ドラフト会議当日の10月26日、新潟県糸魚川市・糸魚川白嶺高校の野球部グラウンド。1、2年生の野球部員に混じり、3年生の綱島龍生選手はいつものように放課後の練習に参加していた。綱島選手は9月上旬にプロ志望届を提出。3球団から調査書が届いていた。吉報が届いたのは練習終了後。野球部の部室で待機していると、埼玉西武から6位で指名されたことを知る。綱島選手がその時を振り返る。
「内心、指名されると信じていました。でも指名されるか、されないかギリギリの状況だったため、驚きの方が大きかったです。その後にだんだんと指名された実感が生まれてきて、今は『このままではプロでは通用しない』と思いながら練習しています」
糸魚川白嶺は糸魚川商工時代に夏2回、春1回と計3度甲子園出場した古豪。同校からは関本四十四氏(巨人→太平洋→大洋)、黒坂幸夫氏(鷺宮製作所を経てヤクルト)に続く3人目のプロ野球選手誕生となった。
糸魚川白嶺は綱島選手が入学する前年の秋、部員不足で連合チームを組むほどの苦しい状況だった。翌春には現在の3年生が15人入部。糸魚川中時代から捕手だった綱島選手は入学直後から正捕手となり、3番打者を任される。2年春にはショートにコンバートされ、その俊足と強肩がより生かされることとなる。打撃では外野の間を抜くバッティングが持ち味であり、三塁打を多く放ってきた。
高校3年間の最高成績は2年秋、3年春の県ベスト16。全国的には無名な選手だが、担当した埼玉西武の鈴木敬洋スカウトは綱島選手の肩と足に惹かれその姿を追い続けてきた。
昨年12月、鈴木スカウトは新潟の野球関係者から「糸魚川白嶺に良いショートがいる」と聞き、今年の1月下旬に糸魚川白嶺を訪問。体育館での練習で綱島選手の高い身体能力に魅了される。11月7日の指名あいさつの際には「一発でほしいと思った」と初めて見た時のことを振り返っている。一方、綱島選手は鈴木スカウトの訪問に驚いていた。
「最初は『何で自分のことを?』とビックリしました。後で僕の肩と足を評価してくださっていると聞いて、その点を伸ばしていこうと練習に励みました。同時にスカウトの方が見に来るようになって、野球に対して目標ができましたね」
「上の世界で野球ができるかもしれない」と新たな目標が生まれた綱島選手は、体力強化や強いスイングを意識し打撃力強化にも努めてきた。春先の練習試合になると鈴木スカウトは糸魚川白嶺の練習試合を視察。その試合で綱島選手はホームランを放つ活躍を見せ、評価を高めていった。
糸魚川白嶺の丸山卓真監督は「スカウトの方が見に来ても萎縮せず堂々とプレーできる。そんなプロ向きの性格も指名された要因だと思います」と分析する。綱島選手自身も「見られている意識はありましたね。スカウトの方が来ている前で結果を出さなきゃと思っていました」と言う。今春の大会前には「プロのスカウトがマークする内野手」として新潟県内で注目を集め、その存在が知られるようになる。
今夏は3回戦で柏崎工業に延長12回、3対4のサヨナラ負けで敗退。野球部引退後は後輩たちとともに練習を続けてきた。打撃練習ではプロ入りを見据えて木製バットを用い「最初は全くボールが飛ばなかったですが、大分慣れてきました」と自信を持ち始めている。
指名された埼玉西武の印象については「昔から強くて、凄いバッターが多いチーム」と語り、目標とする選手として挙げたのは同じ左打者、俊足巧打タイプである秋山翔吾選手だった。ドラフト会議後もグラウンドで練習を重ね、「力強さ」をテーマにさらなるレベルアップを図る。
11月15日、埼玉西武との契約合意が発表された。綱島選手はプロ入りにあたってこう決意を口にする。
「できるだけ早く一軍で活躍したいと思っています。そのためにもまずは体作りからしっかり取り組まなければ、一年を通して安定した活躍はできない。まずは土台作りからです」
埼玉西武と言えば、高卒野手がファームで鍛えられ、チームの中心選手に成長する土壌がある。現段階ではまだ「原石」の綱島選手が、その系譜に名を連ねられるのか。来年1月から「埼玉西武・綱島龍生」がプロ野球選手としてのスタートを切る。
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