兄は400勝投手の金田正一
東映・日拓、千葉ロッテ、広島で通算128勝を挙げた右腕、金田留広氏が10月2日、死去した。71歳だった。
金田留広氏は1946年11月7日生まれ。13歳上の兄が、400勝投手の金田正一。金田家では長男の正一、高義、星雄、留広と4人の兄弟がプロ入りしている。兄・正一が左腕だったのに対し、留広は右腕投手だった。
愛知高校、愛知学院大(中退)、日通浦和を経て、1968年のドラフト4位で東映フライヤーズに入団。この年のドラフトは空前の大豊作だったが、田淵幸一(法政大、阪神1位)、山本浩二(法政大、広島1位)、野村収(駒沢大、大洋1位)、星野仙一(明治大、中日1位)、冨田勝(法政大、南海1位)、藤原満(近畿大、南海4位)有藤通世(近畿大、東京1位)、大橋譲(亜細亜大、東映1位)らはすべて同学年の同期入団だった。背番号は兄・正一と同じ「34」だった。
キャンプで頭角を現し、1年目の1969年から19先発、40救援と大車輪の活躍で18勝を挙げる。7月19日、東京球場でのオールスター第1戦にも出場したが、6回に金田留広がマウンドに上がると、当時巨人の投手だった兄の金田正一が代打で打席に立ち、兄弟対決が実現。弟・留広は兄・正一を二飛に打ち取った。
以後も4年連続で2桁勝利。1972年には20勝で最多勝に輝くが、1973年、野村収とのトレードで兄正一が監督を務める千葉ロッテに移籍。いきなり16勝で2度目の最多勝。またMVPにも輝いた。兄の金田正一は日本の投手記録の多くの部門で1位になっているが、MVPには選ばれたことがなかった。
しかし、それ以後は2桁勝利を挙げることはなく、1979年にトレードで広島に移籍。1981年を最後に引退。通算成績は434登板128勝109敗2セーブ 2055.1回 1317奪三振 防御率3.25。投手ながら13本塁打を打っている。
兄弟そろって100勝以上を挙げたのは、NPBでは金田正一(400勝298敗)と留広の兄弟だけ。兄弟がそろってプロで勝利投手となり、合計で通算100勝以上を記録したのはNPBでは以下の7組しかない。
528勝 金田正一(400勝)金田留広(128勝)
286勝 野口明(49勝)野口二郎(237勝)
257勝 梶本隆夫(254勝)梶本靖郎(3勝)
181勝 松沼博久(112勝)松沼雅之(69勝)
169勝 藤村富美男(34勝)藤村隆男(135勝)
113勝 武智文雄(100勝)田中照雄(13勝)
103勝 林安夫(52勝)林直明(51勝)
左右の違いはあるが、金田留広は肩を怒らしてマウンドに上がるしぐさや投球フォームは、兄・金田正一によく似ていた。引退後は千葉ロッテのコーチなども務めた。71歳は早すぎる死といってよいだろう。
(広尾晃 / Koh Hiroo)
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