エースとして一時代を築いた、ライオンズのレジェンドが新たな指揮官に
10月9日、埼玉西武は西口文也氏が来季から一軍監督に就任することを発表した。西口氏は1995年の入団から21年間にわたってライオンズ一筋でプレーし、5度のリーグ優勝と2度の日本一にも大きく貢献。獅子のエースとして一時代を築いた、まさにライオンズのレジェンドという称号に相応しい存在だ。
今回は、西口氏が現役時代に残した実績をあらためて振り返り、セイバーメトリクスで用いられる指標に基づく成績についても確認。最下位に沈んだチームの再建を託された新監督についてより深く掘り下げるとともに、指揮官としてのさらなる活躍にも期待を寄せたい。
通算182勝を挙げて沢村賞やリーグMVPにも輝く、圧巻のキャリアを送った
西口氏が現役時代に記録した、年度別の成績は下記の通り。
西口氏は立正大学から、1994年のドラフト3位で西武(現・埼玉西武)に入団。プロ1年目の1995年に早くもプロ初完封を記録し、防御率1.99と才能の片鱗を示した。続く1996年には31試合で210.1イニングを投じ、16勝を挙げて防御率3.17と出色の投球を披露。プロ2年目にして大車輪の活躍を見せ、先発陣の柱へと成長を遂げた。
3年目の1997年は2年連続で200イニングの大台を突破し、15勝5敗、192奪三振を記録してリーグ優勝の立役者の一人となった。最多勝、最高勝率、最多奪三振の投手3冠を獲得し、ベストナインとゴールデングラブ賞もW受賞。それに加えて、沢村賞とシーズンMVPの栄誉も手にして、名実ともに球界屈指の先発右腕としての地位を確立した。
続く1998年もエースとしてチームをけん引し、13勝、148奪三振で2年連続となる最多勝と最多奪三振の投手2冠を受賞。ベストナインとゴールデングラブ賞も前年に続いて獲得し、エースとしてライオンズのパ・リーグ連覇に大きく貢献を果たした。
1999年以降は「平成の怪物」松坂大輔氏と強力な1・2コンビを形成し、同年は14勝、2000年は11勝、2001年は14勝と着実に勝ち星を積み重ねた。2002年は15勝に加えて182イニングで180奪三振を記録し、松坂氏が故障で離脱する中で先発陣を支える存在に。リーグ優勝の原動力となる好投を見せ、自身3度目となるゴールデングラブ賞にも輝いた。
2003年は故障もあってプロ1年目以来となる1桁の勝ち星に終わったが、翌2004年には10勝を挙げて防御率3.22と復調し、チームのリーグ優勝と日本一にも貢献。2005年には共に自己最高となる17勝、防御率2.77を記録し、5月13日にはノーヒットノーラン、8月27日には完全試合に迫る快投を披露。プロ11年目にしてキャリアハイと呼べる投球を展開した。
2006年も177.1イニングで防御率3.55と一定以上の数字を記録したものの、打線と噛み合わずに勝ち星は9勝にとどまった。続く2007年も9勝を挙げたが、防御率は4.28と悪化。2008年も防御率5.03と安定感を欠く面も目立ったが、ベテランらしい投球術を見せて8勝6敗と白星を先行させ、投手陣の精神的支柱としてリーグ優勝と日本一に寄与した。
2009年と2010年も防御率5点台と引き続き苦戦が続いたが、37歳で迎えた2011年には鮮やかな復活を遂げる。同年は22試合に先発して140イニングを投げ、どちらも2005年以来6年ぶりとなる、2桁勝利と防御率2点台を記録。プロ17年目にして健在ぶりを大いにアピールし、再びチームの主力投手として躍動を見せた。
続く2012年もさらなる活躍が期待されたが、14試合の登板で5勝と勝ち星を伸ばしきれず。2013年以降の3年間は未勝利に終わり、2015年に41歳で現役を引退。ライオンズ一筋21年の現役生活で182勝を積み上げ、先発として長年にわたってチームを支え続けた名投手だった。
全盛期における与四球率と奪三振率は、いずれもハイレベルな水準に
ここからは、西口氏が記録した年度別の各種指標を見ていきたい。
通算の与四球率は3.23と平均値に近い数字だが、プロ1年目の1995年に与四球率1.99と優秀な数字を記録したことを皮切りに、全盛期には優れた制球力を発揮。投手3冠と沢村賞に輝いた1997年には200イニングを突破しながら与四球率2点台とハイレベルな投球を見せ、1999年と2002年にも与四球率2点台と好投を見せていた。
とりわけ印象的な成績を残したのが、勝利数と防御率でキャリアハイを記録した2005年で、172イニングで与四球率1.78という素晴らしい成績を残している。2024年の埼玉西武は与四球率がリーグ最下位かつ、6球団で唯一の3点台という結果に終わっただけに、現チームにおいても往年の西口氏のような制球力を持つ投手を一人でも多く育成したいところだ。
また、通算の奪三振率も7.41と概ね平均的な水準に近かったが、1996年~2006年の全盛期は全て7点台〜8点台で推移していた。とりわけ、2000年から2004年までは5シーズン中4シーズンで8点台の奪三振率を記録し、2002年には182イニングで180奪三振を記録し、奪三振率8.90と素晴らしい数字を記録。全盛期は高い奪三振力を誇っていたことがわかる。
次に、奪三振を与四球で割って求める、制球力や投手としての能力を示す「K/BB」という指標を見ていきたい。西口氏は全盛期における与四球率と奪三振率がいずれも平均以上の水準にあったが、規定投球回に到達したうえで、K/BBが一般的に優秀とされる水準の3.50を上回ったのは、2002年と2005年の2度のみという結果となった。
ただし、1995年から2007年までの13年間では12度にわたって2点台以上のK/BBを記録したのに対して、2008年以降の8年間でK/BBが2点台以上となったのは2回だけ。K/BBの高低が西口氏の成績に直結していたことがうかがえる一連の数字は、現代の野球に応用するうえでも興味深い要素となりそうだ。
自身の経験を生かして投手王国を築き上げ、チーム再建を実現できるか
西口氏は長年にわたってエース格として登板を重ね、1990年代、2000年代、2010年代の3世代全てでシーズン2桁勝利を記録。時代の変化に対応しながら結果を残し、21年間にわたって現役生活を続けてきた経験を指導者として後進に伝え、苦しい状況にあるチームの再建への道筋を立てたいところだ。
2024年に揃って10勝を挙げた今井達也投手と武内夏暉投手を筆頭に、現在の埼玉西武にはさらなる成長が期待できる先発投手が多く存在する。それに加えて、現役時代に西口氏がつけていた背番号「13」を受け継いだ高橋光成投手が復調を果たせば、西口氏の現役時代のような多士済々の先発陣を構成することも、決して夢物語ではないはずだ。
シーズン91敗を喫して最下位に沈んだチームを再び軌道に乗せる仕事は、決して一筋縄ではいかないものとなる。長年にわたってライオンズを支えてきた西口氏が、指揮官という新たな立場でチームを救うことができるか。来季から発揮されるその手腕には、大いに注目が集まることだろう。
文・望月遼太
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