オリックス宮城大弥は「1点も取られていない」 右投げで115キロ…恩師明かす中学時代の“伝説”

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2022.4.18(月) 15:20

オリックス・宮城大弥※写真提供:Full-Count(写真:荒川祐史)
オリックス・宮城大弥※写真提供:Full-Count(写真:荒川祐史)

宜野湾ポニーズ・知名朝雄総監督に直訴「右でも投げられます」

 昨季13勝4敗、防御率2.51という好成績を収め、新人王に輝いたオリックスの宮城大弥投手。エース・山本由伸投手と並び、チームを25年ぶりのリーグ優勝に導いた左腕は、弱冠20歳とは思えぬマウンド捌きで打者を圧倒した。

 いったん試合を離れれば、人懐こい笑顔がトレードマークの人気者。チームメートやファンから愛される教え子の姿に目を細めるのが、沖縄・宜野湾ポニーズの知名朝雄総監督だ。中学時代から「誰に対しても良い子でした」とその人柄を称える。

 宜野湾ポニーズは知名氏が1985年に創設し、宮城の他にも元北海道日本ハムの運天ジョン・クレイトンらプロ入りしたOBもいる。現在、知名氏は総監督という立場で選手たちを指導。今年73歳になるが、「体が動くうちは見ていたいですね」とまだまだ現役だ。

 宮城との出会いは2014年、新中学生として入部してきた時だった。当時から決して身長は高くなかったものの「(野球の)センスはありました」と振り返る。その言葉を象徴するかのようなエピソードを教えてくれた。

「右でも左と同じくらい(の球速)で投げるんです」

 入団当初、宮城は左肘を痛めていた。知名氏は治癒するまで外野での起用を考えていたが、「『右でも投げられます』って言うんですよ」。試しに右で投げさせてみると、115キロを計測したという。故障が治るまでは外野でも、右投げで守っていた。

 中学2年から本格的に投手としてプレー。当時からスライダーと直球を武器に、ポニーリーグでは無双状態だった。投球数制限などがあり、登板したのは公式戦の半分ほどだが、「3年間で1点も取られた記憶はありません」と知名氏は明かす。

沖縄・宜野湾ポニーズの知名朝雄総監督※写真提供:Full-Count(写真:川村虎大)
沖縄・宜野湾ポニーズの知名朝雄総監督※写真提供:Full-Count(写真:川村虎大)

中学の頃から野球も振る舞いも一流「今でも本当に素直な子」

 そんな宮城だが、決して恵まれた環境にいたわけではなかったという。家計に余裕があったわけではなく、着用していたユニホームには穴が開いていることもあったが、「全く負い目を見せることはありませんでした」。常に「家族を楽にしたい」と話していた左腕は「誰に対しても良い子。チームメートに対して怒ったところを見たことがありません」というほど穏やかで、野球はもちろん振る舞いも一流。その周りには自然と人が集まっていた。

 今でも、一流の振る舞いは変わらない。宮城は毎年、チームに硬球20ダースをプレゼントし、オフには同期の勝連大稀内野手(福岡ソフトバンク育成)とともに後輩たちを訪問している。嫌な顔一つ見せず、選手ひとりひとりにサインを書く姿に、知名氏は「今でも本当に素直な子だな」と感心する。

 宮城が新人王を獲得した際、知名氏は宜野湾ポニーズの選手たちと集まり、みんなで一緒に喜んだ。今では、子どもたちにとっては憧れの的になっている。

「昨年のようにうまくいくわけではないと思うが、大弥ならやってくれると思う」

 そう語る知名氏の目は、まるで自身の孫を見るように優しい。自慢の教え子の活躍を、故郷・沖縄からそっと見守る。

(川村虎大 / Kodai Kawamura)

記事提供:Full-Count

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