 望月遼太

2020.9.23(水) 18:00

過去2度のCS激突 両チームの因縁とは...!? 2015/10/14 CS Final H-M
過去2度のCS激突 両チームの因縁とは...!? 2015/10/14 CS Final H-M

2014年の里崎氏の発言により、にわかに注目を集めた“5年周期”

 千葉ロッテは9月23日の時点でパ・リーグ2位に位置しており、2016年以来となるAクラス、さらには2位以内に入ってのポストシーズン進出の可能性も見えてきた。マリーンズが前回リーグ優勝を果たしたのは2005年、日本一となったのは2010年と、それぞれ10年以上前の話となる。久々に優勝争いを演じている今季は、それ以来となるタイトル獲得の可能性も十二分にあることだろう。

 さて、先ほど紹介した2005年、2010年という年号を見てもわかる通り、千葉移転以降の千葉ロッテは、5年周期で好調なシーズンを迎えることが多くなっている。今から25年前の1995年には2位に躍進しており、2015年にも3位に入ってクライマックスシリーズに進出。1975年以降に千葉ロッテ(前身を含む)がリーグ優勝と日本一のどちらかを達成したのは、先述した2005年と2010年の2度だけという点からも、相性の良さがうかがえる。

 また、主戦捕手として長年にわたってチームを支えた里崎智也氏が、2014年に現役を退く際に、翌2015年のシーズンをチームにとっての「ゴールデンイヤー」と形容したことで、この縁起の良いジンクスがファンの間にも浸透するに至った。球団史上最多の87敗を喫した2017年以降は苦戦が続いていた千葉ロッテが、ちょうど5年が経った今季に再び好調なシーズンを送っているという点からも、あらためて“5年周期”の力を感じるところだ。

 今回は、本拠地を千葉に移した1992年以降の千葉ロッテが、年号の末尾が「0」と「5」となったシーズンにおいて、どのような戦いぶりを見せてきたのかを紹介していきたい。ファンにとっては思い出深いシーズンも多いであろう各シーズンの詳細を振り返るとともに、ジンクスを受け継ぎつつある今季のマリーンズの躍進にも期待を寄せたい。

1995年(69勝58敗3分:リーグ2位)

 後に2005年の日本一に貢献して同年の正力松太郎賞も受賞したボビー・バレンタイン氏が、初めて千葉ロッテで指揮を執ったのが1995年のシーズンだった。1985年の2位を最後に、9年連続Bクラスと低迷期の真っただ中にあったマリーンズだが、この1995年は投打がかみ合った戦いを披露し、10年ぶりのAクラスとなる2位に入る躍進を見せていた。

 個人成績の面でも、初芝清氏が80打点でイチロー氏、田中幸雄氏と並んで打点王のタイトルを分け合い、エースの伊良部秀輝氏は防御率2.53、239奪三振で、最優秀防御率と最多奪三振の2冠に輝いた。打率ランキングでは、リーグ2位が堀幸一氏(打率.309)、同3位がフリオ・フランコ氏(打率.306)、同4位が初芝氏(打率.301)、同6位が諸積兼司氏(打率.290)と、リーグ全体が投高打低にあった中で、多くの選手を上位に送り込んでいた。

 ピッチャーではプロ6年目の小宮山悟氏が防御率2.60でリーグ3位、長身左腕のエリック・ヒルマン氏が防御率2.87で同4位と、伊良部氏も含めた先発3本柱が揃って活躍。リリーフでも成本年秀氏と河本育之氏のダブルストッパーが活躍を見せ、投手陣は充実していた。また、後に「魂のエース」と呼ばれるプロ1年目の黒木知宏氏が、先発とリリーフの双方で登板を重ね、5勝7敗、防御率3.71と、まずまず順調なルーキーイヤーを送っていた。

 長年チームを支えた西村徳文氏や愛甲猛氏といったベテランに衰えが見え隠れしていた一歩で、加入初年度ながらリーダーとしてチームを引っ張った現役メジャーリーガーのフランコ氏をはじめ、堀氏、初芝氏、諸積氏、平井光親氏といった、若手や中堅の野手陣が活躍。同じく大物の現役大リーガーだったピート・インカビリア氏は不発に終わったものの、野手陣も総じて高いレベルにあったといえよう。

