マリーンズに来て7シーズン目になる。高濱卓也内野手は春季キャンプの時期になると、あの日の事を思い出す。キャンプを終えて、オープン戦を行っていた2011年3月1日。タイガースにFA移籍した小林宏之投手の人的補償としてマリーンズへの移籍を言い渡された、あの時のことだ。
「人的補償の辛さって、当人にしか分からないと思います。あれから、もう7シーズン。早いですね」
それはプロ4年目のシーズンを迎えようとしていた2011年だった。高濱は二軍スタートも、手ごたえを掴みキャンプインを迎える。2月中旬に高知県安芸市で行われた一、二軍合同の紅白戦では自信が結果につながった。1試合目が3打数3安打、2試合目が3打数1安打、そして3試合目が3打数2安打。3日間3試合で9打数6安打の大活躍で、一軍首脳陣の目に留まった。そこから一軍帯同。高知県春野市で行われたバファローズとのオープン戦ではサードでスタメン出場をすると、3打数2安打。希望に満ち溢れた日々を送っていた。
「今年ダメだったら、クビになると思っていた。最後のチャンスだと思って、なんとか高い評価をして入団をさせてくださったタイガースに恩返しをしないといけないと思っていた。だからキャンプから全力でアピールをした。紅白戦で必死に打って、初めての一軍のオープン戦でも結果を出そうと頑張ったんです」
タイガースに入って3年間、怪我に見舞われ、一度も一軍出場のなかったものの周囲の期待は高かった。高校生ドラフトで中田翔(現ファイターズ)を外したタイガースがベイスターズと競合。抽選の末、ドラフト1巡目で入団をした。しかし、そこからは怪我の連続だった。最初のキャンプで左ひざを痛めると1年間を棒に振った。2年目も練習中の守備で打球を追って足を痛めた。3年目の怪我の痛みは残り、試合に出る機会は少なくなった。4年目のシーズン。期するものがあった。
高知でのオープン戦で結果を出すと再び、注目を集める存在になっていた。一軍メンバーの一人として、一軍本隊と共に帰阪。休みを挟み、甲子園球場に足を運んだ。夢にまで見た一軍ロッカーだった。憧れの場所で初めて自分の名前が貼られた場所が用意されていた。怪我の連続で遠回りをしたが、ようやくこの舞台に立った。嬉しさがこみ上げてきた。
「一軍に上がるのは初めてだった。うわー、自分のロッカーがあると感動しました。」
午前にロッカーに集合をして午後は西宮市内の神社に必勝祈願のために移動。それがその日の予定だった。新しいスタートに喜び、感情が高ぶっていた高濱に予期せぬ事態が起きたのは、その直後のことだった。マネージャーに呼ばれた。「球団事務所に行ってくれ」。最初は事の重大さがよく分からなかった。なにかの事務手続きでもあるのかと思っていた。しかし、マネージャーの表情から、ただならぬ事が起きている事を感じ取った。「必勝祈願には行かなくていいから、事務所に行ってくれ」。その一言で頭が真っ白になった。そして事の重さを理解した。
「それは初めて一軍に上がって、初めて甲子園のロッカーに自分の場所ができた日でした。うれしくて、うれしくて。そんな日にチームと別れの日が来るとは夢にも思わなかった。こんなことがあるのかと…。気持ちの整理がつかなかったのがあの時の正直な気持ちです」
もちろん、チーム内でも2月にマリーンズからFA移籍をしてきた小林宏之投手の人的補償は誰かという噂で持ち切りだった。一部報道で高濱の名前が挙がった事もあった。しかし、先輩選手から「先に報道で名前が出ると大体、ないよ」と言われて安心をしていた部分があった。なによりも、3年間、怪我をして一軍に一度も出ていない選手が選ばれるとは思えなかった。ふと数奇な運命を感じた。紅白戦やオープン戦で必死に結果を出し世間で注目されたことで、結果的にマリーンズの目に留まることになったのではないかと思った。もしFA移籍が決まるのが2月よりはるかに前でキャンプインする前に人的補償選手が決まっていれば、自分が選ばれる事がなかったのではないかとすら考えた。
誰もいないロッカーで、たたずんだ。しばらくすると必勝祈願を終え選手たちが戻ってきた。先輩選手たちに挨拶を交わした。「必要とされているから選ばれた。これはチャンスだ。一軍で活躍をするチャンスだよ」。当時、現役だった金本知憲外野手(現タイガース監督)ら、憧れの先輩選手が次々と優しく声をかけてくれた。その瞬間、それまで我慢をしていた感情が溢れ出た。マスコミ相手の記者会見では気丈に振舞っていたが、もう我慢が出来なかった。人目をはばからず、泣いた。涙というものが、こんなに止めどなく溢れ出る事を若者はその時、初めて知った。ようやくたどり着いた憧れの甲子園のロッカーで高濱は人目をはばからず、いつまでも泣いた。
「いろいろな想いが湧きあがって、いろいろな事が頭をよぎり、涙が止まらなくなった。あんなに泣いたのは後にも先にもありません。でも、あの時、先輩たちが励ましてくれた言葉はその後の自分の支えとなっています。今も忘れません。」
高濱は運命を受け入れた。1週間ほどで準備を整えると、気持ちを入れ替え新しいチームに合流した。突然の環境の変化に戸惑い、体重が6キロほど落ちた時期もあったが、先輩たちの言葉を胸に歯を食いしばった。その後の2011年5月25日。甲子園で行われたタイガースとの交流戦。2番遊撃でスタメン出場をした高濱は7回に先頭打者で打席に入ると久保田智之投手のストレートをはじき返した。打球は中堅を越えた。フェンスに直撃する二塁打。あわやの一発を古巣相手に見せ、チームも勝利した。試合後、いろいろな感情がこみ上げてきた。
「甲子園で頑張っているところを見せる事ができた。あの時は嬉しくて、通告をされたあの日の事を思い出して涙が出そうだった」
そして時は流れた。高濱はプロ9年目の昨シーズン、53試合に出場をしてプロ初本塁打を含む3本塁打を放った。3号は古巣タイガース相手(6月9日、守屋功輝投手から)で、その一発が功を奏し、チームが勝利したことでヒーローインタビューにも呼ばれた。腰痛に悩まされながらの一年ではあったが、確実に着実に結果を出しつつある。
「今年はプロ10年目。やれることはすべてやって悔いのない一年にしたい。ボクを評価してくれて、呼んでくれたマリーンズにも恩返しをしたい」
自主トレでは怪我予防のためヨガをトレーニングに取り入れるなど工夫をこらした日々を過ごした。背番号は「00」から「32」に変更した。あの日、涙が止まらなかった若者はすっかりマリーンズに溶け込み、チームには欠かせない存在となっている。中堅に差し掛かった今では若手選手にアドバイスをし、当時の境遇を懐かしそうに語る事もある。運命に身を委ね、たどり着いた節目のシーズン。目指すは悲願のレギュラー獲り。縁に導かれた男は、自分を評価し、見出してくれた恩に報いるべく、10年目のキャンプに挑んでいる。
記事提供: