千葉ロッテの毛利海大投手が、新人ながら開幕投手を務めて見事に白星をつかんだ
千葉ロッテの毛利海大投手が新人ながら開幕投手に抜擢され、5回無失点の好投を見せて見事にプロ初先発初勝利を記録。1950年代までは新人で開幕投手を務める例は少なくなかったが、1960年から2025年にかけてはわずかに4例と非常に希少なケースとなっていた。
今回は、1960年から2025年までの間に新人で開幕投手を務めた4名の投手について詳しく紹介。各投手がルーキーイヤー全体でどれだけの成績を残したのか、そして翌年以降にどんな活躍を見せたのかをあらためて振り返り、毛利投手のさらなる活躍にも期待を寄せたい。(※成績は2025年シーズン終了時点)
城之内邦雄氏

城之内邦雄氏は1962年に巨人に入団し、プロ1年目から開幕投手に抜擢される。同年には56試合に登板して280イニングを消化し、24勝12敗、防御率2.21と新人離れした成績を記録。首脳陣の期待に応える圧巻の投球を披露し、新人王のタイトルに輝く大活躍を見せた。
その後も巨人のエース格として活躍を続け、プロ1年目から7年連続で2桁勝利、同6年連続で防御率2点台、そしてプロ5年目という早さで通算100勝という快挙を達成。1965年と1966年には2年連続で21勝を記録し、プロ入りから6年連続で220投球回以上を記録するなど、1965年から始まった巨人のV9時代形成にも主戦投手として大きく寄与した。
1969年以降は故障もあって登板機会が減少し、1971年に一度は現役を引退。しかし、1974年に巨人時代に共にプレーした金田正一氏が監督を務めるロッテオリオンズ(現・千葉ロッテ)で現役に復帰し、一軍で5試合に登板。同年にロッテはリーグ優勝と日本一を達成し、日本シリーズでは奇しくも城之内氏の古巣・巨人のV9時代に終止符を打つ勝利を収めている。
高野光氏

高野光氏は東海大学から、1983年のドラフト1位でヤクルト(現・東京ヤクルト)に入団。プロ1年目の1984年に開幕投手として抜擢を受けると、その後も一軍の舞台で奮闘を見せる。38試合の登板で162イニングを投げ、10勝12敗2セーブとルーキーイヤーから2桁勝利を記録。下位に沈むチームにあって、即戦力としての期待に応える活躍を披露した。
翌1985年は7勝11敗、防御率4.97と成績を落としたものの、プロ3年目の1986年には自身最多の12勝を挙げ、200投球回の大台にも到達。防御率も自己ベストの3.10という数字を残し、名実ともにキャリアハイのシーズンを送った。翌年以降も主力投手として登板を重ねたが、1989年からは故障で2シーズンにわたって一軍登板なしと苦しい時期を過ごした。
1992年に3年ぶりとなる一軍登板を果たすと、18試合で91イニングを消化して7勝を挙げる活躍を見せ、先発の一角として同年のリーグ優勝に貢献。一軍登板なしに終わった1993年オフに福岡ダイエー(現・福岡ソフトバンク)に移籍し、翌シーズン限りで現役を退いたものの、低迷期から復調を遂げる時期に至るまでヤクルト投手陣を支える存在となった。
則本昂大投手

則本昂大投手は三重中京大学から、2012年のドラフト2位で東北楽天に入団。プロ1年目の2013年に新人ながら開幕投手に抜擢され、その後もエースの田中将大投手に次ぐ存在としてチームをけん引する投球を披露。リーグ2位タイの15勝を挙げる大活躍を見せて新人王のタイトルを獲得し、球団創設後初のリーグ優勝と日本一の立役者の一人となった。
翌2014年以降は田中投手の移籍に伴ってエースの座を受け継ぎ、プロ入りから6年連続で2桁勝利を達成。プロ2年目の2014年以降は4年連続で200奪三振以上を記録し、5年連続で最多奪三振のタイトルを獲得。2017年には8試合連続2桁奪三振というNPB新記録を樹立するなど、近年の日本球界を代表する本格派右腕として比類なき活躍を見せた。
先発として通算8度の2桁勝利を含む114勝を挙げ、2024年からは松井裕樹投手の移籍を受けてリリーフに転向。2024年には32セーブを挙げて最多セーブのタイトルに輝き、2年連続で50試合以上に登板するなど新たな役割でもフル回転。東北楽天でプレーした13年間全てで防御率3点台以下と出色の安定感を示し、大黒柱として長きにわたってチームを支えた。
北山亘基投手

北山亘基投手は京都産業大学から、2021年に北海道日本ハムに入団。プロ1年目の2022年はドラフト8位指名ながら開幕投手へと異例の大抜擢を受け、開幕戦では2回を無失点とオープナーとして好投。その後はリリーフとして登板を重ね、55試合で16ホールド9セーブ、防御率3.51と新人ながら勝ちパターンの一角としてブルペンを支える活躍を見せた。
2023年途中に先発へ転向し、同年は14試合で6勝、防御率3.41と一定の成績を記録。翌2024年には故障もあって前年と同じ14試合の登板にとどまったが、5勝1敗、防御率2.31、奪三振率9.59と投球内容を大幅に向上させ、チームの2位躍進に貢献する活躍を見せた。
2025年には自身初の規定投球回到達を果たし、リーグ2位の防御率1.63と抜群の安定感を発揮。22試合の登板で9勝、奪三振率8.64と前年同様に好投し、チームの優勝争いに大きく寄与した。2024年のプレミア12と2026年のWBCで日本代表に選出されるなど、ドラフト下位指名から球界を代表する右腕へと成長を遂げつつある。
1960年以降に新人で開幕投手を務めた面々は、その後も大いに活躍を見せていた
城之内氏は24勝、則本投手は15勝と新人離れした成績を残して新人王のタイトルを獲得し、高野氏もルーキーイヤーから2桁勝利を達成。北山投手も勝利の方程式を担ってフル回転の投球を見せており、いずれもプロ1年目から出色の活躍を披露したことが示されている。
さらに、各投手はプロ2年目以降も活躍を続けており、チームの躍進にも貢献したという点も見逃せない要素となっている。毛利投手がルーキーイヤーに開幕投手を務めた先人たちに続き、1年目から投手陣の中心的存在へと飛躍を遂げるか否かは、今シーズンにおける要注目のトピックの一つとなりそうだ。
文・望月遼太
