前半戦はリードオフマンとして奮闘
「途中で離脱してしまったので、申し訳なかったなというのがあります」。
プロ9年目の2018年シーズンをこう総括した千葉ロッテの荻野貴司選手。毎年のように故障で離脱し、2016年オフには背番号を「4」からケガがゼロになればいいと思いを込めて「0」に変更した。翌2017年は大きな故障もなく1年を過ごしたが、打撃不振でファーム落ちした時期もあり、シーズンを通して一軍で過ごすことはできなかった。
しかし、井口資仁監督が就任し“機動力野球”を掲げた今年は、開幕から不動のリードオフマンとして打線をけん引した。「塁に出ればチームに勢いがつくので、積極的にいきつつも、しっかり塁に出ることを考えてやっています」。
78試合に出場して第1打席に25度出塁し、そのうち得点につながったケースは18度、荻野貴選手自身のホーム生還は17度。初回の第1打席に荻野貴選手が出塁すると、7割以上の確率で得点に結びついた計算になる。
トップバッターとして数多くの得点を演出し、5月31日の東京ヤクルト戦から6月7日の中日戦にかけて7試合連続マルチ安打をマークするなど好調をキープしながら、「上手くいっているときもあれば、僕がなかなか塁に出られないときもあったりした」と反省の言葉を口にする。「その調子の善し悪しを少なくできれば、もうちょっと良い方向にいったのではないかなと思います。そこが課題だと思います」。
無情にも訪れた離脱のとき 同時にチームも急降下
荻野貴選手は大きな故障もなく7月を迎え、監督選抜で初のオールスター選出を決めた。しかし喜びも束の間、またしてもケガに泣かされる。7月9日の埼玉西武戦で打席中に右手指を骨折。自身初の球宴出場はならなかった。
ただ「オールスターに関しては、そんなに強い気持ちというのはなかった。シーズン途中で抜けてしまうというのが、オールスター自体よりも悔しかった」と言う。
浦和球場では落ち込むそぶりを見せることなく「ケガをしている中で、できることは色々ある。少しでも進化できるように」黙々とリハビリに励み、8月の終わりには「残り何試合でもいいので力になりたい」と語ったが、一軍に戻ることは叶わないままシーズンを終えた。
チームも荻野貴選手の故障前は39勝37敗2分と勝ち越していたが、離脱後は20勝44敗1分と負け越し、最後は最下位・東北楽天と1ゲーム差の5位でフィニッシュ。不動のリードオフマンの存在の大きさを、改めて突きつけられる形となった。
最年長外野手となる来季に向けて始動
10月に入ってから、荻野貴選手は打撃練習を再開している。今季「より引きつけて打つということをすると、短くなってきた。短く持とうと思って持っていない。短い方がしっくりきたという感じですね」とバットを短く持つスタイルだった。
だが故障明けのティー打撃では「今は大きく振ることを意識しているので、長めにもっています」。「これからやっていく中で変わると思う」と、試行錯誤しながら自身の一番良い形を見つけていくとのことだ。
来季で節目の10年目、33歳のシーズンを迎える荻野貴選手。1学年上の岡田幸文選手が引退し、来季は清田育宏選手とともにチーム最年長の外野手になる。「あんまり引っ張っていけるタイプではないので、やれることをやって、お手本じゃないですけど、意識の面で、背中で見せられるようにしたいと思います」と意気込む。
ベテランと呼ばれる年齢に差し掛かったが、レギュラーとしてまだまだやれるだけの力は持っている。来季こそ背番号の通り健康体を維持し、フルシーズンを駆け抜けたい。
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