 ところが、シーズンオフにバレンタイン監督が退任し、それに伴い、プレーと人間性の両面でチームに貢献していたフランコ氏も退団。翌年には伊良部氏とヒルマン氏が揃って退団するなど主力の流出は続き、良い流れを迎えつつあった球団は再び低迷期に陥っていくこととなる。

2000年(62勝67敗6分:リーグ5位)

 千葉ロッテが5年周期で好調期を迎えているのは先述の通りだが、その中でも2000年はやや例外的なシーズンに。先述した低迷期のさなかにあったチームはこのシーズンも苦戦を続け、“5年周期”の中では千葉移転後唯一のBクラスとなる5位に終わっている。

 投手陣では先発陣の大黒柱の一人だった小宮山悟氏が退団し、エースの黒木知宏氏は10勝を挙げたものの、故障の影響もあって防御率5.18という不本意な数字に終わった。そんな中で、大ブレイクを見せたのが小野晋吾氏だった。日曜日の登板で好投を続けたことから、OBの村田兆治氏になぞらえて「サンデー晋吾」の異名を取り、リーグ2位となる防御率3.45という好成績を記録。13勝5敗と多くの白星を積み上げ、最高勝率のタイトルにも輝いた。

 リリーフ陣ではプロ3年目の左腕・藤田宗一氏が、防御率4.27ながら自己最多の70試合に登板し、最多ホールドのタイトルを獲得。プロ2年目の小林雅英氏も1年間で先発、中継ぎ、抑えの全てを経験する目まぐるしいシーズンを過ごしたが、65試合で109.2回を投げ、11勝6敗14セーブ、防御率2.13という大車輪の活躍を見せた。このように、5年後の「YFK」の軸となる2名にとっても、意義深いシーズンとなっていたといえよう。

 野手では前年に入団したスイッチヒッターのフランク・ボーリック氏が4番として躍動し、打率.296、29本塁打、102打点、OPS1.000と大活躍。当時はホームランラグーンが存在せず、千葉マリンスタジアムは長打の出にくい球場だったことを考えると、両打ちでこれだけの数字を残したボーリック氏の打棒は特筆ものだ。この年のオールスターにもファン投票で選出されるなど、当時のファンからも熱烈な支持を受けた優良助っ人だった。

 また、「ミスターロッテ」初芝清氏も打率.276、23本塁打、73打点、OPS.872と、主砲として十分な働きを見せたが、この2名以外に2桁本塁打を放ったのは石井浩郎氏(10本)のみと、打線はやや小粒な面が否めなかった。それでも、福浦和也氏、サブロー(大村三郎)氏、大塚明氏、橋本将氏といった、2005年のリーグ優勝・日本一を支えたメンバーが台頭を見せ始めており、未来に向けた種はこの段階から少しずつ撒かれ始めていた。

2005年(84勝49敗3分:リーグ優勝・日本一)

 1995年の躍進にも貢献したバレンタイン監督が再び指揮を執り始めてから2シーズン目を迎えたこの年は、西岡剛選手や今江敏晃氏といった若手と、福浦和也氏、里崎智也氏、サブロー氏といった選手として脂の乗り切った中堅の選手たちがうまく融合。試合ごとに打順を組み替えるバレンタイン監督の選手起用も効果的に作用し、チーム総得点は2位の福岡ソフトバンクに82点の大差をつけて、リーグ最高の数字を記録していた。

 投手陣に関しても、シーズン連続2桁勝利を4年連続に更新したエースの清水直行氏、キャリアハイの成績を残した渡辺俊介氏を中心に、安定した投球内容でチームを支えた小林宏之氏、貴重な左の先発として存在感を発揮したダン・セラフィニ氏、先発とリリーフの双方でチームを支えた小野晋吾氏、新人ながら10勝をマークして同年の新人王にも輝いた久保康友氏と、先発陣には実力派の投手が多く揃っていた。

