1軍昇格で見えた自身が目指すべき方向性
就任1年目の井口資仁監督の下、クライマックスシリーズ(CS)出場を目指し、最後の追い込みに入った千葉ロッテ。昨季の最下位から「マクレ」をスローガンに躍進を狙うチームは、8月に大きく負け越してしまったが、最後まで諦めずに戦い続けている。
チームは12球団では埼玉西武に次ぐ113盗塁を記録する機動力を売りとする。一方で、チーム本塁打数63は12球団で最少。今季実力が開花した井上晴哉内野手が唯一2桁アーチをかけただけだ。そんな中、将来の主砲として期待されるのが、昨年のドラフト1位・安田尚憲内野手だ。
8月10日に念願の1軍昇格を果たしたが、6試合に出場して1安打。再び2軍に戻っていた安田は、1軍で何を学び、何を目指すのか。千葉ロッテ若手スターをご紹介する「1軍をマクレ」第5回は、安田選手に迫る。
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188センチ、95キロの立派な体格に漂う雰囲気には、とても19歳の1年目ルーキーとは思えない落ち着きがある。高校時代には強打者として全国に名を轟かせたが、そんな安田でも念願のメジャーデビュー前日は「いやぁ、めっちゃ緊張しましたね。結構久々でした」と振り返る。
8月11日、京セラドーム大阪でのオリックス戦。地元・大阪で迎えたデビュー戦には両親や親戚、友人もたくさん駆けつけた。緊張も興奮も喜びも「いろんな感情が合わさった上での落ち着かない感じ」で前夜を過ごしたが、「一旦試合が始まれば普通な感じはあった」という。それでも「打席での力みっていうのはまた違うもの」と実感せざるを得なかった。
「やっぱり雰囲気はファームと違うものがあったし、2軍で対戦したピッチャーでも上(1軍)で対戦すると雰囲気が変わったりする。その辺は本当に上に行って経験できて良かったなって思いますね。
見えた課題は、もういっぱいありました。特にバッティングの方は、1球で仕留められないと、なかなかヒットにはならない。結果を求めて、どうしても振ってしまう自分がいたので、どれだけ平常心でいられるか、リラックスした状態で打席に立てるかっていうのが1つの課題になりました」
「高校野球で終わりじゃないって思ってやっていました」
出場2戦目でプロ初ヒットを放ち、初打点も記録した。「大阪で1本出てよかったなって思います。でも、あの時は本当に打席の中で膝が震えているくらいだったんですけど」と苦笑い。結局、この1本が1軍で唯一のヒットとなったが、安田の顔に打ちひしがれた様子はない。
「1軍の投手はコントロールがいい。1球くる甘い球をどれだけ仕留めきれるか。ファウルにしていてはまだまだ。技術だったりメンタルの部分だったり、まだまだだって痛感しました」と話す顔には、むしろ以前にも増したやる気がみなぎっている。目標が明確になったからだ。
開幕直前、1軍との当落線上にいた安田は、最後の最後で2軍行きを伝えられた。その時、井口資仁監督からかけられたのは「次に上がる時はレギュラーを獲るってくらいの気持ちで来い」という力強く言葉。以来、浦和にある2軍球場で練習でも試合でも、1年目ながら誰よりも大きな声を出しながら「まずは2軍でしっかり力をつけてやっていこう」と、野球と向き合った。
「上に呼ばれた時も、まだまだレギュラーが獲れるくらいの実力はついていないと思っていたんです。だがら、こういう結果になって、また2軍に落ちて来て、今の自分と1軍のレベルの差を感じられた。試合の雰囲気だったり、ゲーム感をはじめ本当に学ぶことがたくさんあった。
すごくいい経験をさせてもらったなって思います。もう1回呼ばれた時は、チームに貢献できるような選手になれるように頑張っていきたいです」
再び戻ってきた2軍では、「肩の力を抜いて軽く打つ」イメージを持ちながら、1球で仕留める意識で打席に向かう。そして、もう1つ。1軍では経験できなかったからこそ、力を入れているのが、守備の練習だ。
「結局、上では守備機会がなかった。やっぱり守備で信頼される選手になるためにも、今、基本のことをしっかりやっていかないといけない。上に行って一番強く感じたのが、もしかしたらそこかもしれません。
バッティングのことばかり考えることもあったんですが、まずは守備からだって1軍で気付きました。そこで首脳陣に信頼されないとレギュラーにはなれない。やっぱりベンチに信頼される選手になりたいですから」
思えば、ちょうど1年前は侍ジャパンU-18代表としてカナダで行われたW杯を戦い終えたばかりだった。野球が自分の仕事になり、寝ること食べること休日の過ごし方、すべてが野球につながると日々を過ごしている。
野球を始めた頃から「夢はプロ野球選手」と書いていたが、具体的に高校からプロへ進もうと決めたのは高2の冬だったという。強豪・履正社高では2年夏と3年春に甲子園出場を果たしたが、最後の夏は大阪大会準決勝で大阪桐蔭に敗戦。だが、その翌日にはすでにグラウンドに立っていた。
「高校野球で終わりじゃないって思ってやっていました。甲子園ももちろん素晴らしい場所ですし、いい経験をさせてもらったんですけど、別の夢としてプロ野球選手として活躍するっていう夢があった。だから、それに向けてずっとやっていましたね」
12歳年上の兄に絶大なる信頼「野球の師匠が兄と言ってもいいくらい」
12歳年上の兄・亮太さんの影響で「ホント生まれた時からって言っていいくらい」幼い頃から野球と一緒だ。亮太さんはPL学園時代に前田健太(ドジャース)ともバッテリーを組み、明治大進学後、現在は社会人の三菱重工名古屋で捕手として活躍する。
「野球の師匠は兄と言ってもいいくらい。それでもおかしくないくらい教えてもらっていましたね。今でもアドバイスをもらいます」と信頼は揺るがない。
1軍を目指す上で、刺激になっていることがある。それが、清宮幸太郎(北海道日本ハム)、西巻賢二(東北楽天)ら同級生の活躍だ。侍ジャパンU-18代表として、ともに注目され、ともに戦った仲間の存在は、大いなる発奮材料となる。
「注目されたといっても、僕らの学年だと清宮とか、夏の甲子園が終わった時には中村(奨成)がドーンっていってたので、自分はそんなにプレッシャーを感じることはなかったですし、むしろそれに追いつけ追い越せ、という気持ちの方が強かったです。
今でもいい刺激をもらってますね。相手のチームに同級生がいると自分も燃えるところはありますし、負けていられないなって。切磋琢磨じゃないですけど、向こうも頑張っているんだったら自分も頑張らないとって思います。
今でも清宮や西巻が上で活躍するのを見て、負けていられないって気持ちはすごくある。いい刺激をもらいながら、いいライバルとしてやっていけるんじゃないかって思います」
自分に何が足りないか。自分が目指すべきものは何か。進むべき道が明確に見えた19歳の言葉は最後まで力強い。
「ベンチに信頼される、チームメイトに信頼されるような選手になりたいです。チャンスで安田にまわってきたら大丈夫やと思われたり、ここで打ってくれってところで打てる、そんな選手になりたいです」
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