北海道日本ハムから発表された斎藤佑投手と岡選手の背番号変更

パ・リーグ インサイト

2016.12.22(木) 00:00

12月21日、北海道日本ハムの斎藤佑投手と岡選手の背番号が変更されることが、球団公式サイトより発表された。これにより斎藤佑投手は「1」番、岡選手は「18」番を背負うことになる。今季まで岡選手がつけていた「31」番は、新加入の村田投手が譲り受けるかたちとなった。

斎藤佑投手は、2006年の夏の甲子園、エースとして早稲田実業を初優勝に導いた。前年の優勝投手だった田中将大投手(現ニューヨーク・ヤンキース)と繰り広げた、37年ぶりの決勝引き分け再試合は、甲子園屈指の名勝負として今も語り継がれている。その後は早稲田大学に進学し、2010年にドラフト1位で北海道日本ハムに指名され、入団。エースナンバーである「18」番を背負い、6年のシーズンを過ごした。

今回の変更で「1」という番号を背負い、学生時代に使用していた愛着のある番号で新たなシーズン、勝負の7年目を迎える。

【近年の北海道日本ハムにおける背番号1の変遷】
1974年 大下剛史氏
1975~1985年 菅野光夫氏
1986~1998年 広瀬哲朗氏
1999~2003年 阿久根鋼吉氏
2004~2006年 SHINJO氏
2007~2010年 森本稀哲氏
2013~2016年 陽岱鋼選手

これまでに北海道日本ハムで背番号「1」をつけたのはいずれも野手であり、2リーグ制が敷かれた1950年以降で、投手の「1番」は斎藤佑投手が初となる。パ・リーグの他球団を見渡してみても、1番を背負っているのは埼玉西武の栗山選手、千葉ロッテの清田選手、オリックスの中島選手、福岡ソフトバンクの内川選手の主力野手がほとんどであり、両リーグを含めても投手はそう多くない。

【パ・リーグの主な背番号1の投手】
1966~1985年 鈴木啓示氏(近鉄)
2007~2009年 大嶺祐太投手(千葉ロッテ)
2014~2016年 松井裕樹投手(楽天)

元・近鉄の鈴木啓示氏は、プロ野球通算勝利数の第4位となる317勝を挙げた大投手。阪神の江夏豊氏らとしのぎを削り、引退後に球団が合併してオリックス・バファローズとなるまで、その背番号はパ・リーグ唯一の永久欠番となっていた。また、楽天の若き守護神・松井裕投手が1番をつけていることは有名だが、桐光学園高校時代に慣れ親しんだエースナンバーを自ら希望したことが、本人の口から語られている。

2017年シーズンから18番を背負う岡大海選手は、倉敷商業高校、明治大学時代は投打でチームをけん引する二刀流として活躍。2013年にドラフト3位で北海道日本ハムに入団し、昨季ブレイクを果たした。今季は、出場試合数こそ41試合に留まったものの、「SMBC日本シリーズ2016」第4戦で、左翼フェンスに激突しながらも大飛球を好捕するファインプレーを見せ、チームの日本一に貢献した。

【近年の北海道日本ハムにおける背番号18の変遷】
1974年 ケキッチ氏
1975年 カルバー氏
1976~1983年 高橋一三氏
1985~1995年 河野博文氏
1996~2005年 岩本勉氏
2008~2009年 藤井秀悟氏
2011~2016年 斎藤佑樹投手

プロ野球で背番号18番は、1番とは逆に投手の番号として使用されることが多い。戦後まで遡っても、北海道日本ハムで18番を背負ったのは投手だけで、野手は1人もいない。プロ野球界のエースナンバーと呼ばれることもあり、パ・リーグの他球団の「18番」には、通算350勝を挙げた阪急の米田哲也氏や田中将大投手など、そうそうたる顔ぶれが並ぶ。

18番の野手は、1番の投手以上に少なく、両リーグ合わせてもごくわずかである。1987年のレスカーノ氏(大洋)が18番をつけていたのが、最後だ。日本人選手では、1964年の小木曽紀八郎氏(中日)が最後で、パ・リーグに限るとさらに10年以上年代を遡らねばならない。岡選手は、約30年ぶりの「18番を背負う野手」なのである。

選手の背番号は、本人の要望や球団の意向などによって決められる。これまで、往年の名選手が背負ってきた番号を託されて身を引き締める選手もいれば、あまり頻繁には使われない大きな番号を、自分の代名詞にまで引き上げる選手もいる。その番号にどんな意味を見出すかは選手によってもファンによってもそれぞれで、今回のように珍しいタイプの背番号変更が、チームにどのように作用するのかは誰にも分からない。今までと異なる番号を背負って心機一転した斎藤佑投手と岡選手の来季からの活躍に期待したい。

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