 リリーフでは、藤田宗一氏、薮田安彦氏、小林雅英氏の3名からなる勝ちパターンの3投手がフル回転を見せ、僅差の試合でも逃げ切る強さを発揮。阪神の「JFK」になぞらえ「YFK」と呼ばれた勝利の方程式はチームに多くの白星をもたらし、小林雅氏は自身唯一となる最多セーブのタイトルも獲得している。

 先述した6名の先発投手はいずれも2桁勝利に到達しており、まさに投手王国と呼べるだけの多士済々のスターターを擁していたといえよう。打線でも今江氏、福浦氏、堀幸一氏、マット・フランコ氏と3割打者を4人輩出したことからも、投打ともにバランスの取れた強さを誇っていたことがうかがえる。

 ペナントレースでは福岡ソフトバンクとのハイレベルなデッドヒートの末、勝率.632という数字を記録しながら4.5ゲーム差で2位に甘んじた。当時のレギュレーションでは5ゲーム差以上がついた場合は首位チームに1勝のアドバンテージが与えられるルールとなっており、「0.5ゲーム差」でそのアドバンテージを免れたことが、後に大きな意味を持ってくることになる。

 プレーオフの第1ステージではシーズン勝率で大きく引き離していた3位の西武を2連勝で退け、その勢いのまま乗り込んだ敵地・福岡Yahoo! JAPANドーム(当時)でも2連勝。ポストシーズン無敗のままリーグ優勝に王手をかけると、第3戦でも4点リードのまま9回を迎えた。ところが、抑えの小林雅氏がまさかの4失点で追いつかれ、チームも延長戦で逆転負け。続く第4戦も落とし、一気に崖っぷちまで追い込まれることとなる。

 しかし、第5戦では序盤に2点を先行されながらも、8回に里崎氏の逆転打で試合をひっくり返し、最終回は小林雅氏が無失点投球で雪辱を果たして、31年ぶりとなるパ・リーグ制覇を達成。日本シリーズでもチームの勢いは止まることなく、セ・リーグ王者の阪神を相手に3試合連続10得点と圧倒。シリーズを通じて1度もリードを許すことなく戦い抜き、同じく31年ぶりとなる日本一の歓喜を味わった。

小林雅英氏(C)PLM
小林雅英氏(C)PLM

2010年(75勝67敗2分:リーグ3位・日本一)

 2004年から2009年までの長期政権を築いたバレンタイン監督が前年限りでチームを去り、ヘッドコーチを務めていた西村徳文氏が新監督となって迎えた2010年シーズン。5位に沈んだ前年からの復調を期した1年目のシーズンにおいて、新指揮官はシーズン開幕時点で25歳だった西岡剛選手を新キャプテンに任命するなど、チーム内の意識改革へと着手していった。

 その西岡選手は2009年までは細かいケガで欠場を余儀なくされることも少なくなかったが、このシーズンは守備の負担が大きい遊撃手を務めながら、自身初の全試合フルイニング出場を達成。打率.346で自身初の首位打者に輝いただけでなく、千葉ロッテの選手としては史上初となるシーズン200安打、猛打賞27回のプロ野球新記録といった快挙も達成。常に一塁に全力疾走する姿勢も含め、リーダーとしてチームを背中で引っ張り続けた。

 また、もう一人のリーダー格であった今江氏も2007年以降は同じくケガに悩まされていたが、このシーズンは自己最多の140試合に出場し、キャリアハイとなる打率.331を記録。チーム事情に応じて時には2番打者を務めることもありながら、抜群の打棒を披露した。現在、チームの監督を務める井口資仁氏も打率.294、出塁率.412と持ち味を発揮し、千葉ロッテ移籍後では最多となる103打点を記録して、ポイントゲッターとして機能した。

 そして、ドラフト1位ルーキーの荻野貴司選手が、持ち前の圧倒的な脚力を活かしてわずか46試合で25盗塁を記録。驚異的な守備範囲を誇ったセンターの守備でも躍動し、生まれ変わったチームの象徴的な存在となりつつあったが、5月に負傷して残りのシーズンを棒に振ることに。絶好調だった2番打者の離脱は、チームの戦いぶりにも大きく影を落とすことになる。

