日本での250本塁打まで、あと1本。そしてメジャーで44本塁打をマークしている井口資仁内野手にとっては日米通算300号の偉業も、あと7本と迫っている。43歳、ドラゴンズの岩瀬仁紀投手と並んで日本球界最年長。マリーンズの誇る大ベテランは様々な大記録を目前に控えて2017年開幕を迎える。
「本塁打の記録はあまり意識をしていないな。よく聞かれるけどね。与えられた場面で仕事をするだけ。その結果が本塁打になればもちろんうれしい。ただ、最初からそれを意識することはない。自分はチームから与えられた仕事を完璧にこなすように集中をするだけ」
新たなスタートの日を目前に控えて本人はあくまで冷静に、そして黙々と調整をしている。ただ、開幕の舞台は福岡ヤフオク!ドーム。井口がプロ野球人生の第一歩を踏み出したステージだけに周囲はいやおうなしにメモリアル弾が出るのではと期待をしてしまう。
井口の本塁打伝説は福岡でスタートした。1997年5月3日、井口、22歳の時だった。「怪我で出遅れていたからね。青学時代にチームメートで同じ年にプロ入りした清水(将海、当時マリーンズ)とかは開幕戦でプロ初本塁打とか打っていたし。みんな目立っていた。早く追いつきたいという焦りに近い気持ちもあった」。注目のルーキーとして当時の福岡ダイエーホークスに入団したが、オープン戦で右足首を捻挫。無念の開幕二軍スタートとなっていた。開幕から遅れること一か月。福岡ドーム(当時)での近鉄バファローズ4回戦で待ちに待ったデビューの日を迎えた。1打席目。バファローズ先発の山崎慎太郎のストレートを左前打。プロ入り初ヒットを放つと、迎えた四回の第3打席目。今でもファンの間で語り継がれる伝説の打席に立つ。二死満塁。山崎のフォークをとらえると打球は広い福岡ドームの左翼席に突き刺さった。デビュー戦でのプロ入り初本塁打は満塁本塁打だった。
「5月3日は縁があるんだよね。よく本塁打を打っているイメージがある日なんだ」
本人が言うようにメジャー初本塁打もメジャー挑戦をした2005年の5月3日。シカゴでのロイヤルズ戦。3回2死1塁でアンダーソンから左越えに同点本塁打を打ち込んだ。第1打席は左前打。第3、4打席は中前打と右前打で4打数4安打2打点の大活躍だった。
ちなみに福岡で数多くのアーチを重ねているが思い出深いのは福岡ダイエーホークスが初優勝をした99年に放った本塁打だ。
「印象深いのは2本。どちらも福岡で打った。僕の打ったボールがスタンド上空に飛んだ時のファンの空恐ろしいほどの歓声は今も忘れることはできない」
1本目は99年9月8日のライオンズ戦。勝てば首位という大事な首位攻防戦。3対3の同点で迎えた9回裏の攻撃だった。前の打者が敬遠をされ1死満塁となった場面で打席に向かった。初球をファウルした後だった。突然、ネクストバッターズサークルにいた次打者が歩み寄り、ベンチからのアドバイスを伝えてくれた。それは王監督からの短い言葉だった。「トスバッティングのような感覚で打て」。目の前で前の打者が敬遠をされて巡ってきた打席。知らないうちに力んでいた。その一言ですべてのイメージが湧いた。2球目を軽く振りぬくと打球は広い福岡ドームのセンターバックスクリーンに吸い込まれていった。サヨナラの満塁本塁打だった。
「周囲の人からはサヨナラ満塁ホームランの印象が残っていると思うけど、自分としては王監督からの一言が印象的な試合。力まず、トスバッティングのような気持ちで打つという感覚は今も大事にさせていただいている」
華やかな場面での派手な一発に沸いた試合。劇的な結末で球場が興奮のるつぼと化す中、指揮官が残した短い一言が井口の胸に焼きついて離れなかった。それこそがチャンスで今も井口が大事にしている心構えとなっている。
そして忘れられないもう1本は、優勝までマジック1で迎えた9月25日のファイターズ戦。4対4の同点の8回。2死走者ナシから相手投手のスライダーを右翼スタンドに運んだ。「変化球でカウントを取ってくるのが分かっていたので、完全に変化球を狙っていた。スライダーに照準を絞って確実にとらえた一発」。当時の事をまるで昨日のことのように細かく、そして確実に振り返る事が出来るのが超一流選手に共通する特徴だ。この勝ち越しの1点を守り切ったホークスが初優勝。井口にとってもプロ入り初の優勝となった。博多の街が歓喜に包まれた夜だった。
マリーンズに移籍をした09年も衝撃的な一発を打ち続ける。4月7日のファイターズ戦(東京D)で移籍後初本塁打。そしてマリーンズファンにとって、もっとも印象深いのは2号本塁打。4月16日のイーグルス戦(現 ZOZOマリンスタジアム)。延長12回に豪快にサヨナラの満塁本塁打を放った。その後も毎年、様々な感動と衝撃を野球ファンにプレゼントし続けてくれている背番号「6」。それでも本人は「ホームランバッターではないから」と謙虚な言葉を並べる。そして今年もまた球界最年長としてバッターボックスに立つ。
「最年長という実感は自分の中ではあまりない。グラウンドで年齢は関係ないと思っている。とにかく一日の中でしっかりと練習をして1球を大切にして生きる。どうしても、自分の姿を若い選手たちは見ているわけだから、最年長だからといって楽をするようなことはしたくない。チームの勝利に貢献するために最善を尽くす」
メモリアルアーチはもちろん、今年も様々な偉大な記録と向き合う背番号「6」。その背中をマリーンズだけではなく、全国のファンが、若い選手たちが注視している。その立ち振る舞いと生き様で伝え続けなくてはいけないメッセージがある。最年長選手として、まだまだそのバットで夢を生み出さないといけない使命がある。だから、今年も自主トレから自分を苛め抜き、限界ギリギリの極限まで追い込み、3月31日を迎える。井口の新たな伝説がまた今年も幕を開ける。
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