山本由伸と山崎颯一郎は2016年ドラフト同期
心から互いの活躍を認め合い、歓喜のビールを掛け合った。オリックスの山本由伸投手と山崎颯一郎投手は、2016年ドラフト4位と6位の同期入団。リーグ3連覇を達成して“常勝軍団”となったオリックス投手陣を支える2人だが、ともに「野球の話は全然しないですね」と笑うように“無言の絆”で互いの躍動を見守っている。
高卒プロ7年目の2人。今では先発マウンドに上がる山本のバトンを受け取り、山崎颯が勝利のハイタッチに持ち込む展開が目立つが、6年前はファームで大粒の汗をかきながら切磋琢磨した。「ルーキーの頃、舞洲(2軍)でパイプ椅子を一緒に片付けてましたね。あの頃がすごく懐かしく感じますね」。山本が回想するのは、灼熱の大阪・舞洲だった。
当時、球団寮で生活していた2人は、当然“下積み”を経験している。灼熱の2軍球場で「ピッチャー何人かで並んで、記録(スコア)をつけてましたね。そーいち(山崎颯)とバラ(榊原)と3人で。新人(の役割)なのに『なんで僕らなんだよう……って』良い感じにふざけてましたね(笑)」。仲間と冗談めいて、涼しい本拠地の京セラドームでプレーすることを誓い合っていた。
プレーボール直後からペンを持ち、3時間ほどメモを取るのが“仕事”なのだが「眠いなぁと思って書いてました(笑)」と山本は告白する。幼少期から「僕は結構、居眠りする癖があるんです」と打ち明けると「気づいたら2、3球、試合が進んでいたりしていました」とお腹を押さえて笑う。隣に座る同僚や、チームスタッフから優しく起こされた日々も懐かしむ。
山本も尊敬する山崎颯の凄み…右肘手術も「苦しい表情を見せたことがなかった」
18歳でプロの扉を開いた2人も25歳になった。当時を思い返す度に「下積みは大切ですからね。1歩ずつ上がってきたので、僕たちは」と山本は丁寧な言葉を紡ぐ。20日の千葉ロッテ戦(京セラドーム)に勝利し、リーグ3連覇を決めた。最終回を締めたのは山崎颯で、登板日でなかった山本は猛ダッシュでマウンドに駆けつけた。
「2人とも『1軍で投げたいな』という夢を持っていましたけど、まさかこんな展開になるとは……。(今春の)WBCにも一緒に喜びを分かち合えた。本当に幸せですよね」
しみじみと7年間を思い出すと「そーいちは(右)肘の手術も乗り越えた。絶対、しんどいはずなのに、リハビリ期間も苦しい表情を僕らに見せたことがなかった。本当にすごいなぁと思っています」。2019年に3桁背番号も経験した山崎颯は“吹田の主婦”の愛称で一躍、全国区へと駆け上がった。
今、2人が片付けていたパイプ椅子は育成選手らが交互に運んでいる。顔をしかめながら、時には仲間と笑顔を見せて歩を進める。描いた夢は叶わないこともある。ただ、自らを奮い立たせる“普遍の友情”が、白球に宿っているのは間違いない。
(真柴健 / Ken Mashiba)
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