 その代役として期待された俊足の早坂圭介氏も直後に大ケガで長期離脱するなど、チームにとっての不運は続いたが、最終的には荻野貴選手と同じく新人だった清田育宏選手がセンターに定着。日本シリーズでは打率.333、6打点と出色の活躍を見せ、新人選手としてのシリーズ打点の最多タイ記録も達成。ルーキーイヤーから随所で勝負強さを見せ、確かなインパクトを残した。

 投手陣では成瀬善久投手が自身初めてシーズン200投球回を突破し、13勝を挙げてエースとしての役割を全う。また、開幕は中継ぎスタートだった新助っ人のビル・マーフィー投手がシーズン途中から先発に回り、左腕から繰り出される荒れ球を武器に12勝と活躍。リリーフに回った小林宏氏も57試合で防御率2.21、29セーブと転向1年目で能力の高さを見せつけ、メジャー帰りの薮田氏も30ホールドポイントを挙げる大車輪の活躍だった。

 その一方で、長らく先発投手陣を支えた渡辺氏が8勝8敗、防御率4.49とやや苦しみ、防御率2.71と好調だった唐川侑己投手が故障離脱したこともあり、先発陣のやり繰りには苦しんだ。それに加えて、福浦氏、サブロー氏、里崎氏といった主力に故障者が続出したこともあり、スタートダッシュに成功したチームは徐々に失速。優勝争いからは脱落し、4チームが繰り広げた熾烈な3位争いに身を投じていくことになった。

 しかし、シーズン途中に横浜からトレードで加入して6勝を挙げた吉見祐治氏、同じくシーズン途中入団ながら日本シリーズでも好投したヘイデン・ペン氏らを加え、激しいAクラス争いから脱落することなく、最終盤まで食らいつく。そして、勝てばクライマックスシリーズ出場が決まるシーズン最終戦で初回に2点を先制されながらも逆転勝利を飾り、わずか0.5ゲームの差で3位に滑り込んだ。

 そして迎えたクライマックスシリーズ・ファーストステージでは、シーズン2位の埼玉西武に対して2試合続けて9回に同点に追いつく執念の戦いを見せ、2戦連続で延長11回表に勝ち越す劇的な展開で2連勝。2戦目で殊勲の同点本塁打を放った里崎氏が口にした「史上最大の下克上」は、この年のチームを象徴する言葉となった。

 ファイナルステージでは福岡ソフトバンクに1勝3敗(アドバンテージを含む)と先に王手をかけられながら、そこからの3試合で3連勝。史上初めて、シーズン3位から日本シリーズに進出したチームとなった。中日とのシリーズでは3勝2敗1分けと王手をかけて迎えた第7戦の延長12回、この年に代走・守備要員として一軍にデビューした、育成出身の岡田幸文氏が決勝の適時三塁打を記録。故障の大松尚逸氏の代役として起用された苦労人が大仕事を成し遂げ、チームは5年ぶりとなる日本一の歓喜に沸いた。

千葉ロッテ、日本一の瞬間(C)PLM
千葉ロッテ、日本一の瞬間(C)PLM

2015年(73勝69敗1分:リーグ3位)

 先述した里崎氏の「ゴールデンイヤー」発言に加え、2005年と2010年にそれぞれ日本一に輝いた実績から、2015年の千葉ロッテの戦いぶりはファンの間では少なからず注目を集めていた。前年はリーグ4位という結果に終わっていたが、2015年は開幕から一定以上の調子を維持。シーズン終盤まで埼玉西武と熾烈な3位争いを繰り広げ、最終的には4つの貯金を作って2年ぶりのAクラス入りを果たした。

 投手陣では移籍2年目を迎えた涌井秀章投手が完全復活。前年の2014年は8勝12敗、防御率4.21とやや不本意な成績だったが、2015年は15勝9敗、防御率3.39で自身3度目の最多勝のタイトルを獲得した。前年に新人王を受賞した石川歩投手も12勝12敗、防御率3.27で2年連続の2桁勝利を挙げ、先発2枚看板としての地位を確立。また、新助っ人のイ・デウン投手も9勝を記録し、大嶺祐太投手も安定感のある投球でキャリアハイの8勝を挙げた。

