2019年12月3日、松坂大輔投手が埼玉西武ライオンズに帰ってきた。
「平成の怪物」と称され、横浜高校時代から数々の伝説を築き上げてきた剛腕の古巣復帰は、ライオンズファンのみならず、多くの野球ファンにとって喜ばしいニュースだったことだろう。
しかし、当たり前ではあるのだが、松坂投手は「怪物」である以前に「人間」、「ひとりのプロ野球選手」である。ここ数年は故障も相次ぎ、昨季はわずか2試合の一軍登板、今季40歳になるプロ野球選手は、ある意味選手生命の危機を迎えている。再起を期すためにも、1年1年が勝負になってくることだろう。
そんな松坂投手のカムバックを祈りつつ、今回は選手生命の危機から見事復活した直近のパ・リーグ選手たちをピックアップ。窮地に立たされながらも、不屈の闘志でカムバックを果たした男たちのストーリーは、私たちに大きな力を与えてくれるはずだ。
難病からのカムバックが胸を熱くさせる。
◆大隣憲司氏:元福岡ソフトバンク、千葉ロッテ
【黄色靭帯骨化症からカムバック。日本一にも貢献】
難病からの復帰といえば、やはりこの男。大隣投手は、プロ入り6年目の2012年にポテンシャルが開花。7連勝を記録するなど終始安定した投球で12勝8敗、防御率2.03、チーム最多の6完投で左のエースに飛躍し、翌13年のWBCでは、2試合に先発で登板した。
しかし、シーズンが始まると、5月初旬に腰痛で離脱。直後に一軍に合流するも、傷は癒えておらず、腰には違和感がある中で先発登板したところ、腰痛が再発し途中降板。戦線を離脱し、検査したところ黄色靭帯骨化症と診断され、6月21日に手術を受けることに。その後、長いリハビリ期間を過ごしたのち、10月下旬のフェニックスリーグで実戦復帰を果たした。
その後も順調な回復を見せた大隣投手は、14年の7月13日に408日ぶりに中継ぎとして一軍復帰登板。27日には慣れ親しんだ先発のマウンドで7回1失点と好投し、見事勝利投手に。黄色靭帯骨化症からの復帰を果たした選手の中で、一軍での白星を挙げるのは初の快挙だった。9月には首位争い中のオリックス相手に完封勝利を挙げると、両チームの優勝がかかった10月2日のオリックス戦にも先発。計り知れないプレッシャーの中、6回無失点の力投で期待に応え、チームのリーグ優勝に大きく貢献した。その後クライマックスシリーズ、日本シリーズでも好投を続け、日本一への大きなピースとなった大隣投手。実はこの年、難病の影響で以前よりも球速は落ちたものの、制球力で勝負するスタイルにマイナーチェンジ。これが功を奏したことは、まさに「怪我の功名」だったと言えるかもしれない。
2015年は、開幕からローテーションの一角に入り、安定した投球を続けていたが、6月に左肘関節の炎症で離脱。以降2016、2017年は一軍での登板機会が減少し、戦力外通告を受けた。現役続行を希望した大隣投手はトライアウトでアピールし、入団テストを経て千葉ロッテに入団。5月2日には、古巣の福岡ソフトバンク相手に先発するも、1回途中7失点で降板した。以降は一軍に呼ばれず、シーズン限りでの引退を決意。引退後は、千葉ロッテの二軍投手コーチに就任し、自身の経験を、日々選手たちに伝えている。
◆南昌輝投手:千葉ロッテ
【黄色靭帯骨化症から昨季一軍にカムバック】
そんな黄色靭帯骨化症から、いままさに復帰を果たしている選手がいる。
南投手は、2010年にドラフト2位指名され、千葉ロッテに入団。2年目の2012年に26試合で防御率0.36という驚異的な数字を残して台頭すると、翌2013年も28試合に登板し、中継ぎ陣の一角を占めるように。2014、2015年は不調だったものの、2016年に再ブレーク。開幕から一軍での登板を続け、夏場以降は勝ちパターンの一角としてチームに貢献。キャリアハイの57試合に登板し、5勝4敗16ホールド、防御率2.74と大車輪の活躍を見せた。
2017年は右肩の違和感もあり登板数を減らしたが、2018年は再びセットアッパーとして安定した投球を見せる。しかし、7月20日のオリックス戦登板後に下半身の脱力感を訴え、黄色靭帯骨化症と診断された。
その後は、長いリハビリの日々を過ごすこととなる。南投手にとって幸いだったのは、同じく黄色靭帯骨化症を発症した経験がある大隣二軍投手コーチが2019年より就任したことだ。難病からカムバックした大隣コーチの存在は、南投手にとって非常に大きかったことだろう。
見事な回復を果たした南投手は、昨季8月15日に一軍に復帰。4試合の登板機会を得ると、今季はキャンプから順調に調整を進め、オープン戦では2試合に登板。6月2日の練習試合では、最速146km/hと直球に威力も感じられ、3者凡退で快調な仕上がりを印象付けた。黄色靭帯骨化症を乗り越えた南投手は、変わらず強気な直球主体の投球で、次のステージへと歩みを進めている。
◆安達了一選手:オリックス
【潰瘍性大腸炎を乗り越え、華麗なプレーで定位置に復帰】
2011年のドラフト1位でオリックスに入団すると、2年目の13年には遊撃手のレギュラーに定着。堅実かつ鮮やかな守備とスピード、勝負強い打撃で13年から3年連続で130試合以上に出場し、内野手の要としてチームに欠かせない存在となった。
