「正直、日本には来たくなかった」 泣く泣くNPBへ…レジェンド助っ人が絶望した“敵”

Full-Count

2023.8.17(木) 07:30

インタビューに応じた元阪急のブーマー・ウェルズ氏※写真提供:Full-Count(写真:舛元清香)
インタビューに応じた元阪急のブーマー・ウェルズ氏※写真提供:Full-Count(写真:舛元清香)

阪急で助っ人初の3冠王を獲得したブーマー・ウェルズ氏「正直、来たくなかった」

 阪急、オリックス、福岡ダイエーで通算1413安打、277本塁打。1984年にはNPBの外国人選手として初の3冠王に輝いたブーマー・ウェルズ氏が来日し「Full-Count」の取材に応じた。初来日から40年、日本での思い出を聞くと、最初に出てきたのは意外な“大敵”の存在。さらに当時のプロ野球について、笑いを交えながら大いに語ってくれた。【取材協力・一般社団法人日本プロ野球外国人OB選手会】

 ブーマー氏が初めて日本の土を踏んだのは1983年のこと。もう40年前となる。「そんなに前か。時間が経つのは本当に早い」と苦笑いする一方で「当時は海外に住むのも初めてだったし、とにかくいろんなことに驚いたね」と懐かしそうに語り出した。

「あんなに写真を撮られたことはない、というくらい撮られたんだ」

 ブーマー氏は公称で身長2メートル、体重100キロの巨漢。新聞には「怪人」という見出しが踊った。宿舎でもカメラを向けられることには戸惑ったが、同時にプロ野球への関心の高さを感じた。それまでのブーマー氏は、メジャーでは2年間で47試合に出ただけ。本塁打はなく、マイナー暮らしが続いていた。さらに、日本行きは決して希望してのものではなかった。

「正直言うと、日本には来たくなかったんだ。最初はね。私に関する権利をツインズが阪急に売ったので、仕方なく。自分では何にも決められなかったんだよ」

 当時29歳、メジャーリーグで活躍したいという夢もあった。ただ来ると決めた以上は、日本球界での「助っ人」のイメージを変えたかった。「当時は引退寸前の選手が、最後の数年を日本でプレーするというケースが多かった。でも自分は日本に骨を埋めて、日本の野球になじめるように努力しようと思ったね。当然じゃないか。プロなんだから」

インタビューに応じた元阪急のブーマー・ウェルズ氏※写真提供:Full-Count(写真:舛元清香)
インタビューに応じた元阪急のブーマー・ウェルズ氏※写真提供:Full-Count(写真:舛元清香)

日本での生活になじむ上での“大敵”がいた…「本当に困ったよ」

 そのためには、グラウンドの中だけではなく、日本の社会、生活、文化全てになじむ必要があった。そこで“大敵”に遭遇したのだという。

「このままなら帰るしかない」と思ったほどだったのは、当時まだまだ多かった和式のトイレだった。膝が悪かったこともあり「しゃがめないから、本当に困ったよ」。ユニホームを脱いで途方に暮れた。どう使えばいいのか真剣に悩んだという。

 本拠地だった西宮球場は、選手ロッカーに洋式の便器があり助かった。問題は「田舎に遠征に行った時だよ」と今では愉快そう。「どこに洋式トイレがあるのか、早めに見つけないと、プレーにも集中できなかった」と言うほどだった。南国で暖かいと聞いていた高知キャンプにやってくると、雪がちらついていたのにも驚いた。

 ただそのキャンプ地で、ブーマー氏は場外弾を連発し注目される。1年目は打率.307、17本塁打。ブーマー氏は巨躯から生まれるパワーを誇る一方で、三振の極めて少ない打者としても知られた。そして日本野球のレベルに驚いた。

「メジャーで十分やれた選手がいたと思うよ。特に埼玉西武は、投手も打者もレベルが高かった」

 ブーマー氏が日本でプレーした10年間、パ・リーグは埼玉西武の黄金時代だった。今もブーマー氏の口からは、選手名がすらすら上がる。「アキヤマ、イシゲ、キヨハラ、ワタナベ、クドウ……」。そして、阪急のチームメートにもメジャー級の実力と評価した選手がいた。「マツナガ、ヤマダサン、フクモトサン……」。当時、すでにベテランの域にあった山田久志投手のアンダースローのフォームには驚かされた。

「コントロールが抜群でね。そしてあのフォームはメジャーにはない。一緒にやっていた時でも、十分通用したと思いますよ。若い時はもっと強いボールを投げていたとも聞くしね」

期待された場外本塁打とファン獲得「ブーマーパン、覚えてるよ」

 通算277発の中で、特に記憶に残る本塁打が2本ある。「誰も覚えていないかもしれないけど…」と切り出したのは1989年、藤井寺球場の近鉄戦で叩き込んだ予告本塁打だ。「しつこく内角を攻められて、頭に来ていた」ブーマー氏は、思わずバットで左翼席を指差し、その通りに本塁打を放ってみせた。

 もう1本は1988年、西宮球場で放った特大本塁打だ。埼玉西武の渡辺久信から放った一撃は左翼スタンドのはるか上を伸びていき、球場の敷地に隣接する高速道路の高架橋に当たった。飛距離は162メートルと推測され、NPB史上最長の本塁打との声もある。

 実はブーマー氏の来日1年目、阪急は身長2メートルにちなんで、長さ2メートルの特大フランスパンを製作。「ブーマーパン」として、場外本塁打を放った際にはファンにプレゼントするという企画を行ったことがある。ただこの年は公式戦での場外弾がなく“不発”に終わった。

 それでもブーマー氏は「あのパンのことはよく覚えているよ。ブーマーパン、最初は何のことだと思ったけどね。面白すぎるよ」。セ・パ両リーグの観客動員に大きな違いがあった時代。近隣にある甲子園球場と比べ、阪急の本拠地だった西宮球場に足を運ぶファンは少なかった。「怪人」に乗っかって話題をつくろうという球団の必死な努力も、ブーマー氏の心を打った。

(羽鳥慶太 / Keita Hatori)

記事提供:Full-Count

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