前回開幕が延期された2011年、日本一に輝いたホークスの優勝メンバーのうち、今も現役を続ける和田毅ら14名の現在は?
パ・リーグ インサイト 望月遼太
2020.8.27(木) 10:00
前回開幕が延期された2011年のチャンピオン、福岡ソフトバンクの優勝メンバーの今
2020年のプロ野球は、新型コロナウイルスの影響により、6月19日まで開幕が延期される措置が取られた。開幕の日時が当初の予定から延期されるのは、東日本大震災が日本列島を襲った2011年以来、実に9年ぶりのこととなる。
その2011年のパ・リーグは、福岡ソフトバンクが盤石の強さを発揮したシーズンとなった。前年は大逆転でリーグ優勝を果たしながら、クライマックスシリーズで敗れて日本シリーズ進出を逃していたが、オフに敢行した大型補強が見事に機能。投打にバランスの取れた戦力を存分に活かしてリーグ連覇を達成すると、それまで何度も苦汁を舐めさせられたポストシーズンにおいても快進撃を披露し、8年ぶりとなる日本一の栄誉を勝ち取っている。
今回は、その2011年における日本シリーズの登録メンバーに入っていた福岡ソフトバンクホークスの選手たちの中で、2020年もNPBで現役を続けている面々について紹介。当時の記憶を振り返るとともに、各選手の現在を追いかけていきたい。
松田選手や内川選手は、2011年の活躍がキャリアのハイライトの一つとなった
まずは、当時の優勝メンバーの中で、2020年のシーズンも福岡ソフトバンクに在籍している選手たちを紹介していきたい。
和田毅投手
2010年に17勝を挙げて自身初タイトルとなる最多勝に輝いた和田投手は、統一球が導入された2011年にも前年と変わらぬ躍動を続けた。新球に対応して防御率も前年の3.14から大きく良化させ、勝利数も前年とほぼ同じ数字を記録。リーグ全体の得点力が低下する中で、打線の援護をきっちりと白星につなげた。日本シリーズでも2試合に登板して白星こそつかなかったものの、防御率2.08と安定した投球を披露している。
和田投手は2011年のシーズン終了後に米球界に挑戦し、MLBのオリオールズに入団。その後に移籍したカブスでは登板機会こそ多くなかったものの、2年続けて防御率3点台と一定の活躍を披露した。そして、2016年に古巣に復帰すると、いきなり15勝5敗という好成績を残して最多勝と最高勝率の2冠を達成。その後は故障に悩まされていたが、昨季は12試合に登板して4勝と復活の兆しを見せ、2011年以来となる日本シリーズでの登板も果たした。
2020年には開幕ローテーションの一角としてシーズンを迎えると、7月4日の北海道日本ハム戦では6回終了時まで相手打線を無安打に抑える快投を披露。2016年以来となる完封も見えてきた8回に3連打を浴びてマウンドを降りたが、7回0/3を3失点で今季初白星をマークするとともに、復活を強く印象付ける投球内容を見せている。
岩嵜翔投手
岩嵜投手は前年の2010年までの3年間は一軍で勝ち星を記録できていなかったが、プロ4年目の2011年に先発として頭角を現した。優勝を決めた試合で7回無失点の好投を見せて勝ち投手となるなど、プロ初勝利を含む年間6勝、防御率も2点台と活躍。日本シリーズでは登板機会がなかったが、持てる才能の一端を示すシーズンとなった。
その後は故障もあって苦しむ期間が長かったが、2016年に35試合で防御率1.95と、中継ぎとして覚醒。続く2017年には72試合に登板して46ホールドポイント、防御率1.99と、まさに大車輪の活躍を見せ、自身初タイトルとなる最優秀中継ぎにも輝いている。
2018年以降は再び故障に悩まされているが、今季は相次ぐケガを乗り越え、中継ぎの一角として開幕一軍入りを果たした。勝ちパターンの一員として5試合に登板して3ホールドをマークしたものの、防御率13.50とまだ本領発揮とはいかず。かつての球威を取り戻し、抜群の安定感で打者を圧倒する姿を再び見せてほしいところだ。
高谷裕亮選手
後述する細川亨選手の加入や山崎勝己選手の存在もあり、高谷選手にとって2011年はキャリア最少タイの12試合出場にとどまる厳しいシーズンとなった。限られた出番の中で高い打率を記録したが、日本シリーズでは登録メンバーに入りながら、出場機会を得ることはできなかった。