そんな安達選手を突然病魔が襲う。2016年1月に国指定の難病・潰瘍性大腸炎と診断されたのだ。当時28歳、ちょうど全盛期を迎えるであろう主力が、前例のない難病で離脱。目前に控えていたキャンプへの参加は見送り、リハビリの日々が始まった。
先の見えない日々を過ごす安達選手だったが、驚異的な回復力を見せる。2月中旬には練習を再開し、4月にはウエスタンで実戦をこなせるまでに。すると、シーズン直後の4月12日に一軍に復帰、同日のナイトゲームからスタメン出場。その後も状態を見ながら一軍でのプレーを続け、同年7月には、自身初となる月間MVPも獲得。118試合の出場で、キャリアハイの打率.273を記録し、見事なカムバックを果たした。
翌2017年も開幕から主にディフェンス面でチームに貢献。9月には、潰瘍性大腸炎が再発したことから離脱するも、2018年は1年を通して正遊撃手のポジションを確保し、初のオールスターゲームにも出場した。2019年は大城滉二選手などの台頭もあり、出場機会が減少するも、打撃面の好調さから三塁手として起用されるなど、しぶとい働きを見せた。
そんな安達選手だが、オフの契約更改ではショートストップへの強いこだわりを吐露。先述の大城選手に加え、太田椋選手や宜保翔選手など伸び盛りの遊撃手が多いチーム事情だが、彼らと真っ向勝負する意気だ。オリックス・バファローズの遊撃手の座を譲らないために、安達選手は今年もがむしゃらに食らいついていく。
◆小谷野栄一氏:元北海道日本ハム、オリックス
【パニック障害から北の打点王に】
2002年、北海道日本ハムからドラフト5位指名されプロの世界に飛び込んだ小谷野選手。2005年までは、一軍と二軍を行き来する生活を送っていたが、2006年に事態は一変。二軍暮らしが続くと、パニック障害を発症し、一時は打席に立てなくなってしまうことも。まさに、選手生命の危機に立たされた。
それでも、小谷野選手は戦い続けた。当時二軍監督代行を務めた福良淳一氏(現オリックスGM)の支えもあり、徐々に出場機会を増やしていくと、翌2007年には一軍で113試合に出場。三塁手のレギュラーに定着し、勝負強いバッティングでチームに欠かせない存在に。2010年には全試合に出場、ともにキャリアハイの打率.311、109打点で「最多打点」のタイトルを獲得するなど、大舞台で輝き続けた。グラブ捌きも柔らかく、三塁手のゴールデングラブを3度受賞。2014年オフにFA権を行使し、オリックスに移籍すると、当時一軍ヘッドコーチを務めていた福良氏とともにプレーすることとなった。
移籍後は怪我に苦しみながらも、ベテランらしいしぶとい働きでチームに貢献。2015年途中から指揮を執った福良監督へ恩返しを込め、「福良さんを男にしたい」と優勝へ意気込んだが、その願いは叶わなかった。16年目の2018年に引退を発表し、10月5日の最終打席では、涙ながらにフルスイング。その様子を見つめる福良監督の目にも涙が映るシーンはやはり印象的だ。奇しくも、福良監督も同年限りで監督を辞任した。
引退後は、楽天で一軍打撃コーチに就任。今季からは、オリックスで二軍打撃コーチを務めることとなり、GMとコーチという関係性ながらも、福良氏との再会を果たした。
◆久保裕也投手:楽天
【3年連続戦力外、育成落ちも経験からカムバック】
最後に、一風変わったカムバック例を紹介しよう。
久保投手は2002年に自由獲得枠で巨人に入団すると、2010年には、球団最多記録となる79試合に登板。翌2011年には、67試合で防御率1.17、20セーブを挙げるなど、ジャイアンツのブルペンを支えた。しかし、勤続疲労から同オフに右股関節の手術を受けると、翌年にはトミー・ジョン手術を受け、なかなか投げられない日々が続いた。そして、一軍登板がなかった2015年に自由契約。横浜DeNAに移籍することとなった。
横浜DeNAでは、9試合の登板にとどまり、わずか1年で戦力外に。当時36歳ながらも現役続行を希望した久保投手はトライアウトに参加し、健在ぶりをアピール。すると、楽天の入団テストを受けることとなり、見事合格。2017年は一軍で27試合に登板し、復活を果たしたかと思われたが、シーズン途中に右手の血行障害を発症。オフには3年連続となる戦力外となり、リハビリに専念することから育成選手として再スタートを切ることに。
それでも、あきらめることなく投げ続けた久保投手は、2018年の5月に支配下に復帰。25試合で防御率1.71と好リリーフを披露し、見事カムバックを果たした。昨季は、9月15日のオリックス戦で、NPB史上101人目となる500試合登板を達成するなど、22試合に登板。球団最年長投手としてチームをサポートした。そんな久保投手は「松坂世代」のひとりで、5月23日には40歳を迎えた。度重なるケガや戦力外から、何度でも這い上がってきた男の姿は、18年目の今年も必ずやチームの財産になる。
文・岩井惇
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