サファテ投手がNPB通算200セーブを達成。NPB外国人投手のセーブ数トップ10を振り返る

パ・リーグ インサイト

2017.7.5(水) 00:00

福岡ソフトバンクホークス・サファテ投手(C)パーソル パ・リーグTV
福岡ソフトバンクホークス・サファテ投手(C)パーソル パ・リーグTV

福岡ソフトバンクのデニス・サファテ投手が、7月5日の試合の2点差で迎えた9回に登板。走者を出すも無失点に抑え、NPB在籍の外国人投手史上初となるNPB通算200セーブを達成した。日本人投手を含めても過去にNPB通算200セーブを達成しているのはわずか6名(サファテ投手含む)であり、いかに達成困難な記録であるかがうかがい知れる。

外国人史上初となる快挙を成し遂げたサファテ投手だが、彼に限らずこれまでNPBではさまざまな外国人投手が来日し、クローザーとして試合を締めくくってきた。そこで、今回は外国人投手の通算セーブ数トップ10の選手たちを紹介し、異国の地で奮闘した彼らの足跡を改めて振り返ってみたい。

※試合数はリリーフでの登板機会に限る

1位 デニス・サファテ投手(広島→埼玉西武→福岡ソフトバンク)
実働7年 387試合25勝18敗200セーブ509奪三振 防御率1.57

先述のとおり、外国人史上初の200セーブ達成を果たしたサファテ投手がそのまま通算セーブ数でも1位ということになる。400試合近くに登板しながら防御率は1点台と安定感も群を抜いており、今後もハイペースでセーブ数を積み重ね、チームの勝利に貢献し続けてくれることだろう。

2位 マーク・クルーン投手(横浜→巨人)
実働6年 304試合14勝18敗177セーブ417奪三振 防御率2.68

長らくNPB記録だった158キロの壁を来日初年度にあっさりと破り、同年には史上初の160キロ超えも果たした剛球投手。球速のみならず確かな実力も兼ね備え、巨人移籍初年度の2008年には41セーブを挙げ、見事セーブ王に輝いた。彼が2008年に残した162キロという球速は、のちに大谷翔平選手(北海道日本ハム)が破るまでNPB史上最速の記録だった。

3位 林昌勇投手(東京ヤクルト)
実働5年 238試合11勝13敗128セーブ231奪三振 防御率2.09

上記のクルーン氏に続く、NPB史上2人目の160キロ超えをサイドハンドのフォームで記録した豪腕。第2回WBCでは韓国代表として母国の決勝進出に貢献するも、その決勝戦で延長10回にイチロー選手(現マーリンズ)にタイムリーを打たれた投手としても知られている。30歳を過ぎてからの来日だったが、2012年に故障で退団するまで毎年安定した投球を披露。翌2013年にはMLBデビューも果たすなど、息の長い活躍を続けている。

4位 エディ・ギャラード投手(中日→横浜)
実働5年 194試合6勝9敗120セーブ141奪三振 防御率2.90

宣銅烈氏の引退で抑え不在となった中日を救うべく、2000年に来日したギャラード投手。シーズン開幕後の入団となったにも関わらず35セーブを挙げ、史上初となる来日1年目の外国人投手による最優秀救援投手に輝いた。2002年にも34セーブで2度目のタイトルを受賞し、翌年には史上最速となる148試合での通算100セーブも達成。中日、横浜の両チームでチームを救う活躍を見せた。

5位 ロドニー・ペドラザ投手(福岡ダイエー→巨人)
実働5年 194試合12勝12敗117セーブ126奪三振 防御率2.99

本来は先発としての活躍を見込まれての来日だったが、クローザーに抜擢されるとその後は安定感抜群の投球を披露。ダイエーのリーグ連覇に大きく貢献し、来日2年目となる2000年からは2年連続で最優秀救援投手賞も獲得した。外国人投手によるパ・リーグの最優秀救援投手の受賞は、1999年のウォーレン氏(千葉ロッテ)に次ぐ史上2人目の快挙だった。決して上記の投手たちのような剛球を持っていたわけではなかったが、抜群の制球力を武器にホークス黄金期の礎となる活躍を見せた。