だが、翌2012年に64試合に出場して一軍の舞台で再び存在感を示すと、その後は豊富な経験を活かして随所で堅実な働きを披露。さらに、グラシアル選手がホームランを打った後のパフォーマンスの受け手としても注目されるなど、ムードメーカーとしても貴重な存在となっていった。甲斐拓也選手が捕手として一本立ちした現在であっても、時には抑え捕手として試合を締めくくる高谷選手の貢献は、チームにとって欠かすことのできないものだ。
高谷選手は2020年も開幕から一軍に帯同し、7月4日の北海道日本ハム戦では先発マスクを被って和田投手の好投を引き出した。この試合ではフル出場して2安打を記録する活躍を見せ、守備だけでなく打撃面でも存在感を発揮。連戦が続く日程となる今季は、頼れるベテラン捕手の存在がより重要性を増してくる可能性も高そうだ。
今宮健太選手
今宮選手にとって、2011年は高校からプロ入りして2年目のシーズンだった。この年は一軍で18試合に出場するも無安打に終わったが、日本シリーズでは代走として1試合に出場。翌2012年には126試合に出場して主力の座に定着し、以降は着実に成長を続けて遊撃手として不動の存在となっていく。
若手時代からそのバント技術は特筆もので、2013年と2014年には、パ・リーグタイ記録となるシーズン62犠打を2年連続で記録。抜群の身体能力を活かした華麗な守備でも何度もチームを救い、リーグ屈指の遊撃手として躍動した。直近2年間は怪我の影響で出場機会を減らしている。
松田宣浩選手
松田選手はプロ入りから2010年までの5シーズンにおいては、シーズン19本塁打が自己最多の本数だった。だが、統一球導入の影響で各チームの打者が軒並み本塁打数を落とす中で、松田選手は逆に本塁打数を伸ばすという離れ業を披露。松田選手が記録した25本塁打は中村剛也選手の48本に次ぐパ・リーグ2位の数字であり、このシーズンの大活躍によって、チームの中心打者としての地位を完全に確立したと言っていいだろう。
その後は不動の三塁手として福岡ソフトバンクの中軸を担い続け、2015年から5年連続で全試合出場を達成するなど、2010年まではたびたび悩まされていたケガも克服。この2011年は、松田選手にとってはまさにキャリアのターニングポイントと言ってもいい年だった。2019年には通算1500試合出場、1500安打、250本塁打といった節目の記録を次々と達成しており、30代後半を迎えた今もなお、主砲としてチームに貢献し続けている。
明石健志選手
明石選手は俊足と高いユーティリティ性を備えながら、相次ぐ故障の影響もあり、中々一軍に定着しきれない期間が長かった。2011年も年間を通じて一軍で出場機会を確保はできなかったが、バイプレーヤーとしてチームの穴を埋め、日本シリーズでも2試合に出場。続く2012年には移籍した川崎宗則選手の後釜として遊撃手の定位置を確保し、自身初となる規定打席にも到達。25盗塁、23犠打と持ち味を発揮し、主力選手として活躍を見せた。
2013年以降は今宮選手の台頭と自身の故障が重なって遊撃手の定位置こそ失ったが、その後も機動力とシュアな打撃を武器に、貴重なユーティリティとしてチームを支える存在に。スタメンとしてもスーパーサブとしても計算できる明石選手のような存在は、強豪チームにとって欠かすことのできないもの。例年怪我人が多くなりがちな福岡ソフトバンクにとってはなおのこと重要な役割であり、現在に至るまで貴重な戦力となっている。
内川聖一選手
内川選手にとって、2011年はFAで横浜から福岡ソフトバンクに移籍して最初のシーズンだった。しかし、初体験のパ・リーグにもすぐさま適応して安定した打撃を披露し、移籍1年目でいきなり首位打者を獲得する大活躍を見せた。内川選手にとっては横浜時代の2008年に続く2度目のタイトルであり、史上2人目となるセ・パ両リーグで首位打者獲得という快挙を達成。この活躍が認められ、同年のリーグMVP受賞も果たしている。
その後も2011年から2016年の6シーズンで5度の打率.300以上を記録するなど、球界屈指の安打製造機として活躍を続け、2014年には日本シリーズのMVPも獲得。卓越したバットコントロールを武器に安定した打撃を続け、2018年5月には通算2000本安打の快挙も達成した。
