5年連続50試合登板の千葉ロッテ・益田投手を支える、「負けん気」

パ・リーグ インサイト マリーンズ球団広報 梶原紀章

2016.8.8(月) 00:00

千葉ロッテマリーンズ・益田直也投手 ※球団提供
千葉ロッテマリーンズ・益田直也投手 ※球団提供

持ち前の負けん気が、どんな重圧も、度重なる激戦での疲れをも消し去ってしまう。8月6日、京セラドーム大阪でのオリックス・バファローズ戦。千葉ロッテマリーンズの益田直也投手は2点リードで迎えた9回から登板をすると最後をキッチリと締めた。リリーフのスペシャリストは心と体を研ぎ澄まし、出番を待っていた。だからこそ、いつ何時に訪れるか分からないスクランブル登板にも動じない。魂のボールは、気持ちで打者を上回る。それがこの男の真骨頂。勝利が決まるとグラブをポンと叩いて喜んだ。この試合で、史上4人目となるプロ1年目から5年連続となる50試合を達成。タフネス右腕は充実した表情を見せた。

「登板数はボクにとって誇れること。5年目も50試合を投げることができてよかったです。なによりもチームが勝つことができて良かったです」

絶対的守護神の西野勇士投手が7月末に右肘痛を訴え、戦線離脱。そんなチームの緊急事態を救ったのが13年にはセーブ王にも輝いた実績を持つ益田だった。今季にかける強い決意でシーズンに臨んでいた。自主トレから徹底的に走り込んだ。「早く野球がしたいと思うほど、野球以外のトレーニングばっかりして体を作った」と振り返るように、体をいじめ抜いて石垣島春季キャンプに合流した。その表情は鬼気迫るものがあった。

「今シーズンは絶対に結果を出す。見返したいと思っているんです。『益田は終わった』と言う人を絶対に見返してやりたいと思っています」

1年目にシーズンの半分となる72試合に登板し、プロ野球の新人最多登板記録を樹立。新人最多ホールドポイントとなる43HPも挙げ、新人王に輝いた。翌13年はセーブ王。しかし、14年は防御率4.94。翌15年は防御率3.91とセットアッパーとしては満足できない数字が残った。そんな中、嫌でも周囲の声、評価は聞こえてくる。そのたびに生来の負けず嫌いの性格が熱く燃えた。「絶対に見返す」。強い気持ちを胸にシーズン前から体を鍛え上げ、自信を持って挑んだシーズンだった。

「体の部分もそうですけど、生活も食べ物もすべて野球中心にここまでやってきた。やれることはやったという自信が今シーズンの始まる前からありました。手応えを感じてシーズンに入れました」

野球エリートではない境遇から新人王まで輝いたその負けん気が5年目のシーズンで存分に発揮され、マリーンズの開幕ダッシュを支えた。思えば、中学時代は投手と外野手の掛け持ち。高校に入学をすると肘を痛め、遊撃手に転向した。高校3年最後の夏の県大会ではベンチ入りはしたものの、出場する機会はなかなか巡ってこなかった。チームが敗れた準決勝で代打として起用され、遊飛。高校野球での実績十分の野球エリートが集まるプロ野球の世界の中にあって、それが益田の最後の夏の唯一の打席だった。このまま野球を辞め、消防士を目指すという選択肢を考えていた中で、関西国際大学でもう一度、投手として野球を続ける選択をした。母子家庭で育ち、経済的にも決して楽ではなかったが、奨学金制度を利用しながら、一時的にはアルバイトをしながら学校に通い、野球を続けスカウトの目に留まった。そして11年ドラフトでマリーンズ最後の指名となる4位で、藤岡貴裕投手、中後悠平投手、鈴木大地内野手という大学球界屈指の選手たちと一緒にプロの門を叩いた。

注目が自分以外のドラフト上位3人に集まる中、キャンプから必死にアピール。そのブルペンでの投げっぷりの良さが当時の西本聖投手コーチの目に留まり、「オイ、新人。セットアッパーでもいいけど、先発でも10勝できるぞ。どっちがやりたい?」と声を掛けられるまでになった。ただ、この魅力的な話も、キッパリと断った。プロ入りする前から冷静に自己分析。「球種も少ないし、短いイニングの方が自分は力を発揮できると思っていた」とセットアッパー志願でプロの門を叩いていた。コーチの高評価はありがたかったが、自分の考えを信じ、貫いた。そして、新人最多登板の記録を打ち破るまでに駆け上がった。

海を渡った同期入団の中後悠平投手の頑張りが大きな刺激となっている。昨年オフに自由契約となり、野球をするチャンスを求め渡米。ダイヤモンドバックス傘下のマイナーで奮闘をしている。このほど1Aから3Aに昇格。好投を続けていることがニュースになった。

「合同自主トレから本当に4人で一緒にいることが多かった。休みの日はよく4人で都内に焼肉を食べにいったり、カラオケをしたり、楽しかったです。その仲間と一緒に野球ができないと思うと、やっぱり辛かったし寂しかった」

チームが変わった今でも、よくメールなどで連絡を取り合っている。いろいろなやりとりをする。近況、チーム状況、自分の状態。中後からは節約のためチームメートとハウスシェアをしながら住んでいるため、大変な部分もあるとも聞いた。チームは変わっても、メールでのやり取りをすることで気持ちはつながっている。ある日、中後からメールがきた。「楽しいし勉強になることも多いけど、やっぱり日本に帰りたくなることはある」。益田はすぐにメールを返した。「もしかしてホームシック? 頑張れよ!」そして1枚の写真を添付した。ロッテ浦和寮の休日前夜。鈴木の部屋で藤岡、中後と益田の4人で夜、ピザを食べながら楽しく話をしている写真。ルーキーイヤーの夢を語り合っていた時の写真だった。「懐かしいな!」とすぐに返事が来た。4人の同期はチームが違っても、遠く海を越えて離れていても、心は繋がっている。今、お互いそれぞれが自分の与えられた職場で全力を尽くしている。あの頃の変わらぬ初心を忘れずに生きている。「アイツはアメリカという慣れない異国の地で頑張っている。オレも負けられない」。負けん気はこんなところでもしっかりと燃えたぎる。頼もしい限りのプロ根性だ。

さあ、いよいよシーズンも佳境に入った。厳しい場面でのスクランブル登板も増える。何よりも益田は出番がない時でもブルペンで肩を作り、いつ呼ばれてもいいように備えている。相手チームが喜ぶ姿など絶対に見たくない。負けじ魂のこもったボールはそう簡単には打ち返すことができない。チームの窮地の時に、背番号「52」がいる。ピンチから救い出す頼もしい存在がマリーンズにミラクルを起こす。

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