内海が背負う「27」の不思議な縁 炭谷から受け継ぎ、巨人からの移籍組で4人目

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2018.12.21(金) 14:37

埼玉西武入団会見に臨んだ内海哲也※写真提供:Full-Count(写真:荒川祐史)
埼玉西武入団会見に臨んだ内海哲也※写真提供:Full-Count(写真:荒川祐史)

巨人からの移籍選手では木暮、難波、田中以来

 フリーエージェント(FA)で巨人に移籍した炭谷銀仁朗捕手の人的補償として巨人から埼玉西武に移ることになった内海哲也投手の背番号が、炭谷の背負っていた「27」に決定した。埼玉西武の背番号「27」には、どんな選手がいるだろうか。

 実は、埼玉西武の背番号27は、捕手の背番号として定着している。炭谷は2012年から「27」を背負っていたが、西鉄時代から歴代の背番号27をひもとくと、こうなっている。

1950年 木暮力蔵
1951年~61年 関口清治
1962年 難波昭二郎
1963年~64年 ウイルソン
1965年~68年 三好守
1969年 田中久寿男
1970年~78年 竹之内雅史
1979年~81年 大原徹也
1982年~2003年 伊東勤
2007年~2010年 細川亨
2012年~18年 炭谷銀仁朗
2019年~ 内海哲也 投手

 大原徹也までは野手の背番号で、難波、竹之内、田中、ウイルソンらは内野も外野も守れる強打のユーティリティープレーヤー。関口は豊田、中西らとともに西鉄黄金時代の5番を打った外野手だ。木暮、三好も外野手。唯一、投手に縁があるのが田中で、1955年の西鉄入団時は投手だったが、当時は背番号28をつけていた。

 背番号27が捕手の番号となったのは、埼玉西武黄金時代を支えた伊東勤氏(元埼玉西武、千葉ロッテ監督、現中日ヘッドコーチ)から。伊東氏の引退から3年間は空き番だったが、その後伊東氏の後継者として正捕手の座を固めた細川亨が06年に「27」を受け継ぎ、2010年オフにFAで福岡ソフトバンクに移籍するまで背負った。細川が去った後は、炭谷がそれまでの「2」から「27」に背番号を変更していた。

 面白いのは、巨人から西鉄に移籍してきて背番号「27」を背負った選手が、木暮、難波、田中と3人もおり、埼玉西武を含め内海で4人目となることだ。巨人から埼玉西武(西鉄)に移った選手は、背番号「27」に縁があるのだろうか。

 1950年以来、西鉄(太平洋、クラウンを含む)から埼玉西武の球団史で背番号「27」を投手が背負うのは初めてとなる。現在正捕手の森友哉の背番号は「10」で、これもファンに親しまれている。正捕手の番号として伊東、細川、炭谷と36年間受け継がれてきた番号「27」だが、内海が背負うことで、「捕手番号」のイメージは変わるだろうか。

(Full-Count編集部)

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