現役選手の中でも比類なき実績を残している内川選手だが、ベテランの域に入ったここ2シーズンはやや打率を落としていた。節目のプロ20年目となる今季は復活に期待がかかったが、まさかの開幕二軍スタートに。それでも、NPBでの抜群の実績に加え、WBCに3度出場するなど国際経験も豊富な内川選手の存在は、チームにとっても無形の財産となりうる。再び一軍の舞台に舞い戻り、その経験と技術を活かしてチームに貢献してほしいところだ。
長谷川勇也選手
長谷川選手は2009年に初の年間打率.300超えを記録したが、2010年には打率.255とやや成績を落としていた。だが、2011年は統一球の導入で成績を落とす選手が少なくない中で、.300にこそ届かなかったものの、打率を再び向上させるシーズンに。日本シリーズでも全7試合に出場し、この大舞台でも打率.273、出塁率.360と一定の活躍を披露。主力の一人として、チームの日本一にも貢献を果たしている。
長谷川選手はその後も主力打者として活躍を続けていき、2013年には打率.341、198安打という抜群の成績を残し、首位打者と最多安打の2冠を達成。2015年以降は故障もあって出場機会を減らす年も多かったが、2019年は少ない出場機会ながら打率.302、OPS1.012と素晴らしい打棒を披露。その打撃技術の高さを、改めて証明している。
中村晃選手
中村晃選手にとって、2011年はプロ4年目で一軍デビューを果たした年となった。この年は33試合の出場で打率1割台に終わったが、2年後の2013年には規定打席に到達し、打率.307という好成績を残してレギュラーに定着。その2013年から3年連続で打率.300以上の数字を残し、2014年には最多安打のタイトルも獲得。主力打者の一員へと飛躍を遂げている。
その後もシュアな打撃と優れた選球眼を武器に、2018年まで6年連続で規定打席に到達。チーム事情に応じて外野と一塁を守れるユーティリティ性も故障者の多いチームの助けとなり、攻守にわたる堅実な働きで中心選手として強豪チームを支え続けた。今季はプロ入り初の4番を打つなど頼もしい存在だ。
後に移籍した選手たちも、それぞれ新天地で確かな存在感を発揮している
続けて、2020年現在は福岡ソフトバンク以外のチームでプレーする選手たちについても、同様に紹介していきたい。この項では、選手名の後の括弧に、各選手の現在の所属チームを記載していく。
山田大樹投手(東京ヤクルト)
山田投手は前年の2010年に育成から支配下に昇格し、一軍デビューを果たして4勝をマーク。続く2011年は先発投手としてさらなる進化を見せ、7勝を挙げて防御率も2点台という安定した投球を見せた。日本シリーズでも第5戦で先発のマウンドを踏み、6回無失点の好投を披露してチームの日本一にも貢献を果たしている。
続く2012年には規定投球回にも到達し、8勝10敗、防御率2.78と、前年に引き続き先発陣の一角として活躍を見せた。だが、その後は層の厚い先発陣に割って入ることができず、なかなか一軍での登板機会を得ることができなかった。2018年からはトレードで東京ヤクルトに活躍の場を移し、移籍2年目の2019年には5勝を記録。復活への足がかりをつかんでいる。
藤岡好明投手(横浜DeNA)
藤岡投手は2006年に当時のパ・リーグの新人記録となるシーズン62登板を記録する活躍を見せたが、その後はなかなか同様の活躍を見せられずに苦しんだ。2011年は5試合の登板で防御率は9点台と大苦戦を強いられ、日本シリーズでも登板機会は訪れず。しかし、続く2012年は39試合で防御率1.19と大きく復調。ボールの飛距離が増した2013年にも32試合で防御率2.51と活躍し、中継ぎ陣の一角として存在感を放った。
2014年からは北海道日本ハムに移籍したが、新天地では再び不振に陥ってなかなか一軍での登板機会を得られず。2016年途中に自身3球団目となる横浜DeNAに移籍してからも苦戦が続いたが、2019年についに本来の投球を取り戻す快投を披露。防御率1点台という安定した投球を見せ、ベテラン右腕として活躍を見せている。
細川亨選手(千葉ロッテ)
内川選手同様、細川選手にとっても2011年は移籍1年目となるシーズンだった。ライオンズで正捕手として2度の日本一を勝ち取った経験を活かし、激しい定位置争いが繰り広げられる中でも主戦捕手の一人として活躍。日本シリーズでも7試合に出場して1本塁打を記録し、チームの日本一にも貢献した。その後もチームの主力捕手の一人として活躍を続け、在籍6年間で3度の日本一を経験している。
