1994年のプロ入りから25年間の現役生活に幕
今季限りで現役を引退する埼玉西武の松井稼頭央外野手が27日、メットライフドームに隣接する球団施設内で引退会見を行った。1993年ドラフト3位でPL学園高からプロ入りしてから25年。埼玉西武からメッツ、ロッキーズ、アストロズを経て、2011年に東北楽天へ。今季復帰し、プロのキャリアをスタートさせた埼玉西武で現役に幕を降ろすことを決めた松井稼はユニホーム姿で会見し「私事ですが、今シーズンで現役を引退することをご報告したいと思います」と自身の口から引退を表明した。
多くの報道陣が集まる中、松井は引退を決断した経緯を「ここ数年、毎年毎年、1年が勝負と思ってやってきた。勝負の年かなと思って過ごして来た。抹消になりまして、その時に初めて自分と向き合う時間があって、そろそろ来たなと。球団に話をさせていただき、お世話になった人に報告させていただき、今日、ここで会見させていただきます」と説明した。
埼玉西武でプロ生活をスタートさせ、球界を代表する選手に成長しメジャーリーグにも挑戦。「生まれた場所、育ててもらった球団と思っていた。アメリカにいる間もいつか戻ってプレーしたいと思っていた。やめるなら、ここ(埼玉西武)でやめたいと思っていた」。最後は愛着ある古巣のユニホームで野球人生を終えることを選んだ。
類稀なる身体能力を持ち“ファイブツールプレーヤー”とも称された松井稼。25年間で積み上げてきた実績は輝かしい。プロ2年目の1995年にデビューを果たすと、3年目には遊撃手のレギュラーに定着。1997年に初の盗塁王を獲得すると、1998年のMVPや7度のベストナイン、4度のゴールデングラブ賞獲得など、数々のタイトルを獲得した。
2003年オフにFA権を行使しメジャーに挑戦
2002年には史上8人目のトリプルスリーを達成し、2000年6月7日の近鉄戦では同51人目のサイクルヒットも。プロ野球記録となる7度、7年連続のシーズン170安打を記録し、2002年と2003年には30本塁打超を放った。
2003年オフにFA権を行使しメジャー挑戦。2004年からメッツへと移籍すると、開幕戦でメジャー史上初となる新人による開幕戦初打席初球本塁打を記録し、衝撃的なデビューを飾った。その後は故障に苦しめられながらも、ロッキーズ、アストロズと渡り歩き、7年間米国でプレー。2009年には日米通算2000本安打を達成した。2011年に東北楽天へと移籍し、日本球界に復帰した。
2013年には主力として、東北楽天の球団史上初となるリーグ優勝、日本一に貢献。2014年からは外野手にコンバートされ、2015年7月28日の福岡ソフトバンク戦では、史上46人目となるNPB通算2000安打を達成。2017年オフに東北楽天から、古巣の埼玉西武に復帰。今季は23試合の出場にとどまり、31打数4安打0本塁打2打点、打率.129の成績だった。
NPB通算で1906試合に出場し、7182打数2088安打201本塁打837打点363盗塁、通算打率.291と素晴らしい成績を残す。メジャー通算でも630試合に出場し、2302打数615安打32本塁打211打点102盗塁。2000本安打と200本塁打を達成した唯一の両打ちの打者で、球史に残る史上最高のスイッチヒッターが、ついにバットを置く。
(福谷佑介 / Yusuke Fukutani)
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