【MLB】大谷翔平は二刀流を貫くべきか 米メディアが“神様”ベーブ・ルース氏と徹底比較

Full-Count

2018.4.4(水) 14:35

エンゼルス・大谷翔平選手
エンゼルス・大谷翔平選手

ベーブ・ルース氏の時は「困難に直面した」二刀流、大谷選手はどうなる?

1日(日本時間2日)の敵地アスレチックス戦でメジャー初登板を白星で飾ったエンゼルスの大谷翔平選手。3月29日(同30日)の開幕戦では「8番・DH」ですでに野手デビュー。球団によれば、開幕戦に野手で出場し、その10日以内に投手として先発する二刀流は、1919年のベーブ・ルース氏以来99年ぶりの“偉業“となった。

「野球の神様」と呼ばれるルース氏はその後、野手に専念。数々の金字塔を打ち立てた。では、大谷は二刀流の道を進み続けるべきなのか――。米メディアでは、ルース氏が投手をやめなかったら、という究極の「IF」を分析している。

「ショウヘイ・オオタニは二刀流でとどまるべきなのか? ちょうど100年前にレッドソックスはベーブ・ルースで同じ疑問に直面した」

こう特集したのはESPNだ。大谷選手の二刀流デビューは鮮烈だった。投手としては平均98マイル(約158キロ)の豪速球を投げ、打者としてもバットから104マイル(約167キロ)の打球を放った。記事では「100年間で初の二刀流の初戦は素晴らしいように見えた」と“第一歩”に合格点を与えている。

ただ、ここからは、投手として登板する合間に指名打者として打席に立ち、投打どちらの準備も進める、という作業が続く。メジャーで唯一のルーティンに挑むことになるが、ジレンマに直面するのはエンゼルスだという。

「エンゼルスの大谷起用に関するすべての決断は困難なものになるだろう。100年前にベーブ・ルースをいかに起用するか、ボストン・レッドソックスにとっても困難だったように」

特集ではこう指摘している。1918年4月、ルース氏は先発投手でありながら、野手としても出場が許されていたという。だが、エド・バロウ監督の強烈な反対で二刀流の道は断たれてしまったと、当時の状況を記事では振り返っている。

「2シーズンに渡り、ベーブは球界でトップ3投手の1人で、間違いなく最高の左腕だった」

野手転向直前の23歳時点の「投手・ルース」について、このように紹介。650イニングで許した本塁打は2本と被本塁打率はメジャーで最も低く、1916年のワールドシリーズでは14イニングを完投するなど、大舞台でも滅法強かったという。もちろん、メジャー22シーズンで通算打率.342、714本塁打の成績を残した打者としても圧倒的だった。

もしベーブ・ルース氏が二刀流を貫いていたら…

そして、特集では投打以外の部分のルース氏についても検証。身長188センチの巨体で、ホットドッグ10本とソーダ8杯を頼んでいたという逸話もあるルース氏は後に体重問題に悩まされることに。レッドソックス時代のルース氏に対して、ヤンキースは先発時にバント攻勢を仕掛けたという。13回のバントで2度のエラーという試合もあったことから、「ヤンキースはベーブの守備が拙いとみなしていた。貴重なデータだ」と分析。また、ルースは盗塁数も少なく、「彼はそこまで速くなく、スピードは次第に落ち、守備と走塁面の価値にダメージを与えた」としている。

当時のルース氏の総合的なパフォーマンスから、二刀流を継続した場合、どんな成績を残せたのだろうか。特集では、現在のメジャーリーグで最も重視されているセイバーメトリクスの指標の1つ「WAR(Wins Above Replacement)」を用いて分析している。「WAR」は様々な指標を総合し、ある選手が走攻守の全てを合わせて、どれだけ勝利に貢献したかを評価するもの。「控えレベルの選手が出場する場合に比べて、どれだけチームの勝利を増やしたか」を表している。

投手としてのパフォーマンスが加齢や怪我などで悪化するリスクから、毎年10パーセントずつ成績を下げ、30歳になるまで打撃成績を横ばいで計算した場合、1925年シーズンの30歳の時点で、ルース氏のWARは「50」に到達する計算になるという。守備や走塁面を加味した場合、WARは「35~40」という数値になる可能性もあるとしている。

また、当時のレッドソックスのチーム事情も振り返っている。(戦争の)兵役の影響で選手の補強が困難だったため、「レッドソックスはコーナーポジションしかプレーできない打者の必要は特段なかった」と分析。外野はホリー・フーパー氏ら名手が揃っており、一塁も補強の必要はなかったというのだ。

そして、特集では「ベーブはフルタイムの投手を続け、先発登板の合間に代打として最大限活用されるべきである。怪我さえなければ、この状況なら1シーズンあたりのWARで約9という数値になるだろう。これは球界でトップ6のうちの一人の成績である」と結論づけている。

投手としての最終年となった1919年は防御率はリーグ平均に留まったが、ホームランはリーグ記録を更新。18年から25年までは打者としてWAR「77」を記録したというルース氏。キャリア通算のWARは打者として「162」、投手として「20」という成績を残した。先代は投手の道を断念し、「野球の神様」となったが、大谷選手は二刀流の道を貫き通すのだろうか。

記事提供:

Full-Count

この記事をシェア

  • X
  • Facebook
  • LINE