2017年に楽天に移籍すると、新天地でも豊富な経験をチームに還元してAクラス入りに貢献。2018年にはわずか2試合の出場にとどまったが、2019年には自身4球団目となる千葉ロッテに移籍。楽天時代と同様にベテランならではの巧みなリードを見せてチームに貢献し、試合終盤に試合を締めくくる抑え捕手としての起用も増加。2020年は40歳で迎えるシーズンとなるが、酸いも甘いも嚙み分けた男の存在感はまだまだ健在だ。
山崎勝己選手(オリックス)
山崎選手はプロ6年目の2006年に105試合に出場すると、以降は捕手陣の一角として毎シーズンにわたって一定以上の出場機会を確保してきた。2011年も86試合に出場するなど例年通りに堅実な働きを見せ、日本シリーズでも4試合に出場。計4打席と打席に立つ機会は少なかったが、打率.333、出塁率.500と攻撃面でも奮闘し、チームの日本一にも貢献している。
その後も2013年まで主力捕手の一人として活躍を続け、2014年にFAでオリックスに移籍してからも、頼れる捕手として一定の出場機会を確保し続けた。だが、2019年は2005年の一軍デビュー以降では初めて、シーズン無安打という結果に終わる悔しいシーズンに。2020年はベテランならではの経験値を活かし、若いチームの中で再び存在感を発揮してほしいところだ。
福田秀平選手(千葉ロッテ)
福田選手は前年の2010年に一軍デビューを果たして44試合に出場すると、2011年には出場試合数を倍以上に伸ばし、スタメン出場の機会も増加。22盗塁、16犠打と俊足と小技を活かしてチームに貢献し、日本シリーズでも3試合に出場。6打数無安打とヒットこそ記録できなかったが、チームのリーグ優勝と日本一にも寄与している。
その後は故障もあって3年間足踏みしたが、2015年からは再びスーパーサブとしての出場機会を増やしていく。ケガで離脱する期間もありながら、厚い選手層の中で5シーズン連続で80試合以上の出場機会を確保し、5年間で4度の日本一に輝いたチームに対して貢献を続けた。2019年のオフにFAで千葉ロッテへの移籍を選択したが、新天地でもこれまで同様の溌溂としたプレーが期待されるところだ。
登録メンバー外だった選手の中にも、後の主力選手が多く存在
当時の支配下登録選手の中で日本シリーズの登録メンバーから外れた面々のうち、現在もNPBで現役を続けているのは柳田悠岐選手と川原弘之投手の2名。柳田選手はルーキーイヤーとなった2011年は6試合の出場で無安打に終わったが、2年後の2013年からは主力に定着。その後は2015年のトリプルスリーをはじめ、2度の首位打者、4度の最高出塁率、1度のリーグMVPという抜群の実績を残しており、球界屈指の強打者へと進化を遂げている。
一方の川原投手は2012年に二軍で158km/hの速球を披露するなど快速左腕として将来を期待されたが、相次ぐ故障に苦しめられて育成落ちも経験。しかし、2019年に4年ぶりに支配下登録を勝ち取ると、一軍で自己最多の19試合に登板してプロ初ホールドも記録。今季以降のさらなる活躍にも期待を持たせている。
また、当時の育成選手の中には千賀滉大投手、甲斐拓也選手、牧原大成選手、二保旭投手といった、後に一軍の舞台で主力として活躍を見せる選手たちも在籍していた。福岡ソフトバンクでは育成出身選手が活躍を見せるケースは枚挙に暇がないが、こういった過去のデータを紐解いて見ても、あらためてその眼力の高さを感じ取れるところだ。
2011年にも列島全体が未曽有の状況に置かれていたが、プロ野球の開幕後は各選手たちのプレーが少なくない数の人を勇気づけ、全国の人々に対して元気を与えてきた。社会全体の先行きが不透明な状況は続いているが、あの時と同様に、今季も選手たちは活力にあふれたプレーを披露し、野球を愛するファンたちを大いに楽しませてくれることだろう。
文・望月遼太
・2019年開幕一軍入りを逃しながらもシーズン途中から活躍した選手
・歴代の「ベテラン打点王」とその後の活躍は
・ 過去に複数ポジションを兼任した捕手は
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