忘れもしない。吉田裕太捕手が入団をした時、ロッカーは井口資仁内野手の隣だった。毎日、緊張の連続だったのを覚えている。初めて食事に連れて行ってもらったのは昨年の仙台遠征。シーズン無安打だった若者に声をかけてくれた。
「ヒットが全然打てなくて、苦しんでいる時に誘っていただきました。本当に嬉しかったのを覚えています」
すし店で、いろいろな話を聞いた。落ち込む吉田の気持ちを和ませようと「タコを食べてみろよ?」と大ベテランに提案をされた。通常、タコは「3タコ(3打席凡退)」や「4タコ(4打席凡退)」のイメージからプロ野球の中では野手には敬遠されがちな傾向にある。打っていない今だからこそ、逆に食べてみろというユーモアを交えた提案だった。
「ここのタコを食べたら、ヒットを打てるんだよ」
もちろん冗談とは分かっていたが、大先輩がそこまで気を遣い、自分の心を和ませようとしてくれたことが吉田にとっては嬉しく忘れない出来事になった。時間はあっという間に過ぎた。野球の話からプライベートな話題までいろいろと質問をしたが、もっともっと話を聞きたかった。だから帰り際に頭を下げた。「また食事に誘ってください」。すると満面の笑みで答えてくれた。
「遠慮せずに、どんどん声をかけてくれよ。オレもホークス時代の若い時に秋山(幸二)さんに自分から声を掛けたもんだよ。『連れて行ってください!』ってね。自分から食べたいと言ってくれたら、どこでも連れて行くよ」
それからは井口の様子を見て、自分から積極的に声をかけるようになった。そしていろいろな話を聞いた。打者心理や配球論。技術的な話はもちろん、試合の入り方も聞いた。日々の心構えの話は特に心に残った。「毎日、試合は続く。その日の結果で一喜一憂するなよ」と言われた。ロッカーで見ていると先輩はオンとオフの切替が早かった。どんな劇勝をしても、結果が出なくても試合後、気持ちを引きずらない。さっとシャワーを浴びると、颯爽と球場を後にした。その背中がなんともカッコよく映った。
「質問をしていて楽しかったです。すべて身に染みるような感じ。今年で引退してしまうと思うと本当に寂しいです」
8月28日に井口は「若手にチャンスを与えて欲しい」と自ら申し出て9月24日のファイターズとの引退試合(ZOZOマリンスタジアム、14:00試合開始)まで一軍登録が抹消されることになった。いなくなって、その存在感の大きさを改めて感じられた。
「あの人が一番、試合中に声を出している。負けている場面でもベンチ内で『さあ、ここからやっていくぞ!』と野太い大きな声で鼓舞をされていた。すごい存在感でした」
ここまで見てきた背中がある。そして聞いてきた色々な話がある。だから吉田はベンチでどんな時も大きな声を出すよう心掛けている。しっかりと準備をして試合に備え、結果で一喜一憂しないように日々をガムシャラに生きている。教えてもらったことはかけがえのない財産。これからの野球人生で生かせるかどうかは自分次第。いろいろなアドバイスが強く背中を押してくれているようにも感じる。
「井口さんが打席に入るとスタンドがメチャクチャ湧くじゃないですか。あれに憧れますよね。自分もファンに愛される選手になりたい。どこまでも遠い話だけど、憧れますし、目指していきたい」
目指す背中はあまりにも大きすぎる。しかし、目の前で見てきたらこそ同じプロ野球選手として憧れ、そうなりたいという願望が沸々と湧いてくる。千葉県出身の次代の正捕手候補としてドラフト2位で入団して早4年。今シーズンも残りわずか。毎日を大事にして、来季へのキッカケを作り、新しいシーズンこそ正捕手の座を目指す。いつも声をかけてもらい、食事に連れて行ってもらった大先輩の期待に応えなくては男ではないと燃える。
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