6位 郭源治投手(中日)
実働16年 266試合25勝25敗116セーブ1415奪三振 防御率3.22

1981年に中日へ入団して以降、先発と抑えの双方でチームを長年にわたって支えた。シーズン2桁勝利は5回、最優秀防御率1回、最優秀救援投手2回。そしてチームが優勝した1988年にはリーグMVPの栄誉にも輝いた。外国人選手では唯一、そして日本人投手を含めても過去6人しかいないNPB通算100勝100セーブも達成し、「郭ダンス」とも呼ばれた独特なガッツポーズや闘志むき出しのピッチングスタイルでファンに愛された。

7位 宣銅烈投手(中日)
実働4年 161試合10勝4敗98セーブ228奪三振 防御率2.70

先述のギャラード氏の前に中日のクローザーを務めていたのがこの宣銅烈氏である。来日初年度となる1996年は防御率5.50と不本意な結果に終わったが、日本語の習得に努めてトレーニングも日本式のものを取り入れるなど、日本球界に溶け込もうとする努力が実った翌年以降は2年連続で防御率1点台前半の成績を残す大活躍。翌1999年のリーグ優勝にも抑えとして大きく貢献したが、この年限りでの現役引退を表明。胴上げ投手となって有終の美を飾った。

8位 トニー・バーネット投手(東京ヤクルト)
実働6年 245試合7勝14敗97セーブ336奪三振 防御率3.58

来日1年目となる2010年は先発として起用されるも期待に応えられず、一旦は自由契約となったが、チーム事情で再契約。そこで中継ぎへの役割転換を告げられるとその素質が開花する。シーズン22ホールドを挙げる活躍が評価されて翌年にクローザーを任されると、33セーブを挙げ見事最多セーブのタイトルを獲得。その後2年は故障もあって不本意な投球が続いたが、2015年には41セーブで自身2度目のタイトルに輝くとともに、チームをリーグ優勝へと導いた。気性が荒い投手としても知られたが、同年オフに米球界復帰を希望した際には球団に移籍金を残すためにポスティングでの移籍を図るなど、チームへの感謝の心も忘れない心優しいナイスガイだった。

9位 呉昇桓投手(阪神)
実働2年 127試合4勝7敗80セーブ147奪三振 防御率2.25

韓国球界史上最多の通算277セーブの実績を引っさげ、鳴り物入りで2014年に阪神へと入団した呉昇桓投手。「石直球」と呼ばれる速球を武器に、日本でも前評判に違わぬ投球を披露した。在籍した2年間はいずれも最多セーブに輝き、来日初年度から2年連続で30セーブ以上を挙げたのはNPB史上初。わずか2年間の在籍でMLBへと挑戦していったが、その投球は日本のファンに大きなインパクトを残していった。

10位 キャム・ミコライオ投手(広島→楽天)
実働4年 214試合11勝11敗73セーブ151奪三振 防御率2.42

入団時は身長205cmの長身で話題をさらったミコライオ投手だが、風貌同様にその投球も印象に残るものだった。来日当初は中継ぎを務めるも、故障の影響で不振に陥ったサファテ投手の代役として抑えに回ると21セーブを挙げてその座に定着。以降3年にわたって広島のクローザーとして活躍し、チームの16年ぶりとなるAクラス入りにも大きく貢献した。長身から投げ下ろす150キロ超えの速球は威力十分で、チームが長い低迷期から抜け出す転換期に重要な役割を果たした。


セーブ数10傑は以上のとおりだが、外国人クローザーという言葉から連想されるイメージ通りの剛球投手が多い中、ペドラザ氏のようなコントロールを武器とした技巧派の成功例があるところも興味深いところだ。また、来日当初は先発や中継ぎとして獲得された選手が抑えとして大成するケースも見られる。日本流を取り入れることで成功を収めた宣銅烈氏のエピソードも含め、やはりNPBで成功するには日本球界に適応する能力が重要であることが改めてうかがい知れる。

さて、そんな中で外国人投手史上、歴代1位のセーブ数を記録しているサファテ選手にとっては、もう一つの新たな勲章も視野に入っていることだろう。それは外国人史上初のNPB通算250セーブ、すなわち名球界入りである。

過去に外国人選手で現行の名球界入り資格を満たしたのはアレックス・ラミレス監督(横浜DeNA)、そしてアルフォンソ・ソリアーノ氏(元広島)の2人のみである。前人未到の記録を更新し続けるサファテ投手が史上3人目の権利を得ることになるのか、今後の活躍にも注目していきたいところだ。

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