 リリーフでは前年からクローザーを務めた西野勇士投手が54試合で防御率1.83と前年同様の安定感を見せ、34セーブを挙げる活躍で自らの役割を全う。セットアッパーの大谷智久投手が56試合で防御率2.39、内竜也投手が22試合で防御率1.27と安定しており、揃って防御率3点台にまとめた益田直也投手、松永昂大投手を含め、勝ち試合を締めくくる体制は堅かった。

 野手では清田育宏選手が打率.317、15本塁打、67打点、OPS.890とキャリアハイの成績を収め、プロ3年目の田村龍弘選手も117試合に出場して正捕手の座をつかんだ。ルイス・クルーズ選手は二塁手としてゴールデングラブ賞を受賞し、鈴木大地選手も序盤戦の不振で連続試合出場こそ途切れたものの、142試合に出場して打率.263、出塁率.330と、例年通り堅実にチームに貢献していた。

 だが、111試合で打率.293と前年の不振から脱却しつつあった角中勝也選手が、9月の試合で死球によって骨折して終盤戦を棒に振り、キューバ代表としての活動と並行してシーズンを戦っていたデスパイネ選手は103試合で打率.258、18本塁打と苦しんだ。打率.287とまずまずの数字を残していた今江敏晃選手も故障の影響で98試合の出場にとどまるなど、主力に故障者が多く発生したシーズンでもあった。

 そんな中で、荻野貴司選手と岡田幸文氏がそれぞれ2桁盗塁を記録し、外野の一角として出場機会を分け合いながら持ち味を発揮した。同じく俊足の伊志嶺翔大氏も34試合の出場ながら打率.291、出塁率.357とチャンスメーカーとして機能し、角中選手離脱の穴を埋めた。ルーキーの中村奨吾選手も1年目から111試合に出場するなど経験を積み、大ベテランの福浦和也氏も73試合で打率.272、出塁率.367と、いぶし銀の技術を見せつけた。

 クライマックスシリーズではシーズン2位の北海道日本ハムを敵地で2勝1敗と破り、リーグ優勝を果たした福岡ソフトバンクが待つファイナルステージに進出。再度の下克上への期待も高まったが、ファイナルステージ初戦でサヨナラ負けを喫したことを皮切りに、0勝3敗と1勝も挙げることができずに敗退。2005年、2010年に続く日本シリーズ進出はならなかった。

久々のポストシーズン進出、そして3度目の「下克上」は果たせるか

 以上のように、移転後は5シーズン中4シーズンでAクラス入り、そのうち2シーズンで日本一と、かなりの相性の良さを誇っていることがわかる。また、1994年(5位)、1999年(4位)、2004年(4位)、2009年(5位)、2014年(4位)と、条件に合致する年の前年はいずれもBクラスに沈んでいる点も興味深い。前年のチーム状態は決して良いとは言えないながら、その不振を払拭して3位以内に入っていることからも、このジンクスの影響力がうかがえる。

 現在の千葉ロッテでは中村奨吾選手、レオネス・マーティン選手、井上晴哉選手といった中軸打者が随所で勝負強い打撃を見せ、安田尚憲選手、和田康士朗選手といった期待の若手も台頭。投手陣では先発投手をできる限り引っ張りつつ、リリーフ陣の3連投を避けるなど、中盤戦以降の戦いに向けた細やかなマネジメントも光っており、今後のシーズンにおいて、過度の負担を避けている運用が効いてくる可能性もあるだろう。

 2005年と2010年の戦いぶりに示されている通り、千葉ロッテはポストシーズンで一度勢いに乗りさえすれば、その後は手が付けられないような強さを発揮することが往々にしてある。15年ぶりのリーグ優勝、10年ぶりの日本一の可能性も感じさせる戦いを見せている今季のチームには、10年越しとなる「ゴールデンイヤー」の再来に期待したいところだ。

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