2013年に監督を退任して以来、実に11年ぶりの現場復帰となる
5月26日、埼玉西武の渡辺久信ゼネラルマネージャーが監督代行を兼任することが発表された。渡辺監督代行は2008年から2013年にかけて埼玉西武の監督を務め、チーム成績と選手育成の両面において大きな実績を残したことで知られている。
今回は、渡辺監督代行が前回監督を務めた6年間におけるチームの歩みと、かつて指揮官がブレイクに導いた選手たちの顔ぶれを紹介。渡辺監督代行の指導者としての実績をあらためて振り返るとともに、今回の任期におけるチームの立て直しにも期待を寄せたい。
就任1年目から日本一の座に輝き、その後も安定した成績を残し続けた
渡辺監督代行が過去に記録した、年度別監督成績は下記の通り。
渡辺監督代行は現役時代に3度の最多勝に輝くなど、ライオンズのエースとして黄金時代のチームを支えた。指導者としては二軍投手コーチや二軍監督を歴任し、2008年から一軍監督に就任する運びとなった。
就任前年の2007年、チームは26年ぶりのBクラスとなる5位に沈み、オフには主砲の和田一浩氏とカブレラ氏が揃って他球団に移籍。2008年の前評判も決して高くはなかったが、渡辺監督代行はすぐさまチームの立て直しに成功。4年ぶりのリーグ優勝と日本一に輝き、正力松太郎賞の栄誉も手にするなど、就任1年目から最高の結果を残した。
続く2009年は故障者が相次いだ影響で4位に沈んだが、2010年以降は4年連続でAクラス入り。そのうち2010年、2012年、2013年と3度にわたってリーグ2位に入り、2010年は首位とゲーム差なし、2012年は同3ゲーム差とトップに肉薄。6年間で負け越したシーズンは一度もなく、序盤戦で苦しんでも最終的には必ず一定以上の成績を残す安定感が光った。
埼玉西武のレジェンド2名をはじめ、リーグを代表した名選手が名を連ねる
ここからは、渡辺監督代行が指揮を執っていた時期に、大きな飛躍を遂げた野手の顔ぶれについて見ていきたい。
今では埼玉西武のレジェンドとなった中村剛也選手だが、初めて規定打席に到達したのは渡辺監督代行が就任した2008年だった。同年に中村選手は自身初の本塁打王に輝き、2009年と2011年には本塁打王と打点王の2冠を受賞。2012年には4度目の本塁打王となり、渡辺監督代行の在任期間だけで6個のタイトルを獲得する圧巻の活躍で、力強くチームをけん引した。
同じく埼玉西武のレジェンドとして尊敬を集める栗山巧選手も、2008年から主力に定着した選手の一人だ。同年に初の規定打席に到達すると、167安打を放って最多安打のタイトルを受賞。2008年、2010年、2011年と3度のベストナインに輝き、2010年にはゴールデングラブ賞にも輝くなど、指揮官の抜擢に応えてチームの柱の一人へと成長を果たした。
中島宏之選手は渡辺監督代行就任前の2004年からレギュラーに定着していたが、2008年には自己最高の打率.331、出塁率.410、OPS.937と圧巻の活躍を披露。同年に自身初タイトルとなる最高出塁率を受賞すると、続く2009年には2年連続の最高出塁率と自身初の最多安打にも輝くなど、リーグを代表する強打の遊撃手としての地位を確立している。
さらに、片岡易之氏も2007年に自身初の盗塁王を受賞していたが、2008年以降は3年連続で50盗塁以上を記録するなど脚力に磨きをかけ、2010年まで4年連続で盗塁王に輝く快挙を達成。2008年には栗山選手と最多安打のタイトルを分け合うなど、渡辺監督代行の就任を機にさらなる成長を遂げ、強力打線の切り込み隊長として抜群の存在感を放った。
浅村栄斗選手も高卒3年目の2011年に抜擢を受け、内外野をこなすユーティリティとして自身初の規定打席に到達。一塁手に固定された2013年には22歳の若さで4番打者を務め、打率.317、27本塁打、110打点とハイレベルな成績を記録。平成生まれの選手としては初の打点王に輝く大ブレイクを果たし、後の活躍の礎を築くシーズンを送っている。
秋山翔吾選手もプロ1年目の2010年から110試合に出場するなど渡辺監督代行に重用され、2012年には規定打席に到達して打率.293を記録。続く2013年には全144試合に出場して初のゴールデングラブ賞にも輝くなど、抜擢に応えて後の大ブレイクへの足がかりを作っている。
炭谷銀仁朗選手は正捕手の細川亨氏の存在もあってなかなか出場機会を伸ばせずにいたが、2009年に112試合と大きく出番を増やす。2011年以降は3年連続で120試合以上に出場し、2012年にはゴールデングラブ賞に輝く活躍を見せた。今季から古巣の埼玉西武に復帰したベテラン捕手を、恩師にあたる渡辺監督代行がどう起用するかにも注目だ。
若くして台頭した投手に加え、渡辺監督代行が“再生”した投手も少なくない
最後に、同時期に躍進を見せた投手たちの顔ぶれについても紹介しよう。
涌井秀章投手は渡辺監督代行の就任前年となる2007年に最多勝に輝いていたが、2009年には16勝を挙げて自身2度目の最多勝と、自身初の沢村賞を受賞。2010年は4度の完封を記録して14勝を挙げ、2012年にはシーズン途中に抑えに配置転換されて30セーブを記録するなど、指揮官の幅広い起用に応えてチームを支えた。
岸孝之投手も2008年に2年連続の2桁勝利となる12勝を記録し、日本シリーズでは第4戦で完封勝利を記録。中2日で迎えた第6戦ではリリーフとして5.2回を無失点に抑え、指揮官の信頼に応える圧巻の投球を見せてシリーズMVPを受賞した。渡辺監督代行が在任した6年間で5度の2桁勝利を記録し、先発陣の中心として出色の活躍を続けた。
牧田和久氏は1年目の2011年に先発とリリーフを兼任し、55試合で5勝4ホールド22セーブ、防御率2.61とフル回転して新人王を受賞。続く2012年には13勝を挙げて防御率2.43、2013年にも防御率2.60と先発として好投を続け、新人時代に抜擢した指揮官の期待に応える活躍を見せた。
野上亮磨氏も1年目の2009年から一軍で登板機会を確保し、2012年途中から先発陣の一角に定着。同年に8勝を挙げて防御率2.97と好投を見せ、2013年には自身初の規定投球回到達と2桁勝利を記録するなど、先発起用に応えて主力投手の一人へと成長を遂げている。
菊池雄星投手はプロ入り当初こそ故障もあって苦しんだが、渡辺監督代行の最終年となった2013年に大きく飛躍。故障の影響で17試合の登板にとどまったものの、3度の完封を記録して9勝を挙げ、防御率1.92と抜群の数字を記録するなど、後の活躍を予感させた。
また、一軍定着を果たせていなかった投手の覚醒を促したケースの多さも、渡辺監督代行の特徴的な要素の一つだ。岡本篤志投手は2007年まで一軍では目立った実績を残せなかったが、2010年に33試合で10ホールドを挙げ、2011年は49試合で防御率2.11と奮闘。2012年はチーム最多の59試合に登板するなど、ブルペンを支える存在へと成長を果たした。
長田秀一郎投手もプロ入りから2年間で80試合に登板しながらその後は苦しんでいたが、2010年に56試合に登板して17ホールド、2012年には53試合で26ホールド、防御率2.53と見事に再生を遂げた。2009年途中に阪神から移籍した藤田太陽投手も、同年は25試合で防御率2.00、翌2010年は自己最多の48試合に登板して19ホールドと、新天地で輝きを放った。
前回と同様に若手の才能を見抜き、打撃不振に苦しむチームを立て直せるか
渡辺監督代行は、前回在任時に後にリーグを代表する選手に成長した若手たちの才能を見抜き、強力打線を形成してみせた。現在の埼玉西武はチーム全体が打撃不振に苦しんでいるだけに、まさにうってつけの人材といえよう。多くの投手をブレイクに導いてきた点も含めて、その育成手腕にかかる期待は大きいところだ。
前回と同じように苦境に陥ったチームを立て直し、将来に向けた明るい展望を描けるか。11年ぶりにチームの指揮を執るかつての日本一監督の手腕には、あらゆる意味で大いに注目が集まってくることだろう。
文・望月遼太
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